その日。
 秋風が、心地良かった日。
 この国の、現・国家元首である、エドガー・ロニ・フィガロ二世は、自身がこっそり経営するコンピュータ・ソフト開発会社の仕事をこなす為に、首都中心部にある、セントラル・パーク前のマンションにいた。
 公務は休みで、モニターとの睨み合いを繰り返していた仕事も、そろそろ片が付きそうで。
 天気は良いし、後三時間もすれば、恋人もここに顔を出すし、と。
 上機嫌で彼は、軽やかに、キーボードを叩いていた。
 超が付く程の高級住宅街であるこの一帯は、騒音もなく静かで、32階にある自身のペントハウスは、居心地も良いし、防犯も──当然であろう。唯でさえ、この近辺は治安が良いのに、国王陛下である彼の身辺は何時も、海兵隊のエリートが、ひっそりと警護しているのだから──問題ない。
 故に。
 機嫌が良いことと、何も心配することがない、と云う事情の中。
 エドガーは、恋人との甘い時間を過ごす為、キーボードを叩きつつ、モニターを見つめることに、集中し過ぎて。
 メゾネットタイプのこの部屋の一階部にある玄関の施錠が、カシャッと外されたことに、気付かなかった。
 尤も、それに気付け、と求める方が、無理な相談なのだが……海兵隊のエリート達に守られている筈の、防犯設備も完璧な筈のこの部屋に、招かれざる者が、侵入した所為、で。
 

 

「……ん?」
 何処かから。
 何か……例えるなら、何かのスプレー缶を噴射させたような音が聞こえた気がして。
 ふっと、エドガーは、仕事部屋の扉辺りを見遣った。
「あれ……気の所為、かな……」
 けれど、音がした方角には、誰がいる訳でもなく、聞き届けたような音を発する何かがある訳でもなく。
 思い過ごしかと、首を捻ったが。
「セッツァー……が来るには、早過ぎるけど……」
 何となく、嫌な気分に陥って、後、数行分キーボードを叩けば完成する書類をそのままにして、彼は立ち上がった。
「……誰かいる……筈なんかないんだけど……」
 部屋を横切りドアを開け、廊下へと出て。
 そこが無人であることを確認し、彼は階下へと降りた。
 が、玄関にもリビングにも、人の気配はなく、エドガーは肩を竦める。
「じいやでも来たのかと思ったけど……。やっぱり、気の所為だったのかな……」
 きっと、何も彼も、思い過ごしだったのだろうと、彼は、踵を返した。
 後数行分で終わる仕事を、片付けてしまうべく仕事部屋に、戻るつもりだった。
 けれど。
 次の瞬間、エドガーは。
 眩暈を覚える暇もなく、リビングの床の上に、どさりと崩れた。
「…急げ。余り時間がない」
 彼が崩れ落ちた途端。
 何処で息を顰めていたのか、家主には一切の気配を感じさせぬ程見事に、物陰に潜んでいたらしい、数名の男達が姿を見せた。
 男達は。
 倒れたエドガーの体を抱き抱え、ソファに腰掛けさせ。
 懐から取り出したアルミケースの中から、小さな注射器を取り出すと、痕の発見され辛い首筋へと針を射して、透明な液体を、昏倒した彼に与えた。
 …………時過ぎること、暫し。
 腕の時計で時間を計っていた男が、軽く、エドガーの頬を叩いた。
 覚醒を促すべく、何度かその仕種を繰り返せば、うっすら、エドガーの両の瞼が持ち上げられ、視点の定まらぬ紺碧の瞳が現れた。
「名前は?」
 ぼんやりと、室内や男達を見回すエドガーに、一人が質問をした。
「……なま……え……?」
「──名前は?」
「…エドガー…ロニ……フィガロ……二世……」
 意識の混濁が激しいのだろう、一度は不思議そうに、エドガーは質問を繰り返したが。
 二度目の問いに彼は、辿々しいながらも、名を語る。
「……職業は?」
「職業…? ……職業……は……。────一の経営者、で……。第……代フィガロ国王…」
 質問に、素直に答える彼の態度に、男達は頷いた。
「効いてるな。……本題に行くか。────セッツァー・ギャビアーニと云う男を、知っているか?」
 そして男達は、本題、と称し、問われたことを素直に答える相手に、セッツァー、と云う名を聞かせた。
 知っているか、と。
「…セッツァー……? ああ、知っている……とても、良く……」
「関係は?」
「……かん、けい……? 私、と、彼、の……?」
 恐らくは、与えられた薬の所為で朦朧としながらも、何処かで何かが、歯止めを掛けたのかも知れない。
 とても良く知っている、と云いながらも、彼は、己とセッツァーとの関係を、言い淀んだ。
「関係は? 親しいのだろう? ギャビアーニ空軍大尉とは。──先月終わったフィガロとドマの軍事演習に関して、何か聞き及んでいるのではないか?」
 故に、男達は苛々と、矢継ぎ早に言葉を重ねたが。
「関係……? 軍事演習の……? ああ……。私と、彼は……恋人、同士……だけれども……。あの演習のこと、は……別に……。お互い、仕事は仕事だし……。語り合うことは、そう多くは……。…あ、でも……私の耳には入って欲しくない内容だった、と云われた覚え、は……。多分、余り公に出来ない演習だったんだろうな、と……。彼が狩り出されたなら…開発段階……の…戦闘機のテストとか……。明確な地形モデルを元にした…空爆のシュミレーション、とか……」
 何処までもゆるゆると、エドガーは答えた。
 ──彼の回答の中に、『恋人同士』と云う単語が含まれていた事実に、男達は一瞬、顔を見合わせたが。
 困惑はすぐさま、やはりな、と云う表情へと変わる。
「それを、大尉の口から直接聴いたのか?」
「だから……。私と彼が……国王と英雄、とか……親友同士、とか云う関係ではないのは、認める、が……。恋人同士、でも…仕事とプライベートは、別、で……。──直接、じゃない……。彼は……そう云うこと、は……──。閨の中で……うっかり、そんな話になった、だけ……で……」
 ──エドガーは。
 己が答えさせられたことに、男達が頷きつつも、かなり複雑な表情を湛えているにも気付けぬまま。
 唯々、夢心地で言葉を続けた。
 

 

 

 放っておいたら噛み付くのではないか、と思える、凶暴な表情で。
「だからっ! 何だってんですかっ!」
 砂漠の直中にあるフィガロ空軍基地の、司令官である、レオ・クリストフ准将に、セッツァー・ギャヒアーニ空軍大尉は、吠えていた。
「別段、深い意味はない。……単に、我が空軍一の問題児である君の、素行が知りたいだけだが?」
 たが、有名人であり、トラブルメーカーでもある部下の『抗議』など、慣れきってしまっているのだろう。
 レオ司令官はさらりと、涼しい顔で云った。
「俺の素行? ……ああ、決して、空軍々人として、誉められた素行じゃないってのは、俺が一番承知してますっ。でもっ! それと、俺の友人関係を根掘り葉掘り問い質すことと、一体、何の関係があるって云うんですかっ!」
 それでも、声高にセッツァーは、食い下がったが。
「君と、君の友人ではなく。空軍の『英雄』と、我が祖国の君主のこと、だ。問い詰められるに値するとは思うだろう? 君でも」
「………だからって……。俺が、あいつと親友だってことの、何処に問題があると…──」
「──あるだろう? 向こうは、『飾りもの』であろうと、軍縮を望む平和主義者の国家元首であり。君は、先月の合同演習にて、軍事機密に関わった一人なのだから」
 レオ司令官は一転、厳しく鋭い眼差しをして、セッツァーを見詰めた。
 

 

 小一時間程前から。
 セッツァーは、司令官室に呼び出され、レオ准将自らの、『詰問』を受けていた。
 ここの処、問題を引き起こした覚えはないのに、何故、四つも階級が上の准将クラスに呼びつけられなければならないのか、さっぱり理解出来ず。
 訝しみながらセッツァーは、この部屋のドアを潜ったのだが。
 しょっちゅう怒鳴り合いを繰り返してる司令官が尋ねて来たことは、『素行』、だった。
 否、部下の素行その他に関する身辺調査の体裁を持った、尋問。
 先日、無事に終了したドマとの合同演習に関することを、何者にも語らなかったか、とか、あの演習後、軍部の人間以外で、接触を持った人物は、このリスト通りで間違いはないか、とか。
 果ては、『親友』であるエドガー陛下とは、本当はどう云った関係であるのか、とか。
 空軍、と云う組織に属する上で、語る必要などない筈のプライベートを、疑惑の視線で尋ねられ、あまつさえ、この一ヶ月近くの己の行動を監視されていると──でなければ、己が接触を持った人物とのリストが、存在する筈などないから──知り。
 詰問の最後に、エドガーの名が出た時には、とうとう激高して彼は、何時も通り上官に噛み付いたのだが。
 司令官の厳しい態度は、今だ変わらぬままで。
「あいつが国王で、俺が空軍の人間で、だからどうだってんですかっ! 仕事は仕事で、私生活は私生活だ。そうでしょうっ? 俺達の間には、普通の、何処にでも転がってる、親友同士って関係以上の、何もないっ。俺達自身の立場がどうであろうともっ。何故そこに、俺やあいつの立場や、先月の演習の話が出て来なきゃならないってんですかっ!」
「親友同士? ……本当に、そうかね?」
「………………どう云う、意味ですか? sir.レオ・クリストフっ! ──Air Commodore・Cristophe。幾ら貴方でも……──」
「──失敬。言葉が過ぎたようだ。唯、一つ言えることは。……Flight Lieutenant ・Gabbiani。君には、『一寸した』、軍事機密漏洩の容疑が掛かっている、と云うことのみだ。……火のない所に煙りは立たないからね。……容疑が、単なる『容疑』でしかないのなら、暫くは大人しくしていたまえ。君の為にも、我等が君主の為にも」
 何処までも冷たい瞳で、レオ司令官は、セッツァーを射抜いた。

  

 

 

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