確かに。
セッツァーの生家が、フィガロ・シティの中心部から若干外れたベッドタウンにあると云う事実を知る者は、殆どいないのだが。
彼の個人情報の一つであるそれが、軍部のデータに記載されていないことなど有り得ず。
もう一、二時間もすれば、そろそろ朝日が昇り出す、と云う頃合。
『逃亡者達』の計算よりも早く、エースパイロットの生家は、中央情報局のエージェント達に、取り囲まれた。
逃げられる筈など有り得ぬとタカを括った、セントラル・パーク前のマンションにての作戦で、彼等を取り逃がした失態をリカバーするべく、黒服の男達はかなり慎重な行動と足捌きを見せていて。
もう、逃亡者達が、様々な意味で以て、この空家から無事に脱出することは、叶いそうにもなかったが。
その時点から遡ること一時間程前、何かを知り、国防総省を飛び出した、やはり、情報局のキャップであるシャドウも、その情報を得られる立場、と云う意味では、かけらもハンディがなかったから。
エージェントが空家への突入を果す寸前、現場に飛び込んで来たシャドウによって、その作戦には、ストップが掛けられた。
──しかし。
当然、その事実を、逃亡者達が知ることは有り得ず。
「おいでなすったらしいな……。思ってたよりも早い御到着だ」
やはり、軍人だけのことはあるのか、ふと、不穏な気配が生家の周りを取り巻いたに気付き、エドガーの膝に身を預けていたセッツァーが、立ち上がった。
「当事者でなかったら、我が国の軍は優秀だと、誉めてみたい処だけどね」
ちょいちょい、と暗がりの中、手招くセッツァーに従って、エドガーも又、立ち上がった。
「情けない話だが、連中から逃れるのは、一寸無理な相談だ。…ま、それでも。お前一人くらいなら、何とかなるかも知れねえから。傍から離れるなよ、いいな?」
恋人を従え、かつてはキッチンだった部屋に入り。
埃塗れのシンクの下から、調理ナイフをセッツァーは取り出す。
「錆びちまってやがんな…。ま、無いよりはマシか」
木の柄を持って、その酷い状態に渋い顔をしながらも、こんな得物でもあるだけいい、と彼は、勝手口の鍵を開けた。
そっと、辺りを窺えば、取り敢えずの危険は感じられず。
彼等は気配を殺して、一歩、外へと踏み出した。
その途端、雑草の茂みがガサリと音を立て。
肩でエドガーの体を押し、室内へと戻し、セッツァーは、無言のまま、サバイバルナイフを扱う風に、パシリと握り直した得物で、気配の辺りを薙いだ。
……否、薙ごうとした。
力を与えられて繰り出されたそれを握る腕は、跳ね上げるべく伸ばされた、やはり、人の腕に当たって、ガッと、強く弾かれる。
それでも、跳ね上げられてしまった腕の、その勢いを利用して彼は体を捻り、再度、得物を振り降ろそうとしたが。
「ぐっ……──」
刹那、撃たれた二の腕を捕まれ、得物を掴んだ手までもが、痛みに痺れた。
「パイロットが、エージェントに体術で勝とうと思うな、愚か者。──相手を見てから振り回せっ、そういう物はっ!」
苦痛に苦悶の表情を浮かべた彼に、にべもなく告げて、茂みから姿を現し。
ナイフを取り上げた人物は、シャドウだった。
「……お前、か……」
「え……? シャドウがどうして……?」
友の声と、安堵したような恋人の声を聞き付け、エドガーもそこへ、顔を覗かせる。
「お前か、ではない……。──大体……っ……」
負傷した腕を押さえた銀髪の友と。
一応は、仰ぐべき国王である金髪の友を見比べ。
刹那、シャドウは。
ピキリ、と、こめかみに幾筋もの青筋を立て。
「…………大体、お前達は……なれそめの頃から、俺に散々迷惑を掛けてきたと云うのに……。何時も何時も、厄介ことばかり引き起こす性分の癖に……。──ほんっっっとうに、何時も何時も何時も何時もっ! 面倒ばかり掛けおってっ!! そもそも、今回のこともっ。元を正せばお前達の身から出た錆だったんだっ! なのにっ! 尻拭いに駆けずり回っている俺に凶器を向けて、そんなに楽しいかっ!」
……突然、怒鳴り出した。
「……シャドウ?」
「…おい?」
確かに迷惑を掛けっ放しだと云う自覚はあるが、何故ここで、そんなに彼が激高するのかの理由が判らず。
エドガーも、セッツァーも、きょとん、とした顔をする。
「こんなに馬鹿馬鹿しい任務は、俺の軍役生活の中でも、初めての経験だっ! お前達はどシリアスで、逃亡などと洒落込んでいたのかも知れないがなっ! 今夜の出来事が、どれだけ恥ずかしいことなのか、後でたっぷり語って聞かせてやるっっ!! 恥を知れ、恥をっ! 色惚け共がっっっ!!」
しかし、そんな二人の表情が、更に彼の怒りを煽り。
一際高い声で叫ぶとシャドウは、確保が完了した旨を部下達に告げ、二人の襟首をムンズと掴み、ずるずると、大の大人二人を引きずって、歩き出した。