もしかしたら。
 この森に流れる時間は止まってしまっているのではないかと、疑いたくなる程。
 何日が過ぎようとも、雨は止もうとしなかった。
 もう、あの日から数えれば、そろそろ、半月が過ぎようとしているのに。
 ……雨も、稲光りも。
 ──だからその日も、窓の外を見遣っては、降り続く雨に溜息を付き、エドガーはテーブルの上に並べた懐中時計の部品を、一つ一つ手に取っては眺めていた。
 …………どうしても。
 半月の時を注いでも。
 時計は時を、刻まなかった。
「…はあ………」
 何がいけないのだろうと、何度考えても見遣っても、壊れているとは思えない、何故、時を刻まないのか判らないそれらに向かって、彼は又、溜息を付いた。
 ──もうそろそろ、真夜中になろうかと云う頃。
 今日一日で、何度付いたか判らない溜息を、又。
「…………いい加減にしろ…」
 …と。
 それまで、時折吐き出される彼の溜息を、黙って聴いていたセッツァーが、ぼそりと呟いた。
「えっ……?」
「いい加減にしろと、俺は云ったんだ…」
「あ、ああ……。その……御免」
 低く冷たく、向かいの椅子に腰掛けた彼から、苦情を告げられ。
 が、少しばかり嬉しそうに、エドガーは微笑みを湛えた。
 ──何を、どうしても、どうやっても。
 セッツァーが、己を無視し続けるなら、と。
 その日は朝から、彼の居場所である居間の、もう一つの長椅子に、エドガーは陣取り続けていたけれど。
 何を語り掛けても無言だった彼が、まさか溜息に答えるなどとは思わなくて。
 何をきっかけにしても、喋ってくれるなんて有り得ないと信じていたから。
 例えそれが苦情でも、何かを告げてくれたことが、エドガーには嬉しく感じられた。
「鬱陶しい溜息ばかりを付くなら、出てけ」
「だから、それは謝ってる。……一寸…その…天気が鬱陶しくて……。それに、時計も、直りそうもないから……」
「そうか……」
 だから、久し振りに、他人と言葉を交わすのが楽しくて仕方ない風に、彼が言葉を続けたら。
 それきり、セッツァーは黙ってしまったけれど。
「だが……。考えても、仕方がないのだろうね。天気のことも、時計のことも。なるようにしか、ならないのだろうから」
 にっこりと微笑んだまま、エドガーは一人、言葉を続けた。
 

 

 ──その夜が、きっかけだった。
 セッツァーの中に、如何なる心境の変化が訪れたのかは、謎のままだったが。
 この館にエドガーが捕われてから、一ヶ月が過ぎる頃には、話し掛けたことには一応、低くて抑揚のない返事を、セッツァーは返すようになっていた。
 相変わらず、問われた以上のことを語ろうとはしてくれないままだったけれど。
 エドガーにはそれでも、言葉を交わす相手が出来たことは、嬉しい事実で。
 少しずつ、少しずつ、あの日の出来事は薄れ、気が付けば、不出来な支度の食事にも、手を付けてくれるようになっていたセッツァーと云う存在に対する興味が、彼の中で膨らみ始めていた。
 人はそれを、好奇心、と呼ぶのかも知れないが。
 セッツァーに対する様々なことを知り得たら、と、エドガーは思うようになった。
 ──人はそれを、危険な好奇心、と呼ぶのかも知れない、が。
 

 

「何時になったら、この雨は止むのだろうね……」
 夜毎の習慣通り、酒を持ち出して来たセッツァーに、自分も相伴すると告げて得た、グラスの中の酒を傾けつつ。
 真夜中の居間の、窓の向こうに映る雷光と、青白いそれに浮かび上がる雨粒を、エドガーは見ていた。
 今日も、雨は降り止まず、雷鳴も止まらず。
 時計は壊れたままで。
 幾許か、疲れを覚えて彼は、虚ろな眼差しをした。
 酒精をその身に取り込んだ所為か。
 少し、眠たかった。
「……止まない」
 すれば。
 暫しの沈黙の後、いつもの長椅子に腰掛けたセッツァーが呟いた。
「え?」
 聞き届けた言葉を疑い、エドガーは瞳を見開いたが。
 待てども、雨の止まぬ理由は、返されなかった。
「…………セッツァー?」
 存在を無視され続けた頃のような、長い長い、長い沈黙の後。
 焦れたエドガーが、その名を呼べば。
「雨も止まなければ……。──────あれ、も…」
 漸く、セッツァーはそれだけを云い掛け。
 唯、首を横に振った。
「…セッツァー? あれ…って?」
 その態度を訝しみ、エドガーは再度問い掛けたが、急にやってきた眠気に負け、手の中のグラスを置き。
「君は……何を知っているんだい……?」
 長椅子の肘掛けに凭れた彼は、とうとう、瞳を閉ざしてしまった。
「色々、だ……」
 セッツァーは、向いの椅子にて、うたた寝をし出した彼に、聞こえぬように告げ。
「どうして、こんな気分になったんだろうな……」
 急速に、眠りの中へと引きずり込まれてしまったエドガーの傍らに立ち。
 腕を差し伸べ掛けながらも、随分と長い間、その指先を、彼へと届かせることを躊躇い。
 やがて、意を決したように、動きを止めていた腕を伸ばして彼を抱き上げると、居間を出て行った。

  

   

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