昔、な。
もう、何年前のことだったのか、俺自身、忘れちまう程……。
そう……。それくらい、昔のこと、だ。
多分……お前がこの世に産まれるよりも、ずっと昔。
この館に、一人の娘が住んでた。
家族や、供の者達と。
──結構、綺麗な女だったってことと。
世間知らずの、貴族のお嬢さん、だったことだけは……覚えてる。
一寸した縁で、俺はそいつと知り合って……恋仲になった。
恋仲って云えばな、聞こえはいいんだろうが……。
俺は、本気なんかじゃなかった。
あの頃俺は、定まった家も国も持たず、色んな場所を、ふらふらと漂って生きていたから。
行きずりの恋の一つ。
そんな恋の相手、としか、そいつのことを、見ちゃいなかった。
……でも。
それは最初の内だけで……少しばかり時が流れた後には、もしかしたら俺は、この女のことを、結構気に入ってるのかも知れない、そんな風に思うようになってた。
行きずりの恋の相手を、心の何処かで少しだけ、愛してるのかも知れない、そう思った。
でも俺には、それが認められなかった。
認めたくなかったし、認める訳にもいかなかった。
……身分違いの恋…なんてな。
叶う筈もないし、碌なもんじゃないし、良い結果を生んだ試しなんざないから。
……だが、それは、もしかしたら、何も彼もが言い訳にしか過ぎなくて、俺は、誰かを愛するってことが、怖かったのかも知れない。
唯、それだけだったのかも……。
今にして思えば、な。
だから。
俺は、その女の望むことの何一つにも、答えようとはしなかった。
その女は、俺に全てを与えてくれようとして、実際、その通りにしてくれたんだろうが。
そいつの望むことに、俺は答えられかった。
…………あの時代から、どれくらいの時が流れたのか、本当の処が、俺には判らないから。
エドガー? お前がこんな話、信じるかどうかは判らないが。
昔々…未だ、そいつが生きていた頃、世界には、不思議なことが沢山あって、不思議な連中も溢れていて、な。
全てを与えたのに、何一つも返されなかったあの女は……最後に、そんな連中の手を借りて、呪いのようなものを、俺にくれた。
貴方は何一つ、私にはくれなかった。
でも私は、貴方を手放したくないから……と。
そいつは…………自分の持っていた何も彼も……自分を囲んでくれていた、家族も、周囲の人間も、何も彼も犠牲にして。
その代価に、時を止めた。
この館と、館を囲む森と……俺に流れる時、を。
────酷い雷雨だったあの日……この館に息づいていた人間全てが消えて。
俺は一人、残された。
一日中雷鳴が響いて、滝のような雨が降り続いたあの日が、永遠に繰り返される中に。
私は貴方を手放したくないから。
例え、何を犠牲にしても、手放したくないから。
貴方が、私を愛してくれなくても。
私に、手を伸ばそうとしてくれなくても。
私は貴方を手放したくない。
だから私は、貴方の時を止めましょう。
貴方から、愛すると云う感情を奪いましょう。
永遠に巡る、『同じ一日』の中で、死ぬこともなく、誰と触れ合うこともなく、貴方が生きて行くように。
私を、本当には愛してくれなかった貴方だけれど。
貴方が、他の何者も愛することがないなら。
永遠に巡る同じ一日の中で生き続ける貴方を、私は捕え続けるに等しいでしょうから。
貴方が、誰かを心から愛して、誰かが、貴方を心から愛さない限り。
貴方へ注いだ私の愛が、貴方の中で殺されない限り。
永遠に巡る同じ一日の中で、貴方は。
…………今際の際にそう云った、あの女の言葉通り。
永遠に同じ時を繰り返す、この森の直中に、俺は。