真っ青な顔で。
 肩で息をし。
 消えた筈のエドガーが、館の玄関を、荒々しい音と共に開け放ったのは、セッツァーが絶望の淵へと落ちてより、二日程後のことだった。
 ──あの、晴れた日。
 扉を叩く音を訝しみつつも、セッツァーの帰宅かもと応対に出てみれば。
 そこに立っていたのは、一ヶ月と少し前、彼と共に、この場所へと迷い込んだ従者の一人だった。
 他の従者達と逸れてしまったのが幸いしたのか、たった一人、生還を果したその者は、三十と少しの日々が過ぎても戻らぬ主を、諦めてはいたけれど。
 少し前より、化け物が住むと云う噂に名高い迷いの森に、うっかり踏み込んでしまっても、惑わせられることなく家路へと着けるようになった、そんな話を聞き及び。
 一縷の望みを託して、従者は、主を探す為の人出を伴い、森の奥深くへ分け入り。
 あの日の館へ辿り着いた彼等は、主が何かを云い募ろうとしたのも聞き届けず、無理矢理に、連れ帰ってしまった。
 ──その行いは間違いなく、エドガーのことを慮ってのことで、まともな心根を持った、貴族に仕える者であるならば、誰もが、そうしたのだろう。
 こんな場所で、化け物相手に苦労を強いられただろう主が、その刹那、待ってくれ、と声高に叫んでも、一切の理解が不能で、が、彼等に責はないのだろう。
 けれどそれは……何処までも、エドガー本人の意には添わぬもので。
 己が、どう云う意味で彼を愛しているのか、知りたかった彼は、連れ戻された館より……自身が生まれ育った、本来の居場所である館より、無理矢理、抜け出した。
 ──後先など、考えなかった。
 彼と離れていた二日と云う時間に、途方もない不安を与えられた。
 あんなに、切なそうに過去を語り。
 去らぬ己に安堵を見せたセッツァーが。
 二日の時を、どうやって過ごしたのが、気になって仕方なかった。
 永遠に巡り続ける筈だった、『同じ一日』より解き放たれて。
 長らくの望みを、漸く得られたのだろうに。
 喜びも束の間、又、孤独へと返された彼のことを想うと。
 本来ならば、留まれと叫ぶだろう理性の言葉も、聞こえはしなかった。
 …………いいや、何より。
 如何なる意味合いだろうと構わない、好きであることは間違いない、『愛していること』も疑いようのない彼の元に、戻りたくて、仕方なかった。
 凍り付いた森の中に迷い込んだあの刹那に、歯車が狂っただけなのだとしても。
 ──だから、エドガーは。
 全てを捨て去ってもいい、そんな覚悟で、この館に帰って来たのだけれど。
 

 

「セッツァー……?」
 あの日々の中で彼が、大抵の時、緩慢に『一日』をやり過ごしていた居間へ、エドガーは入った。
 そこには思った通り、長椅子にもたれる彼の姿があったから。
「すまない、勝手に消えたりして。……あの時の供の者が、私を探しに来て……──。………………セッツァー…?」
 何も告げず消えてしまった訳を語りながら、彼の元へと近付き……が…空が晴れ渡った日より、安堵を浮かべるようになった紫紺の瞳が、動こうともせぬことに気付いて。
「セッツァー……?」
 その傍らに跪き。
「セッツァーっ」
 エドガーは何度も、その人の名を、呼んだけれど。
 肩を揺さぶる衝撃と、耳に届いた『音』に、伏せ加減だった面を、セッツァーは上げこそしたが。
「…………セッツァー……?」
 もう、視点の定まらぬ紫紺の瞳が、紺碧色を捕えることはなく。
「…………」
 音にならない何かを呟こうとしているのか、乾いた唇だけを微かに動かして、彼は再び、俯いてしまった。
「セッツァー。ねえ、セッツァー。帰って来た……んだ……。意味は……意味は判らない。判らないけれど……。私も…私もやっぱり、君のこと、愛してるんだって……何となく…だけど……気付けたんだよ……? セッツァー? なのにどうして……君は私を見てくれない……?」
 ──彼の、唯ならぬ様子に。
 この二日、ずっと覚え続けていた不安は、誤りではなかったのだと思い当たり。
 セッツァーの肩を揺すり続けながら、エドガーは、訴えることを止めなかった。

 

 

 巡ることさえ止めた時から、漸く放たれた彼が。
 従者達の手に抗いきれなかった己の仕打ちを受け。
 孤独へと返された彼が。
 何も彼もに、絶望してしまったのだとしたら。
 己であることすら止めてしまう程の、遠い場所に迷い込んだなら。
 どうやって、彼、セッツァーをそこから取り返したら良いのかなど……思い付けなくて。
 エドガーは、唯。
 訴えることのみ、を。

  

   

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