今はもう、この世には在いてくれぬ人の墓前で、友だと思っていた男に働かれた乱暴が終わった後。
私は多分、己でも気付かぬ内に、涙を流していたのだと思う。
生理的な何かが流させたそれだったのか、痛手を受けただろう心が流させたそれだったのか、あの時の私にも、今の私にも、未だに判らないことだけれど。
私は確かに涙を流していて……そして、放心し、女性のように、泣き濡れることしか出来なかった私に向けて、彼はこう言った。
「鬱陶しい」
……と。
──その時の私が、幾ら心壊れた人形のようであったとしても。
『見えてはいなかった』が、何も見えなかった、という訳ではなく、『聞こえてはいなかった』が、何も聞こえなかった、という訳でもなかったから。
全てが終わった後に、ぼそりと呟かれた、鬱陶しい、という彼の一言を、私は拾い上げること叶った。
………………鬱陶しい、と言うその一言を、聴いてしまった最初。
怒りとも、絶望とも付かない、如何とも表現し難い感情が、私の中を駆け抜けた。
墓所、という、死者に対して礼儀を払うべき神聖な場所で蛮行に及び、思うさま私を苛んだ挙げ句。
与えられた出来事に、涙しつつ打ち拉がれる姿を見遣っての一言が、鬱陶しい、だなんて。
人間が吐ける言葉とは、到底思えなかったから。
……まあ、今にして思えば…………そんな風な、怒りなり、絶望なりを灯せる程度、私の心の中の何処かは、冷静だったのかも知れないけれど。
唯、絶対の事実として言えることは、私の中にそういった感情が過ったことと、彼、セッツァーの台詞がそんな物だった、ということだ。
だから私は、溢れる雫の所為で歪んでしまう世界しか、私自身に見せてくれない瞳を何とか動かして、セッツァーを、睨んだように思う。
でも、何事もなかったかのように、さっさと衣装の乱れを正し、立ち上がった彼は。
何処か、侮蔑するように私を見下ろし。
「……いい加減にしとけ? そりゃあ確かに、『代わり』の『何か』を拵えてやろうか、そう言ったのは俺の方だが。事実、そうしてやったから、お前は『そう出来て』やがるんだろう? それが、鬱陶しいと、俺はそう言ってんだよ」
さも、下らない、といった表情を、刹那作り上げると。
もう、私などに興味はない…………いいや、私など、見えていないかのように。
コートの裾を靡かせつつ踵を返し、村へと続く、小道を辿って行った。
────そうして、彼が去った後も。
与えられてしまったこと、与えられた言葉、鬱陶しい、という、彼の思いの根源、といった、沢山の物に打ちのめされた私は。
奪われた衣装を掻き集め、様々な『名残り』の残る肌を隠す処か、セッツァーに投げ捨てられたままの姿勢で、草いきれの中に横たわっているしか出来なかった。
暗く、どんよりとした、重たい空をぼんやりと見つめ。
湿り気を孕んだ『そよ風』に頬を打たれながら。
セッツァーの後ろ姿が小道の向こうに消えるや否や、ぽつりぽつりと降り出した雨が、南国特有の、激しい俄雨と化しても。
私はその場に身を投げ出したまま、冷たい雨に濡れているしかなかった。