私はどうして。
 どうして、生きて来たのだろう。
 サマサの村でのあの出来事を経て後、どうして私が歩いて来られたのか、その理由を私は知っているけれど。
 ……どうして、私は生きて来たのだろう。
 どうして、歩いて来られたのだろう。
 ──こんな日々の始まりにセッツァーが言った、私という人間は、支えのような『何か』がなければ、生きては行けぬ質だというそれは、紛うことない、事実なのだろう。
 それは私自身も、認める処だ。
 でも。
 そんな私を歩かせる為にセッツァーが与えて来た『何か』は、あのような物だったから。
 私にはそれを、『支え』とするか否かの、どちらを選び取るかの、選択権が残されていた筈なのに。
 どうして私は、セッツァーが投げ付けて寄越した『何か』を、『支え』とする道を選んだのだろうか。
 ……人を憎むこと、それは確かに、生きて行く為の支えにはなる。
 復讐、という原動力は時に、何よりも有益な、生きる理由になり得る。
 けれど私は元々、そんなものを望んでいた訳ではないし。
 私が望んでいた物は、かつて、私の傍らに常に在ったマッシュや、少なくとも私は『友人』だと信じていたレオ将軍のような、そんな存在であり。
 私の胸の内を、暖かく満たしてくれる『何か』であって。
 如何に有益とは言え、憎しみだとか、恨み辛みだとか……そういった物を、後生大事に抱えて、それを果たす為だけに、生き、歩き続けられる程、私という人間は、強くないから。
 セッツァーが、訳の判らない理屈と共に、私へと投げ付けて来たそれが、真実許せなくて、投げ付けて来た当人であるセッツァーが、真実許せなくて、そして、真実、『憎かった』と言うなら。
 私は、あの出来事が成されてしまったサマサの村で、本来なら、この世との別れを、告げていた筈だろうに。


 どうして、私は、『こうやって』。
 生きて来たのだろう。
 歩いて来たのだろう。


 私はどうして。
 今日も未だ、生きているのだろう。

 

 

 

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