────ははーん……。
少し前までの、遊女達と己のやり取りに困惑していた時とは又違う、どうにもらしくない龍斗の風情に、彼女は一人、胸の中でのみ頻りに頷いた。
…………よく考えてみれば判ることだった。
遊女達が憂さ晴らしに口にする、下世話な話に興味を抱いた──否、そんな話を、例え僅かだろうと聞いていたことからして、既に彼らしくない。
世を儚みたくなる程に野暮なこの彼は、『そちら』が絶望的に疎く、本当に男なのかと疑いたくなるまでに、男の体の理も、女の体の理も解さない。
そんな彼が、遊郭内のとは言え、閨事に絡んだ淫らな話に興味を覚え、あのような、何かを心得違いしているとしか思えぬ問いをしてきたのだ、それには多分、相応の理由がある。
恐らくは、誰かに惚れた、とか、惚れた誰かと身を重ねた、とか、そんな経験を経て……、と言う風な理由が。
────そうだ。そう考えれば、この妙な成り行きにも、龍斗の妙な問いにも合点がいく。
だが、こんな野暮天が、一体誰に惚れたのだろう。誰と、そのような仲になりたいと願う──若しくは、そのような仲になったのだろう。
……多分、最も有り得るのは、美里藍だ。
いや、比良坂かも知れない。然もなければ雹かも知れない。涼浬も有り得る。
でも………………。
────うんうんうん、と。
幾度も、自身の中でのみ頷きながら己が考えを噛み締め、次いで、だとしたら、と龍斗の相手までをも想像し、仲間である彼女達の顔を、一人一人思い出していた桔梗は、何故か、あの赤毛猿──京梧を思い浮かべてしまい、顔を顰めた。
龍斗が惚れた相手は京梧である、それは、藍以上に有り得る、と気付いてしまったが為に。
……その言動の所為で、どれだけ疑わしく感じても、龍斗は男だ。
京梧に至っては、疑う余地もなく男だ。
だが、黒船がやって来て以来大分廃れたとは言っても、衆道の者達が消えた訳ではなく、そういう者達を、そうと知って見て見ぬ振りしている者も少なくない。
どうしたって、両人共にその道の者には見えないが、龍斗は誰よりも京梧を慕っている風だし、共にいるのも常に彼だし、龍斗の尻拭いをするのは京梧と決まっているし、京梧は最近、吉原からめっきり足が遠退いている。
少し前、吉原に誘っても誘っても、のらりくらりと躱されて、結局は袖にされる、と們天丸がボヤいていたから、間違いはない。
…………と、言うことは。この勘働きも、案外。
────そう。
そう思い当たり、彼女は、あの赤毛猿が、たーさんと!? とムッとし、けれども、次の刹那には、ニヤっとほくそ笑んだ。
「そうだよ。惚れた相手以外に、閨での様なんて見せたくないのが道理じゃないか。躰の隅から隅まで、何も彼も綺麗に晒しちまうんだよ。そんな姿で、こんなことをされただの、あんなことをされただの、語るのは恥ずかしいじゃないか。そういう姿もそういうことも恥ずかしいさね」
「そ、そう……なのか……?」
「ああ。抱き合ってる当人達だって恥ずかしい筈だよ。……まあ、その口振りからして、たーさんには不思議な話なのかも知れないけど、惚れた相手が、布団の上で酷く恥じらう姿は愛おしいって感じる男も多いから、そういうもんだと思っとけばいいんじゃないのかい? って、ああ、そうだよ、そういう相手が出来たら、たーさんも試してみるといいんだよ。そういう時に、これでもかって言う程恥じらってみせれば、きっと相手は喜ぶし、あたしの言ってることが判るようになるってもんだよ」
そうして、込み上げる笑みを無理矢理に抑え込み、龍斗が付いて来られないのを承知の上で、桔梗は、あることないこと、立て板に水の勢いで語り聞かせる。
「そ、の……。桔梗……?」
案の定、彼女の勢いにも話の内容にも、きょとんとしつつ、龍斗は困惑した風になったが、
「だから。そういうことは恥ずかしい、ってのと、惚れた腫れたの相手と閨で……、ってなったら、目一杯恥ずかしがって、嫌がって逃げまくれば、相手は喜ぶ、ってのだけ覚えとけばいいんだよ、たーさん」
ここぞ! とばかりに、彼女は、「これだけ忘れなければいいのだ」と、刷り込むように言った。
「そうなのか? と言うか、喜ばせないといけないものなのか?」
「そりゃそうさ。好きな相手には、どんなことでも喜んで欲しいだろう?」
「……まあ、確かに」
そんな、半ば大ボラな『忠告』のいい加減さにも、己が抱かれる側であるのが前提として語られているのにも、これっぽっちも気付けず。
そうか、そういうものなのか、良いことを教えて貰った、やはり、この手合いは桔梗に尋ねるのが正しい、と龍斗は、こっくり深く頷いて、何処となく晴れやかな顔付きになり、
「すまなかった、有り難う、桔梗」
仲間達皆を惹き付けて止まない、極上の笑みを桔梗へ注いだ。
「やだねえ、他人行儀な。いいってことさ。気にしないでおくれよ、たーさん」
その笑みに、ほんの少々、罪の意識を感じないでもなかったが。
勘通りなら、己の弁を龍斗が信じ込んだ果て頭を抱えることになるのは、只でさえ気に食わないのに、選りに選って、素知らぬ顔して龍斗に手を出したあの赤毛猿、ああ、好い気味だ、と。
ここの処感じていた溜飲をも下げ、すっきり晴れやかな顔で、桔梗は龍斗に笑み返した。
──そう言えば以前、切支丹宣教師の御神槌が、聖書とか言う教本片手に子供達へしていた説教の中に、全ての人の親に当たる男女が、騙されて、食べてはならない知恵の実を食べ、楽園だか極楽だかを追い出された、って話があった。
今の龍斗は、その知恵の実を、知らず食べてしまった男女に等しいのかも知れない。
だとするなら自分は、男女を騙した蛇になってしまうけれど、あの男が困るなら、それも本望。──と。
そんなことをつらつら思いながら桔梗は、愉快で堪らないと、殺し切れない忍び笑いを洩らしつつ、
「さあ、たーさん。そろそろ、村に帰ろうか」
今宵は、『あの男』も居座る筈の鬼哭村へ、と肩越しに龍斗を振り返り、妖狐のように目を細めた。
End
後書きに代えて
桔梗姐さんの、入れ知恵大作戦の巻。
後で、被害を被るだろう京梧に合掌。
──桔梗姐さんは、好きキャラの一人なのです。
うちの桔梗さん、別段、京梧を毛嫌いしてる訳じゃないんですが、龍斗にベッタリだし、気が付いたら天戒と何となく仲良くなってるし、な彼を、苛め倒したいお年頃なのですよ。
多分、ノリは小姑(笑)。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。