東京魔人學園外法帖
『太極』
前書きに代えて
この作品は『風詠みて、水流れし都 始まり ─1866─』の、「慶応二年 再び 〜夏〜」の後半から「慶応二年 秋」の壱(龍斗側、京梧側、共に)までの部分を、別視点で描いた物です。
申し訳ありませんが、その旨、ご了承下さいませ。
尚、当作品には、R-18に該当する部分があります。
『二度目』の慶応二年の、水無月が終わろうとしていた夜だった。
所は、鬼が棲むと江戸の者達に恐れられる山の中腹にある鬼哭村の、その中程にある広場。
紅蓮の炎を写し取ったかの如くな赤い髪をした、柳生崇高──その年の桜の盛りの頃より、江戸の街に、徳川の世に、災厄を振り撒いていた張本人だった男が、その夜、その場に集った若者達に縁ある場所、縁ある者、それ等に呪いを与えて消えた後。
居合わせた者達は、如何とも例え難い気分を胸の中に抱え、困惑したように、己以外の者の面を見比べていた。
倒幕を誓い世に乱れを齎す『鬼』となった鬼道衆の者達と、その『鬼』を狩る役目を与えられた龍閃組の者達、と言う幾月にも亘り敵対し続けてきた彼等が、鬼哭村の広場にて顔付き合わせることになったのは、言わば、成り行きと言う奴だった。
成り行きは、誰もが思ってもみなかった道を転がり、敵同士の彼等を鉢合わせさせ、その眼前で、いきなり、これまでに起こった様々な出来事の黒幕は、柳生崇高、との真相を暴いた。
故に、龍閃組も鬼道衆も、敵と居並んでいる己達の今、柳生崇高に己達は踊らされていたのだとの事実が与えてくる衝撃、それ等に、如何とも例え難い気分を感じていた。
…………が。
その時、彼等が微妙な心地を抱かされる羽目になったのは、それだけが理由ではない。
龍閃組の一人である蓬莱寺京梧と言う剣士と、『二度目』の慶応二年のその時は鬼道衆の一人に数えられていた緋勇龍斗と言う拳士の二人が晒す、『今』にも理由があった。
それまでに、龍閃組と鬼道衆は嫌と言う程やり合ってきたから、皆、面識はあって、故に、彼等の『今』が言葉を交わす程度だったならば誰も不思議とは思わなかったが、鬼道衆と柳生崇高との揉め事の最中、突然、広場に姿現した京梧の許に、柳生崇高が消えた直後、龍斗は何も彼も頭から飛ばしてしまったように駆け寄り、半ば縋り付かんばかりになって、京梧は、彼の着物の襟元を掴み上げ、そこに、今にも泣き出しそうになった面を伏せてしまった龍斗を肩を叩きながら宥め始め、以降二人は、そのままになってしまったので。
只でさえ戸惑うしかない状況で、何が何だかさっぱり判らぬ中、京梧と龍斗のそんな様を見せ付けられた一同は、立ち尽くし、沈黙だけを続けた。
視線は、二人に釘付けだったけれど。
龍閃組の者達──美里藍や、醍醐雄慶や、桜井小鈴の三名は兎も角、鬼道衆の者達──頭目の九角天戒や、桔梗や、九恫尚雲や、風祭澳継や、嵐王の五人は、どうして、龍閃組の者などと、深い事情のある同士のように、と龍斗を非難したい衝動に駆られないではなかったが、さりとて、普段は、春風が人の形を取ったらこうなるのではないか、と思える程のおっとりさ加減を誇る、年がら年中ぼーーー……っとしている龍斗が、泣くのを堪えている風に京梧に縋ってさえいる最中、ああだこうだと言うのは躊躇われてしまって……、結局。
仲間達の視線を釘付けにしているのも気付かず、互いしか見ていないような京梧と龍斗を、一同は長らく、見守らざるを得なくなってしまった。
延々、微妙な心地に苛まされつつ。
その結果、何となし、皆、実
いい加減にしろ、と言わんばかりの、大きくて不自然な咳払いは、京梧と龍斗の耳にも届いたようで、漸く二人は、「あ?」と九角の方へ顔巡らせ、
「……もう、宵の口も終わる。全員、屋敷に上がれ」
誰とも目を合わせずに九角は、ぼそぼそ、そんなことを言い出した。
「天戒様?」
「…………龍閃組。成り行き上、致し方ないから、軒先くらいは貸してやる。俺にとて、それくらいの慈悲はある」
彼は一体、何を言っているのだろうと、傍らの桔梗は目を瞠ったけれど、九角は、より小声で言い訳を告げ終えると、くるり、自らの屋敷へと身を返した。
それでも、残された一同は暫し、どうするべきかと戸惑い続けたが、自分がそう言っているのだから、との態度を九角が取ったことに、ここは甘んじるべきなのかも知れない、と。
ぞろぞろ、所在無さげに彼の後に従って、屋敷の広間に上がった。
幼子達はもう布団に追い遣られたろう時刻、『御館様』である九角を筆頭に、人々がわらわらと座敷に上がろうとした故だろう、何事かと、村の女衆の幾人かが様子窺いにやって来た。
一団の中に混ざる、見慣れぬ顔触れに女衆は一様に不安気になったが、九角の、自分の客だ、との苦し紛れの言い訳を彼女達はすんなり受け入れ、
「御館様のお客人なら」
と、手早く人数分の夕餉の支度を整え振る舞い始めてしまって、そんな彼女達に、自分達はそのような暢気にし合う間柄ではなく……、とも言えない一同は、共に食事を摂ることになってしまった。
話が弾む筈無いのは言わずもがな、どう頑張った処で味わえようない、上手く喉も通らない、気拙いだけの夕餉を。
瞬きもせぬ勢いで、己の前に置かれた黒塗りの膳だけを凝視し、一心不乱に彼等は箸を進めた。
村人達の心尽くしに手を付けなかったら罰が当たる。
だからって、和気藹々、世間話と洒落込みながら食事を、なんて出来る訳がない。
本当は美味いのだろう品々は、飲み込むに飲み込めないくらい不味く感じるけれど、何としてでも飲み込まないと。
…………と、皆が皆、半ば悲壮な覚悟と共にそう思いつつ、ひたすらひたすら箸と口だけを動かした為、夕餉はあっと言う間に終わってしまった。
カタコトと、膳と器が触れ合う音だけが座敷に響いて、その音が静まった頃、
「あら、お早い。皆さん、お腹が空いてらしたんですか?」
と言いながらやって来た、年増の人の良さそうな女性達が膳を片付けて、次いで、「お酒でも?」と言い出したのを、少々慌てながら九角が押し留めて下がらせたら、再び、困り果てるしか出来ない刹那が、一同に訪れた。
「……あー…………。その…………」
余りの居た堪れなさに、叫び出しそうになる者すら出そうになるまで、落ち着かない沈黙は続き、が、やがて、これではいけないと、鬼道衆を率いる者としての責任感のみで九角が沈黙を破ったが、何からどう話を始めたら良いやら判らなくなってしまった彼は、直ぐに口を閉ざし、
「…………ええと、だな……」
この手の沈黙は大嫌いな筈の短気な京梧も、某かを言い掛けて止めた。
九角や京梧だけでなく、他の者達も、唇を開き掛けては止め、開き掛けては止め、を繰り返して。
「桔梗」
やがて。
例えば、上座だの下座だの、と言った些細なことを持ち出し、それを切っ掛けにしての言い争いが始まったら堪らぬからと、それとなく、皆が何となしの車座になるように仕向け、己は、ちょん、と龍閃組と鬼道衆の中間を占めるように座って、じっと成り行きを見守っていた龍斗が、桔梗を呼んだ。
「……たーさん? 何だい?」
「比良坂を呼んで来て欲しい」
「比良坂を? 判ったよ」
腰が落ち着かぬ風にそわそわしていた桔梗は、龍斗に呼ばれ、あからさまに安堵の顔を作って、彼に言われた通り、鬼道衆の仲間の一人、比良坂を呼びに立った。
「龍?」
「ひーちゃん?」
どうして、いきなり龍斗がそんなことを言い出したのか誰にも判らず、「この場に、更に人を増やす気か?」と、九角と京梧は同時に龍斗を呼んで。
互いの声が重なってしまった、と気付いた途端、……あ、と思わず目と目を合わせてしまった二人は、喧嘩をした直後の子供のように、ふんっ! と、揃ってそっぽを向いた。