翌、早朝。
朝の支度を始めようと、九角の屋敷を訪れた村の女衆は、どうやら一晩中酒を呑みながら話し込んでいたらしい二人の剣士が、座敷の片隅で、揃って引っ繰り返っているのを見付けた。
過ぎる程酒を呑んだからなのか、それとも、二人共に、引っ繰り返りつつも手より零さない刀を用いて何やらをしていたからなのか、それは女衆には判らなかったけれど、兎に角、つい先程寝た──と言うよりは落ちた──らしい『屍』が、ごろんと二つ、転がっていたのは確かで。
御館様の屋敷の朝の支度を整えるには激しく邪魔な二体を見下ろし、片方が自分達の御館様であるのを重々承知しつつも、女衆は、「……邪魔」と声に出して呟いたが、さりとて、女だけでは数人掛かりでも動かしようのない図体をしている二人を、彼女達にはどうとも出来ず、結局、転がる二体を見なかったことにした。
そういう訳で、見捨てられた『屍』二体は、女衆に次いで朝の早い九恫が起きて来るまでそのままにされ、彼女達のように、転がる二人を、じっ……、と見下ろした彼は、何を思ったか踵を返し嵐王を呼びに行って、朝っぱらから引き立てられた嵐王は、『屍』達を見遣るなり、問答無用で叩き起こすと、懇々と苦言を呈し始めた。
夜明け頃、やっと寝たらしい二人は、そうされても、ふぅらふらと上体を揺らしており、彼等の誠にだらしない様に、嵐王は益々苦言に力込めたが。
「京梧! 京梧は来ていないかっ!? ああ、尚雲、昨日、京梧がここに来た筈なのだがっっ」
そこへ、藍を引き連れ、血相変えた龍斗が飛び込んで来た。
「師匠か。蓬莱寺なら、そこに」
雄慶に、鬼哭村に行く、と言い残して出掛けたまま、一晩戻って来なかった彼を案じてやって来たのだろう彼は、目に止めた九恫に切羽詰まった声で京梧の行方を尋ね、尋ねられた彼は、仁王立ちしている嵐王の向こう側に九角と並んで座りつつ、よろよろしている京梧へ顎を杓る。
「京梧?」
「あ、ひーちゃんっ!」
「龍ではないか」
何やら複雑そうな面を拵えている九恫に示された所を見遣って、「これは一体……?」と龍斗は首傾げ、渡りに船とばかりに、ぱっと顔輝かせた京梧は慌ただしく彼へと駆け寄って、九角も、嵐王の目から逃れる風に、そろっとそちらに寄った。
「京梧、心配したのだぞ? 私も夕べは戻るのが遅くなってしまって、なのに雄慶が、お前は鬼哭村へ行くと言って出て行ったきりだと言うから。何か遭ったのではないかと思って……。なのに何故、このような朝早くから、天戒と二人して、嵐王に何やら言われている?」
「悪かったな、心配掛けて。……何、大したこっちゃねぇよ。ちょいと、って奴だ。なあ? 天戒?」
「ああ。京梧の言う通りだ。龍、お前が気に掛けるようなことは何も起きていない」
が、嵐王の尖った言葉と見据える眼差しから逃れられたと思ったのも束の間、今度は龍斗に事情を語れと迫られて、京梧も九角も、揃って誤摩化し笑いを浮かべた。
「………………京梧? 天戒? 本当に、何が遭った……?」
当たり前のように互いの名を呼び、示し合わせた風な態度を取った二人を見比べて、龍斗は、酷く驚いた顔になる。
「だから、大したこっちゃねぇって。──それよりも、ひーちゃん」
しかし京梧は、に……っこり、と誤摩化しの笑みを深めつつ、がしっと強く、龍斗の右肩を掴んだ。
「な、何だ……?」
「立ち合い、しようぜ?」
「立ち合い? お前と私とで?」
「いいや。龍、お前と、京梧と俺とでだ」
多くを語ろうとしないくせに、やけに爽やかな笑みを浮かべる京梧を訝しむ龍斗の左肩を、今度は、朗らかな笑みを浮かべた九角が、がしっと掴んだ。
「天戒? ……え? 私とお前達とで、と言うことか?」
「そうだ」
「そうだぜ」
「……何故?」
「何ででも」
「どうしても」
思わず仰け反りたくなる笑みを拵えた二人に両脇から迫られて、龍斗は訝しみや戸惑いを深める一方だったけれど。
「やるのか? やらないのか?」
「どっちだ、ひーちゃん?」
「私は、その……。お前達が、どうしても、と言うなら構わぬが……」
同時に、二人に一歩ずつ迫って来られて、思わず龍斗はこくこくと頷き、立ち合いを承諾した。
「おっしゃ! そうと決まればっ!」
「今直ぐ始めるぞ」
だから、京梧も九角も、してやったり、の顔付きになり、
「ひーちゃんから一本取ったら、次はお前とだからな」
「それは、こちらの科白だ」
「ほーお。…………覚えとけよ?」
「お前こそ」
二人は、肩を掴んだままの龍斗をずるずると引き摺って、座敷から庭の向こうへと消えて行った。
「………………あの。九恫さん? 蓬莱寺さんと兄に、何か…………?」
目を瞠って成り行きを見守っている内に、彼等に何処へと行かれてしまい、藍は、縁側に立った九恫を見上げる。
「さあな。俺にも判らんよ。但、若と蓬莱寺が打ち解けたらしいのは確かなんじゃないか?」
ちろりと藍を見下ろし、が、直ぐに眼差しを持ち上げ、九恫は、生け垣のあちら側にちらちらと覗く三人の背中を見送った。
「……そうですね」
「そして、それは良いことだろう? 若にとっても、お前達にとっても、多分、俺達にとっても」
「…………はい」
彼に倣って、彼女も又、男達の背中を見送り、祈るように手を合わせながら、そっと微笑んだ。
────慶応二年 文月の半ばの出来事は。
世を呪う柳生崇高を討ち果たすべく、龍閃組と鬼道衆が、真に手を取り合い、一つの『太極』となって行く、大きな切っ掛けの一つだった。
少なくとも、水無月の終わりから文月の半ばに掛けて起こった幾つかの出来事が、彼等に、様々な形の幸を、様々、落としたのは確かで。
慶応二年 文月半ばのその頃。
困難や辛苦を目の当たりにしつつも、誰もが、愛おしいと思う者と、友と、仲間と、取り合ったばかりの手を『信じていた』。
結び合ったそれが離れることは、もう有り得ない、と。
それより幾月が過ぎた、慶応三年初春、己達が迎える運命を知らず。
End
後書きに代えて
当サイトの外法帖二次小説の本編、『風詠みて、水流れし都 始まり ─1866─』の中の一部を、別視点で書いたお話でした。
陽→陰→邪、な流れで進む、うちの話に添って言いますと、陰編のラストから、(血風録の)邪編の冒頭までを、三人称@別名神視点(笑)で。
ぶっちゃけて言えば、うちの京梧と龍斗の初めて物語&龍閃組と鬼道衆(多分、正しくは、京梧と天戒)が仲良くなるまで。
──うちの龍斗は、ほんとー……にメルヘンの世界の人なので、色事に関すること全てに、?マークが付きまくります。
流石に一寸、京梧が不憫でした(笑)。
そして、私は、決してコメディを書いた訳ではありません(渾身の主張)。
例え、コメディにしか見えなかろうとも!(笑)
捏造未来編での龍斗は、色事に関し、『一応』真っ当(っぽい)ですが、そうなれたのは、偏に、京梧の血と汗と涙と努力の賜物です。
京梧、よく頑張ったね!(笑)
──閑話休題。
そんな訳で(何が)、うちの京梧は御館様のことを天戒と呼び、彼は、剣術馬鹿な彼のことを京梧と呼びます。
ま、喧嘩友達みたいな関係ですな(笑)。
天戒にも、そういう相手の一人くらいいてもいいだろう、と私は思ってまして、京梧みたいなタイプが、一番向きなんじゃないかと思ったんですよ。
言葉悪いですが、京梧って、「立場なんかどーでもいいじゃん」って口だろうから。
……私、夢を見過ぎかしら。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。