「立ち合い……? 俺と、あんたが?」
突然の言い渡しに、ふ、と動きを止め、纏っていた尖った気配も引っ込め、一つ呼吸をしてから、京一も又、少しばかり瞳の色を濃くして師を見詰めた。
「ああ、そうだ」
「……どうして」
「そうさな…………。ちったあ、不肖の馬鹿弟子が上達出来たかどうか、確かめたいから、って処か?」
「…………本当に、それだけかよ」
「師と弟子が立ち合うのに、それ以上の理由が要るか?」
何故急に、馬鹿シショーはそんなことを言い出したのかと、探りを入れる弟子に、師は、肩を竦めた。
「判ったか? 判ったら、行くぞ」
そうして彼は、返答も待たず、傍らに身に添わせる風に置いていた刀袋を手に立ち上がり、居間を出て行こうとした。
「って、一寸待ちやがれ! 唐突な野郎だなっっ」
向けられた背へと、京一は再び怒鳴ったが。
「…………時間がねぇんだよ」
ぽつり、と神夷は呟き。
「時間……?」
「何でもない。こっちの話だ。──とっとと来い。お前の学び舎──真神学園に」
「え、真神……?」
「……あそこの、体育館、だったか? そんなんの裏に、一本、古い桜があんだろ? ……そこで、待ってる」
肩越しに僅かだけ振り返り、今度こそ彼は出て行った。
「………………何なんだよ、っとに……」
それ以上は振り返らず、留まらず、行ってしまった彼に、京一は悪態を吐きながら、ガリっと髪を掻き毟る。
「……京一」
「ん?」
「何、だろ……。何か、変な感じって言うか……。俺は、神夷さんと初めて会ったから、実際がどうなのかは判らないけど……、神夷さん、何処となく、思い詰めてるって言うか、酷く思う処があるって言うか、そんな感じが……」
くわー! と叫び出した京一に向き直って、龍麻は、眉を顰めつつ思案気に言って。
「俺も同感だ。……京一さん、あんたと、あんたの師匠は、多分似過ぎてる。だとするなら……、腹の中に何も抱えず、あんなこと言い出すとは思えない」
「時間がないって言ってましたよね、神夷さん。『何の時間』かな……」
甲太郎も九龍も、何かが起こりそうな予感がする、と告げ始めた。
「……どうだかな。何考えてんだか、よく判んねえ野郎だしな、馬鹿シショーも。でも…………」
「でも、何? 京一」
「唯単に、『俺の今』を確かめる為だけに、こんな七面倒臭ぇことするようなタマじゃねえんだよな……。それだけなら、俺は今頃庭先に放り出されて、あいつの得物でぶん殴られてる」
「…………成程。じゃあ……、『特別』なことがある、とか……?」
「かもな。……ま、真神に行ってみりゃ判るだろ。…………お前等も、付き合うか?」
「あ、うん。俺は付き合うよ」
「俺も付き合います、京一さん! 今も言いましたけど、何か一寸、こう……モゾっとするんですよ。何か起こりそうな予感って言うか」
「九ちゃん。真神に行く前に、俺の部屋に寄って装備持って来い。そうした方がいい気がする。──構わないだろう? 京一さん?」
「ああ。……俺等の部屋も寄ってくぞ」
────だから。
どうにも不可思議と思える、微妙に納得のいかない神夷の態度に、思う処を告げ合った四人は、タクシーを拾い、京一と龍麻の『仮住まい』と甲太郎の『仮住まい』を経由し、
「……あ」
「どうした? 九ちゃん」
「雷管に繋ぐ導火線と間違えて、この間、桜ヶ丘の娯楽室で『拾った』手芸用テグスの束、持って来ちゃった」
「………………どうやったら、導火線と手芸用テグスを間違えられるんだ、この馬鹿っ!」
と言った具合に、タクシーの中でぎゃあぎゃあ騒ぐ九龍と甲太郎の口喧嘩をBGMに、真神学園へと向かった。
『旧校舎詣で』をする為、青年達に引き摺られるまま、甲太郎は幾度となく訪れた、九龍は初めて訪れた、残り少ないとは言え、春休み最中の所為でひっそりと静まり返っている都立・真神学園高等学校には、至る所に満開の花を咲かせる桜の木が植えられていて、「体育館裏の桜の木と言っても……」と、さて、神夷が言っていたのは、どの桜のことだろう、と二人は首を傾げた。
だが、何時もの竹刀袋とは違う刀袋を手にする京一も、腰のベルトに小さな鞄をぶら下げている龍麻も、戸惑う少年達を連れ、真っ直ぐ、体育館裏の寂れた一角に立つ、桜の古木を目指した。
高校時代、京一が昼寝場所と定め、年中登っていた、あの木。
卒業の日、ここから見る風景が、この学園の中では一番好きだった、と彼が龍麻に教えた、あの。
何時か、何時の日か、高校生だった頃の自分達よりも、少しは強くなれたと、誰にも胸を張れるようになったら、満開になる頃に見に来ようと、二人約束した……──。
「相変わらず、見事だな」
「……うん」
────その日は、たまたま、そういう星の巡り合わせだったのか、まるで示し合わせたかのように、東京中の桜が満開となっていて。
先を争っている風に咲き乱れる桜達同様、懐かしい古木も、零れんばかりの薄紅の花を誇っていた。
辺りの、どの桜よりも見事に。
その古木の、少しばかり手前で立ち止まり、京一と龍麻は、揃って花を見上げて目を細め、根元に佇み、己達のように零れる薄紅を見上げていた神夷へと近付いた。
「何だよ。見物人がいた方がいいってのか? ……ま、別にいいけどよ。立会人と思や、丁度いいってもんか」
やって来た彼等を振り返り、恐らくは先程携えていた刀袋に入っていた筈の、赤銅色の鞘に納まる、鮫皮地に黒絹紐の柄巻の、真鍮地真丸形肉彫の鍔を有する刀を、神夷は肩に担いだ。
その仕草は、得物を納めた刀袋を肩に担ぐ京一のそれに極似していて、一人、一歩だけ前へ進んだ京一と、古木の根元に佇み続ける神夷を見比べながら、九龍はこっそり、「あの二人、本当に赤の他人なのかなあ?」と、傍らの龍麻と甲太郎へ向け、囁くように言う。
「赤の他人、と言うには、似過ぎてると俺も思うけど……」
「さっきは恍けられたが、本当は血族なんじゃないか? 遠い親戚、とか。九ちゃんや龍麻さんの言う通り、二人の間に血の繋がりがないとは思えない」
囁きに、龍麻も甲太郎も、小声の肯定をした。
「さて、と。いっちょ、やるとするか」
「……待てよ、馬鹿シショー」
向かい合う師弟を、後退った三人が遠巻きに見詰めつつコソコソ言い合うのを他所に、師は、酷く軽い声で言い、弟子は、重い声を返す。
「何だってんだ。並べ立ててぇ御託でもあんのか?」
「腹割って、ホントのこと言いやがれ。どうして、わざわざこんな手間掛けてまで、立ち合え、なんて言い出したんだよ。稽古の一環じゃあねえんだろ?」
「……一々、細けぇこと気にしやがる野郎だな。肝っ玉の小せぇこった。下らねえこと考えてる暇があるなら、構えろ、とっとと」
…………だが。
師である彼は、さも、「うるさい」と言わんばかりに片目を瞑って顔を顰め、問答は無用だと、何時の間にそうしたのか、肩に担いでいた筈の、が、今は腰帯に差さる刀を、すらりと鞘より抜き去り様、強く地を蹴った。