──疾い、と、その場の誰もが思わず感嘆した程に鋭く踏み出しつつ、神夷は白刃を翻し。
「こ、の……糞っ垂れっ!」
軽業師の如く身を返し、何とか切っ先を避けた京一は、錦の刀袋より得物を取り出し、袋を放り投げ、抜いた刀を構え。
「え?」
「あ?」
龍麻は無言のまま、九龍と甲太郎の襟首を掴んで、彼等二人の剣圧も届かぬだろう隅まで退いた。
「龍麻さん?」
「退いてないと、巻き込まれるよ。……少なくとも、神夷さんは『本気』みたいだ」
「『本気』、か。確かにな……」
引いた理由を告げた龍麻に、甲太郎は頷きを一つ返し。
「ったく……、情けねえな、俺の馬鹿弟子はよ」
「るっせぇなっ! 一本取ってみせりゃいいんだろっ!」
「取れるもんならな。……取れなかったら……判ってんな? 振り回してるのは、互い、段平
「……そっくり返してやらぁ、その科白」
その間に、十メートル程の距離を隔てて、寸分違わぬ構えを取りつつ対峙した師弟は、何処までもよく似た笑みを浮かべ合いながら、それぞれ軽口を叩き、以降、ぴたり、と動きを止めた。
…………そよそよと、今にも緊迫の糸が弾けそうなくらい氣が張り詰めるその場には似つかわしくない春風が、寂れたその一角に幾度となく土埃を立てても、半眼で『敵』を見据える彼等は、微動だにしなかった。
「……動かなくなっちゃった…………?」
「動かない、んじゃなくて、動けない、だ」
「…………京一は、ね。京一は多分、一手を出し倦ねてる。神夷さんは……正直、俺にも判らない」
焦れる程の時間、指先一つ動かさず、纏った氣の大きさも力も同一に保ち続け、対峙だけを続ける二人を見比べ、自分が立ち合っている訳でもないのに極度に緊張してしまった九龍も甲太郎も龍麻も、ほう……、と溜息のような息を付いて、ボソリ、告げ合った。
「……馬鹿弟子。お前の意気地は何処行きやがった?」
──剣圧が築く結界の外にいる三人の小声が、それでも風に乗って届いたのか。
それを合図とした風に、神夷は、唇の端を嗤いの形に歪めた。
「意気地の問題じゃねえよ」
が、煽るような言い回しをされても嗤われても、京一は一切の風情を変えず。
「話は違うがよ、馬鹿弟子」
本当に僅かだけ、師は嬉しそうに目を細め、一瞬後には厳しさを戻し、が、口先を動かすことは止めなかった。
「何だってんだ、馬鹿シショー」
「答えは出たか?」
「………………え?」
「二年前、お前が一丁前に思い詰めてやがったことの答えだ。──お前の『あいつ』の何も彼も、全て、護り通す術は見付けたか? お前の心の形は掴めたか? 伝えたい言葉は得られたか? 真実強くなる為の路を、お前は辿っているか?」
「……師匠…………?」
「…………京一。お前は、今でも。今、この刹那も。強くなりたいと、そう願っているか? ひたすら誠に、強くなりたい、と。お前の、護りたいモノ全ての為に」
「そんなこと……、問われるまでもねえよ」
口調とは裏腹に、ずしりと腹に響くことを問うて来た師に、京一は、眼差し一つ逸らすことなく答えた。
「全部が、とは言わない。言えない。何も彼も全て護り通す術は、未だ俺には見えてない。情けねえけど、俺は多分、今でも、『立ち止まったままの馬鹿』だ。……でも。心の形は掴んだ。伝えたかった言葉も伝えた。…………俺は、今でも。この瞬間も。強くなりたい、そう思ってる。…………師匠」
「何だ?」
「……強くなりたい。俺は、強くなりてぇよ、師匠」
「…………………………っとに……。お前は本当に、不肖の馬鹿弟子だ……」
己を見詰め、よく通る声で言って退けた弟子に、師は、今度こそ、はっきりと判る薄い微笑みを浮かべ、呟き様、すっと、右肘を引いた。
「剣聖奥義────」
「……っ、剣聖!」
ふうっ……と、流れるように取られた構えと、低い、気合い代わりの掛け声に、京一も同じ構えを見せ。
「天地──」
「──無双!」
音よりも早く、それぞれの刀身を透明な青い光で染め上げた神夷と京一の二人は、同時に、彼等共にの最大奥義の名を叫んだ。
薄茶色した土を、草履の、靴の裏が強く削り、銀
……鈍く。
瞬の刻も掛からなかった筈なのに、その光景を見ていた龍麻達には何処か鈍く感じられた速さで、氣塊と氣塊は、ドン……、とぶつかり合い、一層の稲光りを生んで、押し合いながら弾け、一帯の空も、地も、風も、白に変えた。
「剣掌、神氣八剄!」
「剣掌、鬼剄っ!」
互いの間──若干京一寄りのそこで、弾け、砕けた、自分達の天地無双の氣を盾に、神夷は神氣八剄を、京一は鬼剄を、それぞれ打ち、再び迸った光の向こう側を目指す風に駆け出した彼等の姿は、消えた。
「京──……っっ……」
眩い光に溶けた所為で、姿が見えなくなってしまった恋人の名を叫び掛け、それを、グッと龍麻は飲み込む。
…………邪魔をしてはいけない。
神聖、とも言える、一対一の対峙──師と弟子、二人だけの理の世界に踏み込んで、邪魔をしてはいけない、穢してはいけないと、懸命に龍麻は声を殺し、眩い光が褪せ行くのを、焦れながら見守った。
そんな彼の傍らで、九龍と甲太郎は動くことも忘れたように、唯、固唾を飲み。
──やがて薄らいだ、光の向こうで。
師弟は斬り結んでいた。
刀身のハバキ近くを強く押し付け合い、競り合う風に。
「何か…………」
「ん? 何だ? 九ちゃん」
「何か、さ。神夷さんも京一さんも、懸命だよなあ、って思ってさ。……凄いや……。こういう世界があるんだって、一寸しみじみ思っちゃったよ、甲ちゃん」
「そう、だな」
立ち合い、と一口に括るには、凄まじい、と少年達の目に映る二人の剣士の姿は、何方も鬼気迫るそれで、ぽつりと九龍は呟き、甲太郎もぽつりと返した。
恐らくは、眩さの向こう側に消えていた間に負ったのだろう傷が、三人のいる隅からも、所々にはっきり窺えるのに、二人は、互い一歩も引こうとはせず。
「粘りやがるな。ヨチヨチ歩きが始まったばっかの、ヒヨッコのくせしやがって」
「そっちこそ。年寄りの冷や水は、程々の方がいいんじゃねえのか?」
悪態の言い合いを合図とした風に、唐突に鍔迫り合いを止めた二人は、パッと飛び退き距離を取って。
共に、又、ダンッ! と地を踏み。
「剣聖奥義!」
「天地無双!」
再びの、奥義を。