一度目の天地無双を上回る氣の強さで放たれた、二度目のそれが掻き消えた時。

カン、と乾いた音が、二度した。

京一の手の中にあった刀と、神夷の手の中にあった刀、それぞれが、地へと零れた音が。

「……痛み分けってトコだな」

「ちっくしょ……」

弧を描き、土に転がった得物を目で追い、やれやれ、と神夷は肩を竦め、京一はギリっと歯噛みする。

「一本、とまではいかなかったな。なぁ、馬鹿弟子?」

「うるせぇな……」

「…………だが──

露骨に悔しがる弟子を心底愉快そうに眺め、零してしまった得物を拾い上げ、口の中でブツブツ唱えながら己の得物を鞘に納める彼へと向き直ると。

「だが、何だってんだよ」

「馬鹿弟子。──京一。ちょいと心許なくはあるが、てめぇに、『神夷京士浪』をくれてやる」

神夷は、そう言い放った。

「…………はあ? 何、訳判んねえこと言ってやがる。その若さで耄碌したのか?」

『神夷京士浪』をやる、そう言われ、酷く不可解そうに京一は顔を顰めた。

「ほんとーーーーーー……に、馬鹿だな、てめぇは。しみじみ馬鹿だな」

「んだとぉっ!? このヤロ──

──俺の跡を継げっつってんだ。それくらい察しやがれ、馬鹿野郎。……今、この時から、お前が、法神流剣術の頭領だ。……ま、法神流剣術を今に伝えてるのは、俺とお前だけだがよ」

すれば師は、天を仰いで呆れつつ、『言い放ち』を続け。

「え……?」

「……『神夷京士浪』ってなぁな、俺が両親ふたおやから授かった名じゃない。幾人もの先達が、長い刻を掛けて次の世に授けて来た剣の技──俺達の流派の法神流剣術を、俺に託した奴の名だ。法神流剣術は、命が費えても、想いが費えても、何が費えても、次の世に伝え遺されて来た技。連綿と積み重ねられて来た技だ。神氣の如くに。……それを、今度はお前が継げ。そして又、次の世に」

目を見開いた弟子を尻目に、言いたいことは言った、と神夷はくるり背を向けると、桜の古木の根元に置いた、もうひと振り、太刀か何かが収められているらしい刀袋の許へと歩を進めた。

「ちょ……一寸待てよ、馬鹿シショーっ!」

到底、らしいとは思えぬ手を打ってまで、わざわざ、立ち合え、と言い出したのは、伝承の見極めの為だったのだと悟った京一は、彼の後を追った。

「何だ?」

だから、古木を前に、『神夷京士浪』で在ることを止めた師は、弟子を振り返り、

「……何でだよ」

拗ねた子供のような目付きで、京一は、彼を睨んだ。

「何が?」

「何で、いきなり、そんなこと言い出しやがった? 何で、『これ』が、今日だったんだ? ……理由があるんだろ? 白状しやがれ」

事情わけなんざねえよ。『神夷京士浪』をくれてやってもいいかと思える程度にゃ、お前が一丁前になったってだけだ」

「…………嘘吐け。俺は、今日だって、あんたから一本取れなかった」

「だから? それがどうした? 確かにてめぇは、さっきも俺から一本は取れなかった。だが。そんなことが、『強さ』の物差しになんのか? そうじゃねえことくらい、お前だって解ってるだろうが」

「だけどっ!」

そうしてそのまま二人は、胸突き合わせる風に言い争いを始め。

「……おい」

「あーのー、ちょーーーっと質問があるんですがー」

何時の間にやら彼等の傍に寄って来ていた甲太郎と九龍が、師弟喧嘩に嘴を突っ込んだ。

「あん?」

「話し合いは、もー少し建設的に進めた方がいいんじゃないかなー、と俺は思うんで。要らないお節介かなー、とも思うんですけど、お二人の話を建設的に進める為に、神夷さんに質問が」

「……どんな」

「さっき、京一さんの家で、神夷さん、言ってましたよね? 『時間がないんだ』って。それ、何のことですか?」

「…………さーてな。そんなこと、洩らした憶えは──

──『時間がねぇんだよ』。……あんたはあの時、確かにそう言った。あんたは知らないだろうが、俺は、一度耳にした言葉は忘れない質なんだ。──『時間がない』から、あんたは、今日、京一さんを跡継ぎに出来るか否かを見定める立ち合いを、わざわざ吹っ掛けたんじゃないのか? 京一さんがあんたに尋ねていることは、そういうことだろう?」

『神夷』で在ることを止めた彼にしてみれば、九龍や甲太郎は、馬鹿弟子とその相方が大層可愛がっているらしいのだけは察せられる、が、赤の他人同然の存在で。

『赤の他人』に正しく『要らぬ世話』を焼かれた彼は、刹那、渋い顔をしたが、少年達は、彼でなく、実の兄のような京一の味方であるので、追い打ちを引っ込めず。

故に暫し、一帯は気拙い沈黙に支配されたが。

「ええと、その……。……京一。酷くはなさそうだけど、取り敢えず、その怪我、何とかしようよ。神夷さんも。……そうしませんか?」

少年達と共に師弟の傍らに寄っていた龍麻は、一旦、話を逸らしてしまうのが良さそうだと、恋人と、恋人の師を見比べた。

「あ、ああ。そうだな……」

「うん。そうしようよ。それがいいよ。……えっと、さっき、部屋寄った時に持って来た魯班尺、俺、何処突っ込んだっけなー……」

「いいって、ひーちゃん。てめぇのことくらい──

──京一は大丈夫でも、神夷さんは、活剄とか使えないかも知れないじゃん」

実の処はかなり思い合っている筈、と見て取った師弟の間の空気が、何とか穏便に戻ればいいと、龍麻は執り成しを続け、

「……………………え?」

京一は、中国で会得した活剄が使えるからいいとして、神夷さんは、と魯班尺を探り当てた彼は、恋人の師を振り返って、己が目を疑った。

弟子相手に幾度か奥義をぶつけ合い、斬り結び、とした際に負ったのだろう彼の傷が、ゆるりゆるりと塞がっていくのを見てしまったから。

……彼の負っていた傷は、決して、深手ではなかった。

放っておいても、暫くすれば出血も止まるだろう程度だった。

だが、例えその程度でしかない傷であろうとも、ゆるり、とは言え、人の目に映る早さで塞がっていくなど、有り得ない。

自分達がそうであるように、彼も、或る程度の治癒の技が使えると言うなら話は別だが、どう窺っても、氣をも探っても、彼が、治癒の力を生んでいる気配は何処にもなく、又、そんな素振りもなく。

驚きで、龍麻は目を丸くし。

出来事を目の当たりにした京一や九龍や甲太郎も、無言で視線を交わした。

「…………詰まらねぇモン、見られちまったなあ……」

物言いた気に見詰めて来る四対の視線を受けて、やれやれ……、と『神夷』だった彼は、左手で赤茶の髪を掻き上げる。

…………その時。

ずり落ちた袂の中から露になった、彼の左手首に嵌まっていた黒珠の念珠の紐が、ぷちり、と切れて、桜の古木の根元目掛け、黒珠が散った。