随分と長い間、彼の左手に嵌まっていたらしい、即ち、彼にとっては大切な品であるのだろう、年代物な様子の念珠の珠が散り行きても、彼は咄嗟には、それを拾おうとはしなかった。
バラバラと、薄茶色の土に塗れつつ古木の根を目指して行くそれを、酷く切な気な瞳で追うのみで。
無言の内に身を屈め、京一は、それを一つ一つ拾い始めた。
龍麻も九龍も甲太郎も彼に倣い、一つ残らず拾ったそれを、宝探し屋のベストのポケットから引き摺り出された、何処よりの『拾い物』のハンカチに彼等は包んだ。
「…………すまねぇな」
若者達の手により集められ、今は未だ、九龍の両の掌の上のハンカチに収まるそれを、持ち主は、ひたすら見詰め。
「……昔っから、ずっと、そいつ、肌身離さずしてたじゃんかよ。大事な物なんだろ?」
差し出されても受け取ろうとしない師へ、京一は上目遣いを送った。
「……………………ああ。……これに縋って。唯、縋って。生きて来たようなもんだ……」
けれど師は、彼の眼差しを受け止めず、珠だけを見詰め、低く、抑揚なく呟き、漸く、ソロソロと腕を伸ばして、珠を包んだハンカチを受け取る。
「……師匠?」
「………………じゃあな、京一。お前さん達も。達者でな」
戻されたそれを懐に突っ込み、刀袋を取り上げると、四人に背を向け、彼は、その場より立ち去り始めた。
「おいっ! 何、今際の際みてぇな、辛気臭ぇこと言ってんだっ!」
でも、このままでは何一つ納得出来ないと、京一は後を追い掛け、龍麻達もそれに続く。
「付いて来るんじゃねぇ」
「何をどうしようと、俺の勝手だろっ。てめえこそ何処行きやがる、話は未だ途中だっ」
「俺の用は、もう済んだ。何処へ行こうが、それこそ俺の勝手だ」
ズンズンと、人気ない学内を進んで行く師の背へ、京一は声を掛け通し。
「だからー、話し合いは建設的にー……」
「九ちゃん、言うだけ無駄だ」
「でも、葉佩君の言う通り、もう少し建設的でないと、神夷さん以外、誰も納得出来ない気が」
「ですよねえ……」
「まあ、俺達は、所詮は部外者だがな」
「うん。でも、全部に居合わせちゃった訳だし」
九龍と甲太郎と龍麻は、京一の背中越し、先頭の彼の気配を窺った。
「って、おい…………」
「え、旧校舎? 何で?」
が、そんな一寸した『珍道中』を続けている内に、京一と龍麻は、彼が目指しているのは、どうやら旧校舎らしいと気付き、
「おーーー、これが噂の、真神学園・旧校舎?」
「ああ。中々、『刺激的』な場所だぞ、九ちゃん」
九龍と甲太郎は、眼前に迫った、これ以上ない、という所まで古びた校舎を見上げた。
「大概、しつけぇな……」
辿り着いたそこへと視線を流し、やっと、先頭の彼も足を留めた。
しかし、彼の足が止まったのは僅かの間で、再び歩き出した彼は、旧校舎外周をくるりと覆う壁の隙の一角に空いた、『秘密の入口』を潜ってしまう。
「だーかーらー! 待ちやがれ、馬鹿シショーーーっ!!」
ここまで来たら、絶対に逃すかと、京一達もそこへ飛び込み。
人気ない学内以上にひっそりと静まり返った校舎の中へ、一同は踏み入った。
「シショーっ! 馬鹿シショーっ!」
「うるせぇ、馬鹿弟子」
「騒がれたくなかったら、思わせ振りな態度を取るの止めりゃいいだろっ!」
「てめぇ等が、他人様の事情に首突っ込もうとしてるだけだろ」
「悪りぃかよっ! 馬鹿で、碌でなしで、最悪でも、てめぇは俺のシショーで、俺はてめぇの弟子だっ!」
校舎に入っても『珍道中』は続き、うるさく軋む板張りの廊下を進み始めた師へ、京一は怒鳴る。
「…………部外者が差し出がましいと、俺も思いますけど……、京一の気持ちは判りますし。京一の理屈に従って言うなら、神夷さんは、俺の相棒の師匠ですから」
「はーい、はーい! そういうことなら、神夷さんは、俺と甲ちゃんの兄
「……以下同文」
叫ぶように言った京一の言葉尻に乗って、ソソソ……っと、残り三名も主張すれば。
「言うじゃねえか。揃いも揃って、ヒヨッコ共のくせによ」
やっと……やっと、ひたすら『先』を目指していた彼は、ピタリと歩を止め、『ヒヨッコ共』を振り返った。
「だが。ヒヨッコ共に話せるこたぁ、何一つねえな」
「どうしてっ」
「……京一。──神夷さん。京一は多分、今日のこれが、神夷さんとの今生の別れになっちゃうんじゃないか、って疑ってると思うんです。だから……、もしも、もしも本当に、神夷さんにそうするつもりがあるって言うなら、京一の最後の我が儘だと思って、京一が納得出来るだけのことを、明かして貰えたら、と……」
留まりはしたものの、素っ気なさは変わらない師に、今にも殴り掛かりそうな風情を見せた京一を宥め、龍麻が告げた。
「………………緋勇……」
「はい?」
「緋勇龍麻、か…………。……これも、因果って奴かも知れねえな……」
言い募る彼を、暫し、じっ……と見詰めた剣士は、酷く苦い笑みを浮かべ、徐に廊下を逸れると、教室の一つに入り、今はもう使う者もおらぬのに、整然と並ぶ机の一つに行儀悪く腰掛け、己を囲むように、やはり、ドカリと机に座って足を組んだ京一や甲太郎や、大人しく引いた椅子に座った龍麻や九龍を見比べ。
「因果なら。これが、最後なら。いっちょ、『昔話』と洒落込むのも、悪かねぇのかもな」
酷く重かった口を、『神夷』でなくなった彼は開いた。
「『昔話』?」
「……ああ。──今し方言った通り。俺が両親
静かに始めた『昔話』の口上代わりに、彼──京梧は、己の真名を打ち明け、
「え?」
「京一と、同じ名字……」
「名前も、一字違い、ですな……」
「やっぱり、親戚なのか?」
驚きを通り越して、馬鹿面を晒し掛けている京一と、何も彼もが彼と似過ぎている京梧とを、龍麻達は思わず見比べた。
「あーー……。親族と、言って言えねえことはねぇのかもな。大きく括りゃ、確かに血族だ」
「……そんな話、初耳だぜ?」
「当たり前だ。誰にもバラさなかったのに、お前が知ってる訳ねぇだろ、馬鹿弟子」
「馬鹿馬鹿って、うるせぇな。でも……、大きく括れば血族……?」
「……ま、黙って話を聞いてりゃ、その内判る。──ほんで。俺が産まれたのは、弘化三年、だ」
「………………あ?」
「コウカ……?」
「えーと、『H.A.N.T』……」
「わざわざ『H.A.N.T』で確かめるまでもない。弘化三年は、グレゴリオ暦──西暦に直せば、一八四六年だ。…………今から、一五九年前」
受ける視線に愉快そうにしながら京梧は、何故か、己の生まれ年の話を始め、弘化、との元号に、「ソレハ、ナニ?」と京一と龍麻はきょとんとし、職業柄、青年達よりは遥かに歴史に明るい九龍は、確か……、と『H.A.N.T』を取り出し掛け、『抜群』過ぎる記憶力の甲太郎は、元号を西暦に直した。
「………………ってことは……、馬鹿シショーは、今年で一五九歳、ってことか……?」
「そうじゃないだろ、馬鹿京一っ。ヒトが、一五九年も生きられる訳ないじゃんかっ!」
でも、何を言われているのか、さっぱり理解出来ない、との顔付きで京一は呟き、血の巡りの悪い彼を、龍麻は思い切りド突いた。