──慶応三年 睦月──
若くして、故郷も、生家も、親兄弟も捨て、浪々の身となったのは、強さを求めたからだった。
……強くなりたかった。己が剣だけが全てだった。天下無双の剣を持ちたかった。その頂に立ちたかった。
故に全てを捨てて、諸国を辿った。
己よりも強いモノだけを求め続けた。
強く在れれば、剣が全てであれば、それで良かった。
天下無双、その言葉だけが望みだった。
何時か見えるだろう剣の道の果ての頂──否、きっと辿り着いてみせると誓った頂の幻影だけが、瞳の中には映っていた。
────それが。
そんな男が。
蓬莱寺京梧だった。
それが、蓬莱寺京梧の全てだった。
慶応三年、正月。
──黄龍を我が身に降臨ろし、龍脈の力を制して神となり、この世に八大地獄を築くのだと誓った柳生宗嵩を、慶応二年の年の瀬、京梧や龍斗達──宿星の者達が、霊峰・富士にて倒し遂せた後も、彼の者が江戸の街に施した外法の力の全ては消え去っていなかった。
正月の、それも、未だ松の内だと言うのに、降り頻る雪を背景に、狂い咲いた江戸中の桜という桜が、満開となった薄紅を散らしていた。
「こいつが散ったら……」
龍閃組の本拠だった、内藤新宿の外れに位置する龍泉寺の境内の、やはり狂い咲いた満開の桜を見上げ、その日、仲間達と共に花園神社へと初詣に繰り出した帰り、京梧は一人、ぽつりと呟いた。
強くなる為に、天下無双を目指す為に、と諸国を浪々した果て江戸に辿り着いたら、ひょんなことから、龍閃組なる公儀隠密集団に席を得ることになっただけ、というのが、去年の桜の頃より仲間達と過ごした幾月かが始まる前からの、そして、その幾月の間に生み出された出来事が費えた今も、『この成り行き』に関する京梧の言い分で、役目から放たれた己の身の置き場を、彼は、再び浪々の中に求めようとしていた。
見上げ眺めるその花が全て散ったら、一人、江戸を離れようと、秘かに決めてもいた。
ひたすら求め続けた天下無双の剣の頂、それは未だ、彼の瞳の中の、幻影でしかなかったから。
…………だが。
最後の戦いを終え、数日が経ったその日になっても、彼はそれを、仲間達の誰にも言い出せずにいた。
……強くなることだけが、己が剣だけが、天下無双の頂だけが、江戸の街へと足踏み入れた際の彼の全てだったのに、幾月を過ごす内に、彼は、『それ以外の全て』を手に入れてしまっていたが為。
手に入れた……いいや、手に入れてしまった『それ以外の全て』に、旅立つことを、彼はどうしても打ち明けられなかった。
『それ以外の全て』を想う余りに。
────彼が手に入れてしまった『それ以外の全て』は、ヒト、だった。
名を、緋勇龍斗と言った。
共に肩を並べて柳生宗嵩と戦った、仲間達全ての眼差しの先にいた者。
仲間達全ての、心の拠り所だった者。
…………京梧も、龍斗も、共に青年だったけれど、京梧にとって、龍斗は『それ以外の全て』であり、龍斗にとって、京梧は『全て』だった。
黒船がやって来て以来、異国のあれやこれやが数多伝えられる今の世では、男色だの、衆道だのと言った行いはすっかり廃れてしまったから、彼等の間柄は異端視されがちなものだったが、例え他人に顔を背けられようとも構わない、と二人共に思っていた。
京梧は龍斗を、龍斗は京梧を、愛おしんでいたから。
──慶応二年の桜の盛り、甲州街道は高井戸の宿を越えて暫く行った街道端に、ひょい、と姿見せる茶店で巡り逢ったその時から、二人は、馬という奴が合った。
巡り逢ったばかりの頃、彼等の間柄は、まるで、歳の離れた兄弟のようだった。実際の歳の頃は、等しかった筈なのにも拘らず。
他人の話を右の耳で拾った傍から左の耳より零してしまうような、ぼんやりした風情の龍斗を、京梧は追い立てる風にしつつ世話を焼いて歩いて。
庇護が過ぎるにも程がある、せっかちで出しゃばりな兄のようだとブツブツ零しながらも、龍斗は甚く京梧に懐いた。
……本当に、本当に、二人は仲が良かった。
天下無双の頂だけを見詰めて生きていた京梧は固より、普段は茫洋としている龍斗も、戦いとなれば頼もしい事この上無い強さを誇ったから、そちらの意味でも、彼等は互いを相棒と認め合い。
過ぎる歳月の中。
哀しいばかりの、痛ましいばかりの出来事と向き合う中。
何時しか彼等は、そうなることが『始まり』から決まっていたかのように、自然、愛を乗せた手を、互いへと伸ばした。
無論、彼等二人共、自身の中に、京梧は龍斗を、龍斗は京梧を、愛しい、と想う火を灯し、互いが互いに手を伸ばすに至るまでには、それはそれは数多の出来事があった。
積み重なり行く想いがあって、彼等の命さえ費え掛けた悲劇もあって、互いが互いへの想いを身の内に留めておくことすら叶わぬ時期まであって。
その全てを乗り越えた果て、彼等は互いを掴んだので、言葉で言う程簡単なことではなかったが、想い合った二人は手をも伸ばし合い、京梧は、龍斗を『それ以外の全て』とし、龍斗は、京梧を『全て』とした。
……だと言うのに京梧は、その龍斗にすら背を向けて、一人、江戸を離れようとしているのだ、それは到底、気楽に白状出来る決心ではなく。
この桜が全て散ったら江戸を発とうと、己の中の誓いを再び繰り返しつつも、京梧はその時、眉を顰めていた。
龍斗に、どうやってこの誓いを言って聞かせようか、と。
「……ああ、京梧」
────だが。
その刻は、思い掛けずにやって来た。
龍閃組の頭目だった時諏佐百合に命じ、組を立ち上げさせた張本人の、高野山阿闍梨・円空に呼び出されていた龍斗が、ほんの僅かの間だけ離れていた京梧の傍らへと戻り。
戻り様、
「円空様に頂いたのだ」
と、白珠