龍麻を産み落として直ぐ、その手に彼を抱くこともないまま、迦代は逝った。

何故、龍麻を産むのと引き換えにしたかのように迦代が逝ってしまったのかを、数日経って、京梧は知った。

迦代が、菩薩眼の持ち主である、という事実以上に、龍麻が、『力』持つ者と菩薩眼の娘の間にだけ産まれる、『黄龍の器』だから、との事実が齎したことだと。

そして、生まれながらにして龍麻が背負った宿命を京梧が知って、それなりには時が流れた頃、今度は弦麻が逝った。

自身の命と引き換えに、封龍の里に程近い岩屋に柳生宗嵩を封じ込めて。

……産まれて一年と経たぬ内に、父も母も亡くしてしまった龍麻を、京梧は酷く不憫に思ったが、思い遣ってやること以外、彼には出来なかった。

でも、仲間の一人だった新井龍山によって、弦麻の弟夫婦に彼は預けられることになったので、龍斗と同じ血を引く弦麻の子である彼はきっと、自分達全てが願うように育ってくれるだろうと信じることにし、仲間達や龍麻と別れた京梧は、唯一、全ての事情を打ち明けた、封龍の一族の長老が場所を伝えてくれた崑崙山へ向かった。

広い異国の、険しい数多の山々に囲まれる、踏み入ろうとする人を拒み続けて来た伝説の地への道行は、困難の一言に尽きたが、歳月を掛けて、何とか。

…………けれど、割きたくない時と命をも懸けて辿り着いた崑崙の者達も、龍斗を救う術を彼に授けてはくれなかった。

歴史上初めて現れた、ヒトの身でありながら黄龍の氣を持つ者が自らの意志に反し落ちてしまった深い眠りを、ヒトなぞに破れよう筈も無い、と伝説の地に住まう仙士達は冷酷に告げたが。

彼の望みを叶える術を授ける代わりに、もしも出来ることなら、と京梧が秘かに考えていたことを、彼等は、『この世の理の範疇』を越えぬギリギリの処で叶えてくれた。

それに、『一応は』有り難く甘んじ、崑崙山を後にした彼は、中国大陸を暫く流離さすらって、日本に戻った。

巡り歩いた彼の地でも見付けられなかった術を、風の流れも水の流れも澱ませてしまった日本で掴めるとは到底思えなかったが、龍斗のこと以外にもう一つ、京梧の中より離れなくなってしまったことがあったから。

──彼の中から離れなくなってしまったもう一つのこと、それは、龍麻のことだった。

龍山は、龍麻が背負った『黄龍の器』という重たい宿星のことも、両親のことも、何一つ彼には伝えぬ、と言った。

育ての親となる弦麻の弟夫婦にも口止めをする、とも。

幸せに、平凡に、暮らして欲しいから。何事も起こらなければ、何も知らぬ方が彼の為になるだろう、と。

でも京梧は、龍麻の身に何事も起こらないで欲しい、との龍山達の願いは、残念ながら裏切られるだろう、と思っていた。

──討ち取ったと信じていた柳生宗嵩は、百余年の時を経ても生きていた。

生きていた彼と戦った弦麻達には『力』があり、彼の仲間達は宿星の者達だった。

全てが、百余年前のあの戦いの、繰り返しの如くだった。

しかし。

弦麻の宿星も氣も、黄龍に司られるモノではなかった。

そこだけが、百余年前の戦いと異なっていた。

……歴史が繰り返されるなら。

本当の意味での、百余年前の戦いの繰り返しが、今生で行われるとしたら。

あの時の龍斗と同じ場所に立てるのは、『黄龍の器』たる龍麻しか有り得ない。

だからきっと、龍麻が長じた頃に、何かは。…………と。

京梧は考えていた。

無論、誰にもそれを告げることはなかったが。

彼とて、皆が願うように、何事も起こらなければいいと、そう思ってはいたから。

だけれども、彼は己の勘に嘘は吐けず、日本に舞い戻り、龍斗を救う術を探しながらも、再び起こるだろう陰と陽の戦いにも心砕きつつ歳月を送って。

一九九一年の或る日。

新宿の片隅で、彼は、京一と出逢った。

見境もなくヤクザに挑み掛かるような無鉄砲な馬鹿餓鬼が『そうだ』とは信じたくなかったが、どう考えても自分と同じ血を引いているのだろう、としか思えなかった、自身の子供の頃そっくりの京一に、剣の才と『己と同じ匂い』を感じ、「蓬莱寺の血って奴か……?」と内心で呆れつつ、誘いを掛けて弟子として、丸二年、子を生さなかった己にも在った子孫を、やがてきたるだろう『刻』が本当に訪れた時には、己がそうしたように、己が伝えた技と心で以て龍麻の傍らに添う一人となってくれれば、と願いながら、彼は彼なりに慈しんだ。

もう、黄龍の司る星の下に生まれた者と共に、柳生宗嵩と戦う宿星も宿命も、己からは去って行ったと、彼には悟れていたから。

今生の剣聖である京一に、今生の宿星である者達に、己達がやり残した全てを託すしかなかったから。

それに。

龍麻のことが、彼の心の中から離れなくなってしまったように、京一のことも、彼の心から離れなくなっていたから。

……子を生さなかった己にどうしようもなく似過ぎた、血の繋がりを持つ者。

己以上の剣の才を秘めているだろう彼の。

可愛い我が子のような彼の、本心では掌中の珠とすら思う可愛い弟子の、剣の道の行く末を、その成長を、どうしても見届けたくなってしまって。

彼を──京一を、一人前以上の剣士に育てたくて。

…………だから。

待たせっ放しの龍斗には、心底申し訳ないと思いつつも、京梧は。

──………………そうして、又、時は過ぎて。

滔々とした流れを留めることなく過ぎて。

一九九九年一月二日へと、連綿と続いた物語は辿り着き。

柳生宗嵩は、今生の宿星達によって真実この世を去り、黄龍は龍麻に宿って、京一と龍麻は中国へ渡り。

今生の宿星達の『刻』が絡み合い始めたと知った、一九九七年の秋以降、再び中国を彷徨い歩いていた京梧は、二〇〇三年冬、『馬鹿弟子』と再会して。

再会より二年と少しが経った、今日。

────本当に本当に長かった、今日こんにちまでに京梧が辿った『物語』の『殆ど』が語られ終えた直後。

龍麻は皆の目を憚るように、九龍は大っぴらに、貰い泣きを始めた。

「……何だ?」

思わず涙を滲ませてしまった目許を懸命に擦り始めた龍麻と、盛大に鼻を啜った九龍を見比べ、京梧は、へ? と目を丸くし、

「あーーー……。貰い泣きしちまったのもあんだろうけど……、ひーちゃんは多分、実の親御さんのこととか、生まれたばっかの頃のこととか、色々聞かされたからじゃねえ?」

「……こいつは涙脆いんだ。喜怒哀楽も激しいし」

それぞれの相方が、多分……、と言いながら、連れ合いを慰め始めた。

「九ちゃん。お前が、今泣いたって仕方無いだろ」

「そりゃそうかもだけどさ……。だけど……だけどーー! あんまりじゃんか! そんな運命、あんまり過ぎるじゃんかっ。一人の人間が送るには、壮絶過ぎる運命だって、甲ちゃんも思うっしょっ!?」

「そりゃ、まあ……。確かにそう思うが……」

「だったら、思わず泣いちゃった俺の気持ちくらい、甲ちゃんも察しろ! うわーーんっ!」

が、甲太郎に宥められても九龍は、「惨過ぎるー!」と叫び出し。

「ひーちゃん、男のくせにベソベソすんなって」

「判ってるけどさ……。でもさ……っ。本当の父さんと母さんのこと、こんな風に話してくれた人はいなかったし、俺が生まれた頃の話とかだって……っ。それに、京梧さんと龍斗さん…………っ」

「お前の気持ちは判るけどよ。お前が赤ん坊だった頃の話や、親御さんの話は兎も角、シショー自身のことで泣くなよ? シショーはシショーで、色々受け止めてんだろうし」

「判ってるってば、馬鹿京一っ!」

龍麻は龍麻で、何とか彼んとか諭そうとする京一相手に喚き立て。

「………………苦労してんな、馬鹿弟子。甲太郎っつったか? お前も」

「……ああ」

「まあな……」

苦笑しながら京梧は、随分と手間取っちまった昔話はこれで終いだ、と腰を浮かせたけれど。

「あっ! 待って下さいっ!」

「ちょーーっと待ったーーーっ!」

立ち上がった彼の着物の裾を、龍麻と九龍が同時にハシっ! と掴んで、思い切り、彼をつんのめらせた。