「ヒトとして歪って……、どういう意味で……?」
憂いばかりの息を吐き、苦過ぎる笑みを口許に刷いて、自分はもう、ヒトとして歪なのだ、と打ち明けた京梧に、京一は上目遣いを送った。
決して、いい意味は齎さぬ科白なのは想像出来たが、真実の意味が解らなくて。
「二十五年前のあの日から、俺の心の中を占めていたのは、どうすれば、そこで眠りこけてやがる大馬鹿を叩き起こせるか、それだけだった。その術だけを探して……、探して探して、探し歩いて、でも、そんな術なんざ、今日までこの世の何処にもなかった。誰も授けちゃくれなかった。弦麻達に巡り会った頃には、疾っくに、求める術を掴むにゃ、俺の残りの生涯如きじゃ到底足りないかも知れねぇ……なんてな、そんな末路が思い描けた。数十年ぽっちの時間じゃ、到底……、と。……だが、俺は。そこの大馬鹿を、どうしても叩き起こしたかった。そうしなきゃならねぇ。こんなことになっちまった全ての責は、俺にあるから。…………だから。俺は、寿命なんてモンで死ぬ訳にはいかなかった。時間が……欲しかった。何と引き換えにしても、大馬鹿野郎を叩き起こすまでは、この世に留まっていたかった」
揺れる馬鹿弟子の上目遣いへ、軽い笑みを返しつつ、突き付けられた切っ先を、ポン、と拳で弾き、京梧は低く告げ始める。
「シショー……?」
「……大馬鹿野郎を叩き起こす、その程度のことも出来ねぇまま俺にお迎えが来ちまったら、そこの大馬鹿は、永劫、こんな所で眠りこけ続ける。そんなこと……絶対にさせられねぇ。だから…………、だから、崑崙山にまで行った。龍脈の力を操り、人に不老不死をも授ける陰陽之勾玉を生み出したあの場所なら、馬鹿を起こす術を授かることは出来ずとも、俺の『刻』を止めてくれるかも知れねぇ、そう思った。……で以て。そんな俺の秘かな願いってのを、あそこの連中は叶えてくれた」
「…………シショー。じゃあ、シショーは、柳生の糞っ垂れと同じ……?」
「いいや。『高が人間』に、不死身なんてモンをヒョイッと授けてくれる程、あそこの連中はお人好しじゃねぇし。連中とて、人の世の理を破ることは早々出来やしねぇよ。……だが、その代わり。あいつ等は、『人の世の理の範疇』を越えねぇギリギリの線で、俺に『時間』をくれた。────あいつ等は。俺の『刻』の進みを緩くしてくれた。手傷を負おうとも、この世に留まれる身をくれた。『運命
────己が、ヒトとして歪である、その意味を、馬鹿弟子の鳶色の瞳を捉えながら京梧は白状し。
「……あんた…………、本当に、馬鹿だ……」
勢いに任せて抜いた刀を鞘へと納めながら、京一は俯いた。
「………………お前ならどうしたよ、馬鹿弟子」
「……んなこと、言わなくったって判んだろっ。てめぇと同じだ、馬鹿シショーっ! ……でもっ。でもよっ! あんたはそれでいいかも知んねえけどっ。あんたはそれで満足かも知んねえけどっ。目が覚めた途端にあんたが逝っちまったら、残された龍斗サンはどうすんだよっ……」
「さあな……」
「さあな、って、てめぇっ!」
「…………俺は。俺はな、馬鹿弟子。最初っから間違ってた。龍斗を置き去りにした『あの日』から、ずっと。……二年前、お前が言った通り。傍にもいないで泣かせるよりは、傍で泣かせた方が未だましだった。……けどよ。もう、取り返しは付かねぇ。やっちまったことなんざ、もうどうしようもねぇ。俺には、俺に出来ることをするしか、もう。──今際の際に、一目でも。……そう思った、あの頃の想いのままに。もう一度、この場所でと、龍斗と交わした約束を果たすしか、今の俺に出来ることはねぇんだよ」
唇を噛み締め、地面を睨み、馬鹿だと、大馬鹿だと、それだけを繰り返しながら詰る京一に、京梧は静かに語り、
「……二十五年だ。この『刻』に流れ着いて、ここへ下りて、なのに、大馬鹿を叩き起こすことも出来ずに。二十五年。仙士共のお陰で、今んとこ、見て呉れは三十路の登り口で止まっちゃいるが、俺だってもう、四十六だ。…………二十五年。この歳になるまで。大馬鹿の為になることなんざ何一つ出来ずに、唯、馬鹿と分け合った念珠だけに縋って……それを分け合った者同士は、例え離れ離れになっても必ず再び巡り逢えると、円空のジジイが龍斗に授けた言葉だけに縋って……。──────俺は、後悔なんざしちゃいねぇ。龍斗には……ひーちゃんには、これがバレたら目一杯ぶん殴られんだろうが、後悔はない。『あの日』から、俺には、この道しかない。……だからもう、何も訊くな。何も言うな」
ポンポンと、彼は、深く俯いたままの弟子の頭を、二、三度、撫でた。
「何、ガキあやすみてぇなことしてんやがんだ、馬鹿シショー……っっ」
「てめぇが、餓鬼だからだ。──ああ、それからな。唐変木なてめぇが、思い違いをしねぇように言っとくぜ。……俺には、もう時間がねぇ。それは確かだが。だからって、時がない、それだけを理由に、てめぇに神夷の名を譲った訳じゃねぇからな。お前が、想いも、技も、名も、継ぐに相応しくなったから、だ。あれから二年が経っても、てめぇが本当の馬鹿のまんまでいやがったら、先人達には申し訳が立たねぇが、何一つ、お前に継がせるつもりはなかった。お前の命を落としてでも、何一つ、継がせなかった」
「………………っっ。……何時までも、辛気臭ぇこと言ってんじゃねえよ、耄碌ジジイのくせしやがってっ! ────ひーちゃんっ。龍麻っ!」
幼子を諭す風に撫でられ、そんなことを言われ。
バッと京梧の手を振り払い、キッ! と一睨みしてから、京一は龍麻を振り返り、少しばかり乱暴に、その手を取った。
「全く、師弟揃って…………」
痛む程に強く手首を掴んだ京一と、何処か達観してしまっている風な京梧を見比べ、溜息を零し。
「葉佩君。皆守君。始めるから、『監視』頼むね。微調整効くかどうかは判らないけど、『力』、小出しにしてってみるつもりだから、後ろからのアドバイス、任せる。──京一」
『時間がない』の意味は判った。
判ったからとて、今はどうしようもないことも判った。
ならば、京梧と龍斗の、再会を、の望みを叶える手助けをするしか、自分達にするべきことはないのだろう、と。
少年達を振り向き、見遣った彼等がこくりと頷くのを待って、龍麻は、傍らの京一を振り仰ぐ。
「……判ってる」
何処へ向けたらいいのか見当も付かぬ想いを持て余す風にしつつも、京一は、ずっと携えていた刀袋の中から、もう一振り──阿修羅を引き抜いた。
抜かれ、空を切り裂きつつ振り被られた神刀は、ぴたりと据えられた時には既に、刀身を青く染め上げられていて。
「龍斗サンを叩き起こしたら、今度はてめぇの番だ。覚悟しやがれ、馬鹿シショーっ! ぜってー、訳の判んねえ理だか呪法だかに浸ったままなんざ、逝かせてやらねえからなっ!」
フォン……、と音立てつつ、阿修羅の刀身が帯びる青を一層増させた京一は、ぎゃあぎゃあと喚いてより、口の中にて呪を呟き、神刀を、渾身の力で以て、地面へと突き立てた。