「ひーちゃん……」
「私の、所為で…………」
愚かしいとしか言えぬ路を、唯一の路、と京梧が定めたのは、己の所為以外の何物でもないと、彼に縋り付き、龍斗は繰り言のように繰り返した。
くれられたら、京梧であろとうも命の保証はない秘拳・黄龍を振るおうとさえしたのは、結局の処、彼にそのような選択をさせてしまった原因──と龍斗は思い込んでいる──である自分を酷く責める気持ちの、裏返しだったのかも知れない。
故に、『子供達』総掛かりの『嘆願』のお陰で頭が冷えて直ぐ、己の為だけに、二十五年もの年月、勝手の一つも判らなかったろう見知らぬ時代の中、一人彷徨い歩いて、しなくとも良かっただろう想いを積み重ね続けた京梧を想った龍斗は、泣きそうな声を、漸く再会出来た彼の胸の中で洩らし、
「…………悪か……った……」
絞るような声で、ぽつり、何度目かになる詫びを呟いた京梧に、唯、ふるふると首だけを振ってみせた。
「必ず、もう一度、ここで。この新宿で逢おうって、お前と交わした約束を果たすしか、俺には出来なくってな……。起きてくれねぇお前を起こす為になら、なんて、柄にもなく思い詰めちまって…………」
「いい。もう、いい……。お前は、その約束を、確かに守ってくれたのだから。私を迎えに来て、起こして、こうやって…………」
「……でもよ。今し方話して聞かせたように。見て呉れからは、お前もピンと来ねぇかも知れねえが、俺はもう四十六で、今年は……そして今は、四十六の春で…………」
それまでも、反省していなかった訳ではないけれど、己だけを責める龍斗に、泣きそうな顔で、仕草で縋られて、心底以上に自身の愚かさを呪った京梧は、あの日、あの時の約束こそ果たせたが、自分にはもう、『この先がない』のだと……刻をも越えて来てくれたお前を、見知らぬ時代に一人残して逝くしかないと、声を詰まらせた。
「……………………させない」
しかし、龍斗は。
伏せていた、泣き濡れそうな面をしっかりと持ち上げ、きっぱり、言った。
「ひーちゃん……。龍斗……。だが……」
「……お前が、あの日あの時、新宿を、江戸を護れと諭したから、私は聞き分けた。聞き分けるしかなかった。その代わり、再び相見えることを誓った。お前に誓わせた。──江戸を護れと言った、お前との約束を私は果たした。徳川の終わりを見届け、江戸が東京へと変わるのを見届け、新しい世に人々が向かうのを、お前の諭し通り、私は護った。その約束を果たして、もう一つの約束を守る為に、私は刻をも越えた。……でも、京梧。もう一度、この場所で、との約束を守る為だけに、一三四年もの刻を、私は越えたのではない。私が本当に求めたのは、再びの巡り逢いを経ての、『先』だ。仲間達を、あの街を、時と世を、捨てるように振り切って、刻をも越えたのは、もう一度お前と巡り逢って、その先の生を、お前と共に過ごしたいと願ったから。……だから、させない。例え、この世の理を違えても」
「龍、斗……? お前、何を言ってやがる…………?」
「……あんのか? 龍斗サン、シショーの馬鹿をチャラにする方法が、あるのかっ!?」
────何の為に、二人交わした約束を果たし、刻までをも越えたのか、それを龍斗は語って、この世の理を曲げてでも、京梧を一人逝かせはしないと、瞳に強い意志を宿したので。
彼の言葉に、京梧は、嫌な予感がする、と目を細めたが、叫んだ京一を筆頭に、『子供達』は、そんな術があるなら、と彼へと身を乗り出す。
「…………今まで、京梧にも打ち明けたことはなかったが。私は、ずっと。物心が付いた頃から、『皆』の声が聞こえていた。いや……『皆』の声しか聞こえなかった。空や、雲や、水や、風や、草木や、花や、生き物達の声。ヒト以外の、『この世の全て』の声が、私には聞こえた。……その代わり、ヒトの声は酷く胡乱だった。──『皆』、私には優しかった。愛おしんでくれた。でも、『皆』の声に掻き消されて、ヒトの声も想いも、私には届かなかった。京梧や、仲間となってくれた皆に出逢うまでは。……こうしている、今でもそうだ……。『皆』の声を、私自身で遠くに押しやらなければ、お前達の声は、私には少し遠い。仲間達の声さえ、私には少しばかり遠かった。それでも、少しでしかないだけ、希有なのだけれど」
このままでは、どんなに遅くとも、『この春』が終わる頃には一人逝ってしまう運命を選んだ京梧の『馬鹿』を、何とか出来る術があるなら、と顔を近付けて来た京一達へ、京梧へと縋っていた腕を離し向き直って、龍斗は何故か、そんな話を始めた。
「……だから。本当に幼子だった頃から、私は、己がヒトと違うことを知っていた。気付かざるを得なかった。私には何時でも聞こえる『皆』の声は、ヒトには聞こえぬのだ、と。『皆』が私に教えてくれたこの世の理は、到底、ヒトには知り得ぬものなのだ、と。……それを悟った時、私は、私がヒトとは違うと思い知った。あの頃は、京梧にも、他の誰にも、結局打ち明けられなかったが、幼かった頃、既に『皆』が教えてくれたから、江戸の街で巡り会った仲間達、縁を持った者達、そんな人達の幾人かに言葉にされる以前から、私は、私の中に、黄龍や龍脈に繋がるモノが流れていることを、本当は弁えていた。私というモノは、限りなく、黄龍──龍脈に近い何かなのだ、と。私は、ヒトに非ざる何か、なのかも知れない、と」
「龍斗……。お前……」
「別に、他意があって打ち明けなかったのではない。唯、京梧。お前や仲間の皆に、そのことで要らぬ隔たりを持たれたくなかった、それだけが理由で……」
「…………そんなこと程度で、お前を遠ざけたりする訳ねぇだろうが」
「……そう……だな…………。………………。──でも。だから。たった今打ち明けた通り、私は『そんなモノ』だから。私には、ヒトとして歪になったお前を、『正す』ことが出来る筈だ。そのようなものをお前に授けた崑崙の仙道士達に、恨み言の一つも言ってやりたい気もするが……それでも、彼等がお前に為したことが、紙一重とは言え、この世の理の範疇に留まっていたのを、有り難く思うべきなのかも知れない」
彼の中では、『己の正体』という言葉に値するのだろう『秘密』を、龍斗が唐突に語り出したのは、『だから』、四十六の春を越えたら、存在そのものさえどうなってしまうか判らない京梧の今を、自分になら何とか出来る、と説く為だったようで。
『正す』ことが出来る、ときっぱり言い切って直ぐ、彼は、くすりと笑った。
「……どうやって? 龍斗、俺がやからした馬鹿の尻拭いの為に、お前が危ねぇ橋を渡るってなら──」
「──危ない橋など、渡る必要は無い」
が、京梧は、彼の打ち明け話が始まった辺りから拵えていた渋い顔を一層にし、声さえも低くし、そんな彼を、龍斗は、又、笑った。
「崑崙の仙道士達が使う術は、龍脈の力が源の筈だ。それは、私の中に流れるモノに、ほぼ等しい。だとするなら、私の中に流れるモノで、お前の中で澱み、止まっている『それ』を、再び流せばいい。唯、『それ』の流れを正すだけでは、溢れ出るだろう二十年分の澱みと留まりが、お前の体と魂を壊してしまうかも知れないが、一度、私が澱みと留まりを受け取ってから、お前に返してやれば、お前の何も壊れぬ筈だ」
「あーーー……」
「成程な……。だが……」
龍斗を案じる京梧に、案じられた当人が、『馬鹿』を何とかする為の術を語れば、脇から、頭脳労働担当な少年二人の、少々複雑そうな感じの声が上がった。
「葉佩君? 皆守君?」
「何だよ、二人して。今、龍斗サンが言ったことに、何か心当たりでもあんのか?」
「心当たりと言うか。……要するに、龍斗さんがしようとしているのは、例えるなら、人工透析みたいなことだと思い当たったってだけの話だ」
「もっと簡単に言うなら、『濃し器』って奴ですな。──崑崙山の仙士さん達に術を施して貰ってから二十年間、京梧さんの中では、『何か』──多分、前にルイ先生が言ってた、人体の経絡の流れみたいなモノが止まっちゃってて、で、経絡の流れが止まっちゃってるから、その中を流れる氣みたいなのも澱んじゃってて、仙士さん達が京梧さんに言い渡した、四十六の春ってタイムリミットは、強引に経絡の流れを止めた蓋か何かが決壊して、溜りまくった二十年分の澱みが溢れ出す時期、ってことだったんじゃないかと。でも、今の京梧さんの体を支えてる力の源は龍脈で、龍脈は、龍斗さん自身にほぼ等しいから、京梧さんをヒトとして歪にさせてる、京梧さんの中の龍脈の力を、二十年分の澱み毎、一旦、龍斗さんが受け取って、龍斗さんの中に流れてる『正しい』龍脈の力で『濃し』て、京梧さんに返してやれば、経絡の流れを塞き止めてた蓋っぽいモノを外しても、京梧さんの体も魂も壊れないで済む、と。……ね? 甲ちゃん、そういうこと……だよな?」
「多分な。だが……、だとすると、京梧さんの中の、二十年分の氣の澱みみたいなモノが、今度は、九ちゃん曰くの『濃し器』代わりの役目を果たす龍斗さんの中に溜る、ということにならないか……?」
何故、納得の声とは言い難い、懸念のような何かが織り混ざった声を、少年達は出すのだろう、と龍麻と京一が二人を見遣れば。
甲太郎と九龍は、龍斗が言い出したことは、恐らくこういうことだ、と解説しつつ、再び唸った。