『地の底』と紙一重の、旧校舎地下・三〇〇階層の片隅にひっそりと開いていた、地上へ続く『穴』の中に踏み込んだ一同は、瞬く間に、例の、何も無いコンクリートの小部屋に辿り着いた。
「ここは、真神學舎……。未だ、残っていたのか……」
「懐かしいか? っつっても、眠りこけてたお前にゃ、そんなモンに耽るものもないか?」
「いいや。私が知っているここは、建てられて数年の真新しい学び舎だったから、いきなり、こうも時の隔たりを見せ付けられると、戸惑うと言うか……」
狭く埃だらけのその部屋を出て、長い板張りの廊下を行き出した途端、龍斗は目を見開き、京梧と肩を並べて進む足こそ止めなかったものの、きょろきょろと辺りを見回しながら、己の記憶の中の『ここ』と、今の『ここ』との相違を語り出した。
『昔』はああだった、こうだったと、話すことを止めぬ龍斗と、記憶語りに付き合う京梧の様子も口調も、あの石碑の前で彼等が見せた、一三〇年以上の時を越えた、との事実や自身の選択が、どうしたって彼等に齎すのだろう後悔や苦悩や想いをも、本当に『地の底』に置き去りにしてきた、と後に続く四人の目には映り。
「……平気なのか? あの二人。あんな風に喋ってるけどよ」
「平気……だとは思うけど。人生とか、生き方とか、そういう、諸々のことに対して京梧さんと龍斗さんが抱えてる覚悟とかって、少し人間越えてるって言うか、尋常じゃないっぽいから。でも……」
互い、やっと望みを叶えたからこそ襲い来たのだろう、胸の中の奥底に抱えて隠していたモノを、本当は持て余しているんじゃないだろうかと、ぼそぼそ、先を歩く二人には聞こえぬように京一は言い出して、龍麻は、あの二人なら大丈夫だろう、と京一のぼそぼそに答えつつも、少々不安気にする。
「人間の域を超越しちゃってるような処があっても、京梧さんも龍斗さんもヒトですから、望んで望んで望み続けて、やっと掴んだ幸せが感じさせる『隙間』って言うんですかねー、そういうのに振り回されたり、どっぷり浸かっちゃったりすることもあるんだとは思いますけど……、でもまあ、大丈夫じゃないかなー、と」
「九ちゃんの科白じゃないが、『あれ』も、愛ってことだろ。京梧さんも龍斗さんも、時間や天寿を捩じ伏せてまで互いを選んだんだ。失いたくないと思った者や、モノや、この世の理を捨ててまで。後悔の一つや二つ、抱えるのが普通だ。だが結局は、唯一への想いが勝ったんだから、後悔にも、想いが勝つ筈だ。──あの二人は、あんた達の先祖だろうが。自分達のこれまでを振り返って照らし合わせれば、自ず、放っといても平気かどうか、判ると思うがな、俺は」
だが九龍は、彼等の子孫二人よりは遥かに気楽な声を出し、甲太郎は、伸びをしつつ服の内ポケットから取り出したアロマを銜えながら、「あんた達の先祖だぞ?」と真顔で言った。
「あっは。甲ちゃん、それ言えてる。す……んごく逞しい兄さん達のご先祖様だもんなー。多分、兄さん達に輪を掛けて逞しいっしょ。恋愛方面に関する思考パターンも、兄さん達に似てる気がするし」
「九ちゃんも、そう思うか?」
「うん。激しく思うぞ、甲ちゃん」
「お前等な…………。幾ら先祖だからって、俺は、馬鹿シショーと一括りにゃされたくねえ」
「俺も、一寸……。何かこう……、家のご先祖、色んな意味で無敵な匂いがするし……」
「ま、それは兎も角。京一さん。龍麻さんも。自分達の先祖だからって、過保護になり過ぎるのは良くないんじゃないか?」
「誰が過保護だ、誰がっ!」
そのまま少年二人は、『過保護な子孫達』へ情け容赦無い言葉をくれ、京一と龍麻は、稀に、自分達よりも大人な部分を垣間見せる甲太郎と九龍に反論を始めて、
「ほんっとーーーーーーーーー……に、うるせぇな、あいつ等……」
「嫌なのか? 私は、あの四人が楽しそうに言い合っているのを見ていると、何となく喜ばしく思う」
「喜ばしい、なぁ……」
「ああ、喜ばしくて楽しい。まるで、息子達がいるようで。……出会って幾らも経たぬのに、こんなことを言うと、お前にはおかしく聞こえるのだろうが、私はそう感じる。私は、本当に恵まれているとも感じる。どのように変わったのか思い描くことも出来ぬ今の世で、目覚めたばかりの私の目の前に、京梧、お前だけでなく、あれ程までに私達のことを想ってくれる者達がやって来てくれたのだから」
今日という日の『出来事』が始まってから、終わろうとしている今この瞬間になっても、徹頭徹尾騒がしい彼等の様を横目で眺め、いい加減にしやがれと、こめかみに青筋浮かべた京梧を制し、龍斗は、にこりと笑んでみせた。
「龍斗。俺の目にゃ、お前が言う程可愛くは映らねぇぞ、あいつ等は。どいつもこいつも、ヒヨッコのくせしやがって、一癖も二癖もありやがる。それに、揃いも揃って戯け者だ。馬鹿弟子が馬鹿なのは今に始まったこっちゃねぇが、龍麻も、九龍って小僧も甲太郎って小僧も、いい勝負の馬鹿だぞ?」
「別に、良いではないか。一癖あろうが、戯けだろうが。お前も、そして私も、きっと同じくらいの戯け者だ」
「けどよ──」
「──京梧」
「…………何でぇ」
「縁が浅かろうと、出会ったばかりだろうと。そのようなこと、私には関わりないというのも。私が一度懐に入れた者達のことを悪く言うと、どういう目に遭うかも。忘れたとは言わせない」
「……忘れねぇよ。お前の前で天戒達と言い争っちまった時、天戒の屋敷の座敷から、縁側越えて庭先までぶっ飛ばされた時のことは、ぜってぇ忘れねぇ……。思い出す度、肝が冷える……」
「なら、良い。────さあ、京梧。『此処』を出よう。この先、私達が生きて行く世を、私に見せくれ」
「…………ああ。そうだな。『此処』を出て。行くとするか」
そうして、『懐かしい場所』で、『懐かしい話』を僅かばかり交わし、長い廊下を歩き切って、外へと続く入り口に辿り着いた二人は、肩越しに、一度だけ何時までも賑やかな四人を振り返り、促すようにして。
何も彼もを、『懐かしい場所』に遺して行くかの足取りで、『外』へ出て行った。
「…………平気そうだな。シショーも龍斗サンも」
「うん。俺達、気にし過ぎだったみたい」
「だから言ってるじゃないですかー。京梧さんと龍斗さんは、京一さんと龍麻さんのご先祖ですよー、って」
「本っ当に、あんた達は過保護だな。自分達が一番の矢面に立つことしか知らないあんた達が見せる、他人への『反動』ってのは、時々、行き過ぎてる」
「……うわー、甲ちゃん、ストレートー……」
「俺は、事実を言ってるだけだ」
「………………京一。皆守君の言うことが、こ、心に痛い……」
「……聞こえなかったことにしとこうぜ……」
「そだね……」
先行く彼等の背を見詰めながら、わいわいと騒いで。
時代を振り切り、人の世の理を振り切り、絡む想いを振り切り、『この世』へと踏み出した二人の後を、四人も追った。