彼等が『今日の出来事』を送った真神学園・旧校舎が、如何に外界と時の流れ方が違うと言えど、かなりの時間を過ごした所為か、『外』はもう、夜の帳が下りていた。

京梧と龍斗、二人揃っての『一歩目』を踏み出した真神学園の校庭は、宵闇に浮き上がる、満開の染井吉野に取り囲まれていて。

「桜の杜、か……」

暗い夜空に、桜の薄紅に目をやり、ぽつり、龍斗が呟いた。

「ん?」

「時諏佐先生が、言っていた。ここ、真神學舎のもう一つの名は、桜の杜と言うのだ、と。それを、思い出しただけだ」

「……成程な。────ああ、そうだ、龍斗。ひーちゃん。一寸、こっち来な」

時諏佐百合が、ここに名付けたもう一つの名前、それは、桜の杜と言うのだ、と龍斗が言えば、確かに……、と薄紅達を見遣って京梧は微かに頷き、何処までも龍斗の手首を引きながら、あの、体育館裏に咲く、桜の古木の許へと向かった。

『お邪魔虫達』を、ぞろぞろ引き連れたまま。

勿論、京梧の本当の本音は、「いい加減、二人だけにしてくれねぇか」だったが、生まれ育ちは幕末の世である、つい先程『目覚めた』ばかりの、九龍曰く『メルヘンの世界の人』である龍斗を、このまま現代社会に放り出せる訳がないし、恐らく京梧は当てにならない、だったら自分達が何とかしてやらないと、という、至極当然と言えないこともない思いと使命に、京梧や龍斗の与り知らぬ処で、若人達は四人が四人共に秘かに駆られてしまっていたので、薄ら京梧の本音は察せられたものの、彼等はそれを、揃って綺麗に無視した。

「ったく……。何で、何時までも余計な金魚の糞がくっ付いてやがるんだか…………。──ほら、ひーちゃん」

「…………あ」

だから京梧は、何時までも後を付いてくるヒヨッコ達に渋い顔をしつつも諦め、桜の古木の根元に立って、龍斗は、少しばかり驚いた風に、古木を見上げた。

「これは、あの桜……」

「ああ。こいつもあの頃よりは、ちぃっと歳を取ったがな。────……ひーちゃん。ここ、だった。あの日、あの時、俺がお前に、江戸に残れと告げたのは。必ず、もう一度逢おうと誓ったのは。……あの日のあの時と、同じここで。やっと、本当の意味で、心から言える。…………『ただいま。今、帰ぇったぜ』」

「………………『お帰り』」

そのまま二人は言葉を交わし。

随分と長らく、唯、静かに抱き合い。

「円空のジジイが言ったって話は、本当だったな」

「円空様?」

「それを分け合った者同士は、例え離れ離れになることがあったとしても、必ず互いを引き合わせてくれる。……本当、だった」

やがて京梧は、ゆるりと龍斗より身を離すと、着物の袖を軽く引き上げ、龍麻と甲太郎が直してくれた、黒珠の念珠を翳してみせた。

「ああ…………」

だから龍斗も、京梧は疾っくに目に留めていただろう、左手首の白珠の念珠を、京梧の目の前に晒してみせる。

「これだけが、私のよすがだった。黒白一対の念珠を分け合えば、必ず互いを引き合わせてくれる、その言い伝えだけが、心の頼りだった。これをお前と分かち合っていなかったら、私とて、諦めていたかも知れない……」

「……俺もだ。今日までの二十五年、こいつだけに縋って生きて来たようなもんだった」

「…………私達は随分と、遠回りをしてしまったのだろうな」

「仕方ねぇさ。それが、俺達の辿った道だ。……でも、今日からは」

一対の念珠に、それを龍斗に贈った円空に、自分達は感謝しなければ、と言いながら、もう一度古木を見上げ、振り返った二人は、少し離れた所で見守っている『お邪魔虫達』の、更に向こうを見遣った。

「……よう、犬神」

「……犬神先生」

彼等の視線の先には、何をどう感じ取り、そして何をどう知ったのか、春休み最中さなかの宵の口であるにも拘らず、この学園の護人、犬神杜人の姿があった。

「漸く、お目覚めか?」

「ええ。やっと、迎えが来てくれましたから」

「その馬鹿の所為で、お前も苦労が絶えないな。そんな馬鹿の為に、時すら越えてみせたお前も大概馬鹿だが。……お前達によく似た馬鹿な子孫二人には散々手を焼かされたが、馬鹿なお前達二人にも、本当に手を焼かされた。もう二度と、面倒事を持ち込むんじゃないぞ。俺は、あんなことは、二度と御免だ」

「…………犬神先生」

「何だ」

「あの日、お願いした通り。京梧に言伝を渡して下さったこと、本当に有り難いと思っています。有り難うございました」

「………………二度目はないぞ。……幸せになるんだろう? その為に、時までも越えたんだろう? ……じゃあな」

「お元気で。又、何時か」

佇んだまま、じっと見詰めてくる京梧と龍斗を見比べ、犬神も又、現れたその場に佇んだまま、何処か皮肉めいた口調で龍斗と言葉を交わし、用は済んだ、とばかりに踵を返す。

「犬神先生!」

校庭の向こう側に去り行くその背中へ、龍麻が声を掛けた。

「何だ? 緋勇」

「ええと……。……その、お久し振りです」

幕末に起こった出来事も、『地の底』にて眠り続けた龍斗のことも、世を彷徨い続けた京梧のことも、自分と京一のことも、何も彼も知っていた、その正体はヒトならざるモノだと教えられた彼に、何かを告げたくて、龍麻は呼び止めたけれど、結局、過る想いは言葉にならず。

間の抜けたことだけを、彼は口にする。

「緋勇龍麻」

「はい?」

「……幸せか?」

「…………はい」

「なら、いい。そこの、馬鹿な祖先達みたいにはなるなよ。お前も馬鹿だし、蓬莱寺はお前以上に馬鹿だから、お前も祖先と同じで、苦労が絶えないだろうがな」

かつての教え子に呼び止められ、声を掛けられ、立ち止まり、振り返った犬神は、少しばかり面倒臭そうにしながらも、そんなことを言った。

「馬鹿で悪かったな。余計なお世話だっての……」

「お前は少し、成長しろ、蓬莱寺。何時まで経っても、頭の出来の悪い奴だな」

揶揄してくるような彼の言い種に、ムッと京一は拗ね、が、彼の恩師は元・教え子のそんな態度を歯牙にも掛けず、軽く肩を竦める仕草のみを残して去った。

「あの人が噂の、人狼な犬神先生か……。……渋い。格好いい。俺、一寸憧れる」

「……九ちゃん。下らないこと言ってんな」

「下らない? 別に、そん──。……ああ、甲ちゃん、妬きもち?」

「そうじゃないっ」

今度こそ、校庭を取り巻く薄紅の霞の中に姿消した犬神を見送りつつ、九龍は憧れの眼差しを送って、だから甲太郎は頭を抱える。

「九龍。犬神のヤローに憧れるのは、悪趣味極まりねえ」

「そうかなー。そんなことないと思うけどなあ、俺。ま、京一は犬神先生が天敵だから、そう言いたくなるんだろうけど」

そこに、京一が嘴を突っ込んで、龍麻も混ざったものだから、珍しく大人しくしていた四人は、又もや騒々しくなって。

「こ、の…………」

「……あ、京──

──いい加減にしやがれ、餓鬼共! ちったぁしんみりさせろってんだ、馬鹿野郎っ!」

龍斗が制するよりも早く、とうとう、京梧がキレた。