部屋を出る時に素早く掴んだ『荷物』を、九龍は昨日のように、古式ゆかしい盗人の如く、よいせ、と背負い直した。

「九ちゃん、重くないか?」

「あ、へーき、へーき。この程度、慣れっこ」

「盗人活動の成果か? いいんだか、悪いんだか……」

気合い籠めて荷物を負った九龍を、甲太郎は少々気遣い、が、九龍は心配する程のことではないと、にぱら、っと笑んでみせて、

「さーて、と。じゃ、行くか。……悪りぃな、お前達まで付き合わせることになっちまって」

「昼飯と夕飯で、手、打ってくれる?」

然りげ無くラブラブな年少二人を横目で見遣り、「朝からお熱いことで」と、こっそり苦笑した京一と龍麻は、駅へと続く道を進み始めた。

「京一さんも龍麻さんも、そんなに気にしなくても。好きで首突っ込んだのは俺達なんですしー」

「……ま、確かに今更だな」

「あ、でも、昼飯と夕飯は期待しちゃいます!」

「はいはい。そう言って貰えると、こっちも気が楽。──昼は、カレーもラーメンも注文出来るようなトコ行こうか。夜は、俺が作ってもいいし」

「そだな。夕べは、あの二人のリクエスト優先して、蕎麦だったしな。ま、何にせよ、骨董屋んトコ行って、夕べの戦利品買い取らせてからだけどよ」

「うん。他にも色々、することあるしね」

新宿駅目指して歩き始めた彼等の第一の目的は、北区・王子の如月骨董品店のようで、九龍も甲太郎も龍麻も京一も、皆好き勝手に喋りながら、土曜故、平日よりは少ない午前の人並みを縫いつつ、一同揃って何やら企んでいる風な笑みを浮かべ合い、彼等は、その先の角を曲がった。

ゆるゆると、けれど瞬の早さで、春の陽射しが射し込むその部屋の時間は流れて行った。

龍斗の膝上に京梧のこうべが乗って以降、二人の会話はピタリと止んで、時折窓辺に姿見せる鳥や、開け放たれたサッシより舞い込む春風や、射し込み続ける陽光を、龍斗は京梧に膝を貸したまま、随分と柔らかい眼差しで見詰め続けて、横たわりながら、けれどうたた寝をするでもなく、唯、口を噤んで、京梧は龍斗の風情を眺め上げていた。

そうしていれば、その内に、細やか程度の広さのベランダの『何も無い場所』へ視線を注ぎながら、龍斗は熱心に頷きを返し始め、「まーーた、始まった」と、京梧は軽く苦笑する。

────昨日、彼が馬鹿弟子達に語って聞かせてやったように、江戸の終わりのあの頃、龍斗は常に、『こう』だった。

パッと見には、ポーーー……っとしているとしか思えぬ様子で、『何も無い場所』を見詰めながら、又は、人の言葉を喋る口を持たない草や木や生き物を見詰めながら、やけに真剣な頷きを返したり、時には相槌を返したりと、そんなことばかりをしていて、そんなことばかりをしているから、傍らの仲間達がしている話を聞き損ねて。

何をしているのかと、見兼ねた京梧や仲間達が問う度、小さな虫に目を引かれていただの、花の色の見事さに感心していただの、取って付けたような『言い訳』を口にする、それが龍斗の常だった。

『これ』が常の彼からすれば、昨日の『地の底』で見せたような、打てば響く、とすら言えてしまう受け答えをしたり、しゃっきりした態度を取ることなど、京梧に言わせれば、誠に希有で。

……まあ、今になってやっと、理由わけは知れたけどな、と京梧は肩を竦めた。

『皆』の『声』ばかりが届くから。人の声が胡乱だから。人が『遠い』から。

だから、彼の常は『こう』で、でも、ひたすらにそれを隠し通したくて、言い訳に言い訳を重ねていたのだと。

彼が、あの頃の自分達に最後までそれを打ち明けなかったのは、まあ……今尚水臭いとは思うけれども、それを打ち明けた時の『もしも』が途方もなく怖かった、との想いを鑑みてやれば、いじらしい、と京梧には思えるし、それに。

「…………ひーちゃん」

「ん? どうかしたか? ああ、腹が減ったか? 京梧」

「そうじゃねぇ」

彼とてその気にさえなれば、『皆』の声も想いも、自ら遠退けられるらしいけれど。

そんなことをさせずとも、己の声だけは、あの頃も、今も変わらず、必ず龍斗に届く、その事実を噛み締められるから、そして、その理由わけをも知ったから、あの頃以上に龍斗の常が『こう』であればいい、そんな風に京梧は思って、他愛無いように呼んだ彼に笑い掛けた。

出逢いの時からそうであったように、あの頃そうであったように、今尚そうであるように、龍斗の打ち明け通り、己だけが、唯一、彼の中で『遠く』ないのだと、己だけが、彼に届く声を持っているのだと、そんな幸せに浸り続けられるように。

「何だ、違うのか? もうそろそろ、昼餉時のようだからと思ったのだが」

すれば、何故、京梧が不意に己を呼んだのか知る由もない龍斗は、昼餉の催促ではないのか? と、ベッド脇に置かれている、子孫達に、とっ……くり、と見方を教え込まれた時計に目を走らせて、ふん? と首を傾げた。

「あー……、まあ、そろそろ昼飯の頃合いっちゃあ頃合いだな。少し早ぇが。だが、何をしてた訳でもねぇんだ、別に腹は減ってない。夕べの酒の残りで、俺は充分だぜ」

そんな龍斗へ、『この幸せ』は、俺だけが知っていればいいことだ、と京梧は名を呼んだ訳を誤摩化すように言い、

「昼酒か? お前も好きだな」

少々呆れたように軽く目を見開きつつも、膝上から京梧の頭を落とした龍斗は、「確か、酒はあそこに仕舞って……」とブツブツ呟きながら、一升瓶と茶碗を二つ、台所の片隅から引き摺り出した。

「お前だって、その気じゃねぇか」

彼が手にした、風情は余り感じられない小さな盆の上に、茶碗が二つ乗っているのを見付けた京梧は、自分ばかりを悪者にするなと、意地悪く笑う。

「お前が呑むと言うのに、私だけぼんやりしていても詰まらない」

「付き合い酒なあ……。……ああ、でも、お前が付き合ってくれるなら、ひとっ走りして、酒を買い足して来た方がいいかもな」

が、盆と共にぶら下げて来た一升瓶から直接酒を茶碗へと注いでから、単なる付き合い酒だと龍斗は主張し、つれないな、と心にもないことを呟きながら京梧は、思い立った風に腰を上げた。

「京梧。私は本当に、お前に付き合うだけだから、買い出しなど──

──何で。俺も人のこたぁ言えねぇが、ひーちゃんは、付き合い酒でも人並み以上じゃねぇか」

「……お前の言う通りかも知れないが、でも、私は…………」

「私は? 何だよ?」

「…………私は別に、心底酒が好きだという訳ではないから」

馬鹿弟子の話通りなら、本当に近所に酒を売っている店がある筈だから、と京梧が立ち上がれば、龍斗は思い留まらせるように彼の着物の裾を引いて、俺が『笊』ならお前は『枠』だ、昨日の残り程度の酒で足りる訳がない、と食い下がった彼へ、端の者が思う程、酒を愛している訳じゃない、……とぼそっと囁いた。