「存外、すらすらと言えたじゃねぇか。もっと、言い渋るかと思ったんだがな」

するりと深く抱かれ、何だ? と見上げて来た龍斗の頭を、さも、いい子、と言わんばかりに京梧は撫でた。

「……京梧。私は子供ではない。『あの日』から、私の中の時がどれだけ経ったのか判らぬから、私の歳も判らなくなってしまったけれど、私とて、もう三十路の坂を登り始めている筈だ。だから、幾ら何でも」

かいぐりかいぐり、幼子のこうべを撫でる親のような仕草を見せる京梧に、龍斗はやんわりと文句を言った。

「お前の歳が三十一、二なら、俺なんざ四十六だ。十五近く違うんだ、いいじゃねえか。それにな、今日になってやっと判ったが、どう考えたってお前は、『自分を見せる』ってことに関しちゃ、小さな餓鬼といい勝負だ。そんなお前がきちんとてめぇのこと白状したんだから、褒めたって罰は当たらねえだろ?」

でも京梧は、からかいめいた言葉を吐くばかりで。

「自分の都合良い時ばかり、四十六という歳を引き合いに出すのか、京梧? 本当に、お前のそういう処は変わらない」

「まあまあ、そう言うなって。──なあ、ひーちゃん。話戻るけどよ。だったら、もう暫くして色々と落ち着いたら、墓参りに行かねえか?」

「墓参り? 皆の?」

「ああ。あの頃、確かに俺達の仲間だった連中の。……何処に眠ってんだか判らない奴だっているだろうし、海を越えなけりゃならねぇ奴もいるだろうけどよ。判る限り。行ける限り。連中に、逢いに行ってみねぇか? 逢って、あの頃は言えなかった詫びを告げて、もう何十年かしたら俺達もそっちに行くから、そん時、又酒でも飲もう、って。あの頃には出来なかった山程の話と、今の世の話と、末裔達のことを土産話にするから、って。あいつ等と約束しに行かねぇか? ……それを。『この時代』の俺達の、本当の一歩目にしようや」

やがて彼は、懐かしい皆に逢いに行こう、と言い出した。

「……皆に逢いに、か。…………それもいいな」

「だろう? 何、そう大変な話でもねぇさ。馬鹿弟子共の仲間内には、連中の末裔達が幾人もいるから、ちょいと京一や龍麻に頼んで、先祖代々の墓が何処にあるのか訊いて貰えばいい。犬神の奴に訊いたっていい。それでも居場所が判らねぇ連中は、すまねぇが、逢えた奴等に言伝を頼んでよ。……そうして、二人で、『この時代』を生きよう」

「だが……、京梧?」

「何だ? 嫌か?」

「そうではなくて。……剣だけが全てのお前のことだ。お前は、あの頃のまま、世間がこうも変わってしまった今の世でも、天下無双を求めているのだろう? お前の剣の行き着く先を、お前は見たいのだろう? もう、これまでのお前の二十五年のように、私を目覚めさせる術だけを探して世を彷徨わずとも良いのだから、私の悔いを振り切る為にこそのような申し出などせず、お前が本当に成したいことの為の道に、戻ったらどうなのだ?」

すれば龍斗は、懐かしそうに、そして何処となく照れ臭そうに笑みつつも、お前こそ、この二十五年の歳月を取り戻す日々を始めろと、京梧の目を覗き込んだ。

「……天下無双か。…………ああ、そうだ。俺は今でも、馬鹿弟子なんぞじゃ生まれ変わったって到底追い付けねぇくらい、誰よりも強くなりてぇと、そう思ってる。天下無双の剣をこの手に携えながら、剣の道の頂を、その果てを、この目で見たい。あの頃の神夷が言ってやがったように、剣の道に、頂なんざねぇのかも知れねぇ。その果てだって。剣の道は、唯ひたすらに、神氣の如く次の世へと続いて行くだけで。唯、道のみがあるだけで。誰よりも強いってことも、天下無双の剣ってのも、ひょっとしたら夢幻むげんなのかも知れねぇ。……でもな。確かに天下無双の剣はある。剣の道の頂も、その果ても。誰よりも強えぇってことも。……俺はな、この二十五年で、その場所を見付けた。未だ、この手にゃ届いてねぇが」

……でも。

京梧は唯々、その笑みを深める。

「……そうか。お前は見付けたのか。お前が本当に辿り着きたい場所を」

「ああ。見付けた。────俺の剣は、ひーちゃん……龍斗。お前の為だけにある、そう思い知ったから。……あの頃も、俺の剣はお前の為に在った。お前の為に、お前や俺の気に入りだった江戸の為に、共に得物を手にした仲間達の為に。何よりも……そう、お前の為に。……だがな。あの頃の俺の剣は、お前の為『だけ』に在った訳じゃなかった。あの頃の俺は、お前に俺の剣を貸すように振るってたんだ。多分な。……でも。この世に流れ着いて、二十五年、彷徨って。やっと思い知った。俺の剣は、お前の為『だけ』に在るんだ、とな」

「………………京梧? お前、何を言って──

──そりゃ勿論、始めっからそうだった訳じゃねぇ。生まれ育った家にも親兄弟にも背を向けて、故郷を捨てて、剣のみで生きると決めた時から、そうだった訳じゃ。でも。甲州街道にあったあの茶屋で、お前に巡り逢ったあの刹那から、強くなろうと思うこと、天下無双の剣を欲しいと思うこと、何よりも、剣をこの手にすること。それは全て、お前だけの為に在ったんだと……今では思う。…………だから。俺の剣の頂は、その行き着く果ては、どうしたって、龍斗、お前の『中』だ。──お前の為に。お前が護りたいと思うモノ全ての為に。お前が愛おしいと思うモノ全ての為に。お前のさちの為に。お前の為『だけ』に。俺の剣は在る。………………あの頃のお前は。あの頃の俺にとっての龍斗、お前は、『剣以外の全て』だった。お前を愛おしいと思いつつも、俺はお前を、剣以外の全てにしちまってた。……でもよ。やっと解ったんだ。お前は俺の『剣』で、お前以外の全てだった剣すらお前の為だけに在って、お前は俺の全てで。だから……、だから俺は、今でも強くなりたい。誰よりも。天下無双の剣が欲しい。剣の道の頂を、その果てを見たい」

────笑みを深めた彼は。

深く抱き締めた龍斗を、一層懐の中に閉じ込め、ぽつりぽつり、囁くように、己が剣の行き着く先を語り、

「お前は……、お前は本当に、剣術馬鹿だ、京梧……」

京梧の着物の襟元を両手で握り締めながら龍斗は、彼の膝上にて猫のように身を丸め、泣き笑いの声を洩らした。

「俺も、しみじみそう思う。どうしようもねぇ馬鹿だってな。……でも、ま、そういう訳でな。お前の幸が俺の幸だから。連中に、顔見せに行こうや」

「そうだな……。ああ、そうしよう。皆に逢って、私達は息災だと伝えて、あの頃の詫びも、私達の今も伝えて、向こうに行ったら酒を呑もうと約束して。……そうしたら、京梧。何処かに落ち着ける場所を探そう。今の世のことを覚えて、馴染めたら、働いて、住まいを持って、そうして、二人で行ける所まで行こう。お前が見たいと言う、果てまで」

「……ああ」

京梧は穏やかに。

龍斗は泣き笑いの声のまま。

二人、そんなことを語り合って、やがて、ゆるゆると抱き合い。

随分と長い間、彼等は。

春の盛りの正午の陽光と風が、開け放たれた窓辺より落ちるそこで、唯、そうしていた。