今は未だ、そうなることを彼等の誰一人として知る由もないが、その年の春、東京中の桜が示し合わせたように一斉に満開になった翌日──即ち、再会を果たした京梧と龍斗が身を結び合った二〇〇五年四月一日より暫くの時が流れた頃、龍麻に、

「龍斗さん。……いえ、ご先祖。本当に、どうしてそんなに、京梧さんに寛容なんですか?」

と真顔で問い詰められる羽目に陥る程、誠、龍斗は、京梧に対してだけはべらぼうに懐が深い──もっと砕けた例えをしてしまえば、京梧の望みは大抵許してしまうし叶えてしまう、或る意味では間違っているとも言えるし、或る意味では無敵とも言える寛容さを誇るのだが、ベッドサイドに置かれた目覚まし時計が、午後五時過ぎを指した頃、文句とも言えぬ文句を時折洩らしつつも、望まれるまま、京梧に躰を明け渡していた龍斗の頬に、流石に焦りの色が浮かんだ。

「京梧。京梧」

難しい顔して時計を見詰め、子孫達に教え込まれた読み方を思い出している風に、ゆっくり、口の中でのみ、「午後五時……?」と呟いた彼は、ぺしぺし、傍らの男の腕を叩く。

「あー……? 何だ……?」

一時間程前から、甚く赤裸々な様に成り果てたベッドカバーの上で、龍斗を抱き込んだまま、うとうと微睡んでいた京梧は、おざなりに応え、未だ寝ていたいと、龍斗の手首を掴んだが。

「風呂に連れて行って欲しい」

めげずに、龍斗は彼を揺すった。

「風呂?」

「私一人では、直ぐそこの風呂にも行けそうにない。行って行けぬこともなかろうけれど、多分、酷く手間取る。痛みや傷を受けたと言うなら『力』でどうとでもなるが、疲れや怠さは治せないと、お前も知っていよう?」

「ああ。そんなことは承知してるし、風呂に連れてってやるくらい、お安い御用だ。でも、急にどうした?」

「もう、夕刻だ。龍麻達が戻って来てもおかしくない」

「だからって、慌てるこたぁねぇだろう? 今更の話だって、何度も──

──彼等には、私達の本当の関わりを知られていようとも、私は、私の末裔の前で、目に見える恥を晒したくはないのだ」

青天井、と言えるまでに京梧には寛容な龍斗でも、それとこれとはやはり次元が違うようで、焦り顔をしたまま、普段よりもちょっぴり早口で、彼は京梧に迫り、

「まあ……、体面や威厳は、必要っちゃ必要……か?」

これに関しちゃ、どんな努めも後手って奴じゃねぇか? と思いつつも、京梧とて、何時までもそのままでいるつもりは毛頭なかったので、乞われた通り、起き上がるだけでも億劫らしい龍斗を担ぎ上げ、狭い風呂場へ向かった。

江戸の終わりに生まれ落ちてより、約二十年に亘り身に染み付いたあの時代の様々な慣しと、いまだ手を切り難く生きている京梧とて、『現代歴』は二十五年、シャワーの一つも浴びられぬ筈も無く、一度きりでは今様式の風呂の使い方を覚え切れなかったらしい龍斗の世話を、一から十まで焼いてやって、己の方の面倒も見て、風呂上がり、甲斐甲斐しく龍斗にパジャマを着せてから自身の支度も整えて、彼でも余り具体的には言いたくない汚れ物を洗濯機に突っ込み、キッチンの小窓も開け放って、「どうにも茶番だが、見掛けは誤摩化せるな」と、ベッドに横になった龍斗の枕元に彼が戻った丁度その時。

賑やかな声と気配と氣が近付いて来て、玄関のドアが開いた。

「戻ったぜー」

「すみません、留守番なんかお願いしちゃって」

「おう。遅かったな」

帰って来たぞ、と言わんばかりに、京一と龍麻が、ドアの前でわざと氣を膨らませてより鍵を開けたのに、素知らぬ顔して京梧は応え、

「お帰り」

龍斗も、何食わぬ顔でベッドより起き上がった。

「すみません、一寸色々してたら手間取っちゃって。それよりも……、あの、龍斗さ──

──ただいまでーす!」

「邪魔するぞ」

京梧は兎も角、一寸横になっていただけ、な風情を見せる龍斗に、「あれ?」とでも言いたげな気配を龍麻は滲ませたが、彼の後ろから、割合に重そうな風呂敷包みを抱えた九龍と、大きな紙袋を幾つも下げている甲太郎が入って来たので、龍麻の『細やかな疑問』は流され。

「あんた達が持ってた、廊下に置きっ放しの荷物を入れるから、先にこれを受け取ってくれ」

「お。そうだった」

「ああ、御免御免」

更に、甲太郎が京一と龍麻に荷物を渡し始めたので、起こしているだけでも大変な躰を、子孫な龍麻に対する、私は先祖、との、言わば意地と気合いのみで踏ん張り支えている龍斗の根性──正しくは見栄──は、京梧以外の誰にも悟られずに済んで。

「荷物解くのは又後にして、お茶でも飲みません?」

「そうだね。葉佩君、任せていい?」

「はーい」

帰宅して来た青少年達と、『留守番』をしていた年長二人は、誰もが皆、ほんとー……に僅かばかり、唇の端の端が歪む笑いを拵えつつ、九龍が淹れた茶を啜り始めた。

デパートの地下で買って来た桜餅が、茶だけでいい、と顔顰めた一部以外の胃袋に収まって少しして。

青少年一同何やら頷き合ってより、京一が、抱えて帰って来た袋の一つから大振りの封筒を引き摺り出して、京梧の目の前に突き出す風に置いた。

「何でぇ?」

茶色いそれを見下ろし、京梧が、ん? と首傾げるも。

「書類」

「何の」

「俺達が借りてるこの部屋みたいな、週単位とか月単位で借りられる部屋の契約書。ひーちゃ……あーー、龍麻が、そうした方がいいっつったから、一応、和室にしといた。因みに、借り主も龍麻だから。予定変更して、当分の間は俺達も新宿離れねえことにしたから、場所はこの近所」

師の疑問を他所に、すらっと京一は答えた。

「…………は?」

「は? じゃねえよ、シショー。朝、暫くの間、住むトコが要るって話、したじゃんよ。だから」

「……俺達に内緒で世話焼いたってか?」

続いた説明に、段々合点がいってきて、京梧は酷く複雑な表情になったが。

「勝手ですけど、俺達で、京梧さんと龍斗さんの多少の世話はしないと、って思っちゃったんで。俺達四人からの、プレゼ──えーと、贈り物って言うか、お祝いって言うかの代わりって、思って貰えませんか?」

にこー……っと、先祖に勝るとも劣らぬ破壊力を持った笑みを湛えた龍麻が、何やら言いたげになった京梧を黙らせた。