「……あれ。龍麻さん寝ちゃった。龍斗さんも」
──夜半が近付いて来た頃、何時の間にやら、殊の外仲の良い幼い兄弟のように、ベッドの上で、龍麻と龍斗が引っ付いて寝ているのに九龍が気付いた。
「疲れてんだろ。龍斗サンは昨日の今日だし、ひーちゃん、今日はやたらと張り切ってたから」
「しかし、直系じゃないのによく似てるな。歳の離れた兄弟、と言っても、誰も疑わないんじゃないのか?」
顔と身を寄せ合って、寝息も立てずに眠る二人を見比べ、京一は、寄り掛かっていたクローゼットの奥からタオルケットを引き摺り出して、京梧へと放り投げ、甲太郎は、しみじみと感想を述べる。
「背負ったモンも、似過ぎてるからな」
馬鹿弟子に投げ付けられたそれを、眠りこける二人に掛けてやりながら、京梧はポツっと洩らした。
「それにしても…………」
「九ちゃん。言いたいことは、何となく判る」
「あ、やっぱり?」
「俺も判るぜ。なあ? シショー?」
「……そりゃ、まあな」
その彼の呟きの所為で、一寸した沈黙がその刹那下りたけれど、重みを伴う景色はあっという間に散って、見栄はこの上もなく宜しい二人の寝姿に、「これは、或る意味目の保養」と、四人が四人共、暫く、じーーー……っと視線を注いだ。
「……何時までも、他人の寝顔を眺めてても仕方無い」
「うん。それに、京梧さんと京一さんに叱られそうだし」
が、やがて、「自分の相手だというなら兎も角、龍斗さんも龍麻さんも、見栄えだけの問題で言えば、自分達にとっては観賞用以上にはならないから」と、さっさと甲太郎と九龍は鑑賞を止め、
「シショー、あんたは寝なくて平気なのかよ」
「眠気に負ける程、呑んじゃいねぇぞ?」
「んなコト判ってるって。そうじゃなくて、『励んだ』んじゃねえのかよ。……あ、もう、疲れる程は励めねえ年寄──。……いで! いででで! 痛てぇだろうが、離せよっ!」
「てめぇは本当に、師匠に対する口の利き方を覚えねぇな。誰が年寄りだ、ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ、馬鹿弟子」
眠る龍斗と京梧の顔を見比べ、ニヤァと笑いながら至極余計なことを言い掛けた京一の頬を、京梧は思い切り抓り上げた。
「だから、痛ぇっつってんだろ、馬鹿シショーっ!」
「聞こえねぇな」
「くっ……。……生意気な口利いてすいませんでした、師匠っ!」
「お前の、そういう『すみません』が、すみませんだった例なんざねぇが、ま、いいか」
「くおー……。痛ってぇ……」
それなりの抵抗は見せたが、これまでに一度たりとも成功したことない、との戦績が物語る通り、どうしても京一には、頬を渾身の力で抓り上げる京梧の腕を振り払うことが出来ず、口先だけの謝罪を彼は叫び、
「…………おい、馬鹿弟子」
ふん、と鼻白みはしたものの、一応指は離してやり、「何時か、ぜってー報復してやる!」と小声で叫びながら、ぐぎぎぎぎ……、と傍らに置いた紫の竹刀袋を握り締めつつ酒のグラスも掴み直した弟子を、少しばかり改まった声で京梧は呼んだ。
「何だよ」
「さっきの話の続きだ。……お前等ヒヨッコ共の気遣いは有り難ぇが。やっぱりな、それに甘えるってな──」
「──あー? まーだグダグダ言ってんのかよ、馬鹿シショー。人の好意は素直に受け取っときやがれ。それに。俺達にだって、下心はあるぜ?」
「下心?」
「おう。別に、あんたや龍斗サンのことが気になるからってだけで、こんなことした訳じゃねえし、暫くは俺とひーちゃんが日本離れないことにしたのも、近所に部屋借りたのも、下心付き。俺は、未だ未だあんたから掠め盗れるモンがあるって知っちまったし、ひーちゃんも、龍斗サンに修行付けて欲しいって思ってるし、九龍と甲太郎にだって、似たような下心はある。年寄りにゃ判らねえだろうが、現代を謳歌してる若者は逞しいんだっての」
「…………成程」
名を呼ばれ、片付いた、と思い込んでいた話を蒸し返され、京一は呆れたように肩を竦めながら、全てが全て『思い遣り』ではない、と嘯き、京梧は肩を竦め返す。
「判った。だってなら、どうしたって気に食わねぇが、一つ借りといてやる。近い内に、熨斗付けて返してやるから覚悟しとけ。そう簡単に、てめぇが未だ持ててねぇモノを、俺から掠め盗れると思うなよ、馬鹿弟子」
「うっわー…………、可愛くねぇ言い種しやがるな、年寄りのくせに……」
「本当のことだろうが、小生意気な糞餓鬼。──九龍、甲太郎。お前等も、俺達に修行が付けられてぇ口か? それとも、『とれじゃーはんと』とやらで何か遭った時の、手助けの方が具合がいいか?」
「あ、勘付かれてる。──俺達は、手助けの方が有り難いです。京一さんと龍麻さんだけじゃなくって、京梧さんと龍斗さんにも、もしもの時に頼れちゃったりしたら、はっきり言って、無敵な気がするんで」
「そうだな。『もしもの時』なんか起こらないに越したことはないが、万が一の時の為の『保険』を、京一さん達だけじゃなくて、あんた達にも掛けさせて貰えたら有り難い」
「そうか。なら、その『もしもの時』には言って来い。俺と龍斗に貸せる手なら、借りの分は、きっちり返してやる」
更には、九龍も甲太郎も、今日のこれは『取引』のようなことだと、尤もらしく聞こえる建前を口にし始めたので、これ以上は無粋になる、と京梧は己の意地を引っ込め、『嘯き』や『取引』を、漸く受け入れた。
「……さて。なら、改めて呑むとするか」
「そだな」
「そですね」
「京梧さんも京一さんも、未だ呑むのか? ……九ちゃん、お前はいい加減止めとけ」
「えー、甲ちゃんだって、未だ呑む気あるくせにー!」
だから、その後も。
寝てしまった二人を起こさぬように気遣いながらも、今宵は未だ酒に負けぬ残り四人は、ぎゃあぎゃあと賑やかに酒宴を続け、それより暫くが過ぎた頃、下馬評通りの順番で、一人、二人、と適当に横たわっていった真夜中。
一人呑み勝った京梧は、
「今日も勝てねー……」
と呟きながら、白旗を振って床に突っ伏した馬鹿弟子の頭を、慰めるように一、二度撫でてから、杯代わりのグラスを摘まみ上げつつベッドの縁に背を凭れ、そっと、龍斗の寝顔を覗き込んだ。
「…………ん……?」
すれば、ゆるゆると龍斗の両の瞼は開き、視線は京梧の眼差しを捉え。
「私は、寝ていたか?」
「ああ。気持ち良さそうに寝てた。……未だ夜中だ。もっぺん寝とけ」
「そうだな。そうする。明日からは、きっと忙しい……」
龍斗は、親猫に懐く仔猫のように眠る傍らの龍麻にタオルケットを掛け直してやってから、自らは、眠りの世界へ押し戻す風に前髪を掻き上げてくる京梧の手に甘えつつ、再び瞳を閉じた。
「よく寝ろよ」
「大丈夫だ。今夜の酒は、とても良い酒だったから」
「……『酔えた』か?」
「…………ああ」
「そうか。……お休み」
「京梧、お前も。……お休み」
────本当に小声の、小さな小さなやり取りを龍斗と交わし、彼が、再び眠るのを待って。
京梧は、部屋の灯りを落とした。