翌日。
未だ、甲太郎はそうとは知らぬ、彼の『運命の日』。
阿門より受けた、今日より学園に編入する人物が《転校生》なのかどうかを見定めて欲しい、との依頼は記憶していたが、朝のホームルームから出席する気になれなかった甲太郎は、二時限目の終わり辺りに登校はしたものの教室には向かわず、昨日と同じく屋上へと上がって、コンクリート打ちっ放しの床に直接座り込むと、給水塔の一つに寄り掛かりながら、やはり昨日と同じく晴れ渡った秋空を見上げた。
──皆守甲太郎という彼には、余り生気が無い。
齢十八にして、既に涸れている、とすら言えそうなくらい覇気も無い。
眠りを愛し、眠りの中で訪れる夢を愛し、それらと戯れるべく暇さえあれば惰眠を貪っている。
怠惰で、授業の出席率も悪くて、学内では『屋上の支配者』な『三年寝太郎』として悪名を馳せている始末だ。
尤も、生まれ付きの性格ではなく、一年九ヶ月前の例の事件が彼をそんな風にさせてしまったのだが、現在の彼が、怠惰な『夢見る夢見マン』であることに変わりはなく。
どうしても手離せないアロマパイプを吹かして、辺りにラベンダーの香りを撒き散らしながら、ぼんやり空を眺めていた彼は、「どうせ、転校初日の成果など、阿門も期待してはいないだろう」と、昼寝を決め込もうとした。
「ここが屋上! ね? 風が気持ちいいでしょう?」
「……あ、うん。そうだね。でも……寒いよね、ここ……」
だが。
うつらうつらしている内に、疾っくに学内は昼休みを迎えていたらしく、鉄の扉が開く音に続き、聞き覚えのある元気過ぎる女生徒の声──彼のクラスメートの一人である八千穂明日香と、こちらは聞き覚えの無い少年と思しき声の二つが屋上の入り口付近より湧き上がって、閉じ掛けていた両の瞼を、甲太郎は薄く開く。
「あー、まあ、確かに寒いかも知れないけど……。……で、でね! ここから下を見るとね、天香学園が全部見渡せるんだよ。ほら、あそこ! あのドーム型の建物が温室。あっちが皆の住んでる寮で、その隣に広がってるのが先生や職員の人達の家。それで、こっちの陰気そうな森の奥に少しだけ見えるのが、さっき話した墓地」
「……う、うん。そう、なんだ。へぇ…………」
咄嗟に気配を殺し、『侵入者』二名を目で追ったら、声が示した通り、明日香と、彼女に連れられた少年が、直ぐそこの鉄柵越しに眼下を眺めている姿が彼には見えた。
その、彼女と彼をそれとなく観察し、「こいつが、例の転校生か」と、甲太郎は眼光を鋭くする。
……明日香と並び立つ彼は、学内では今日まで一度も見掛けたこと無い少年だった。
凡そだが、甲太郎と同程度の身長の、線の細そうな体躯をしている、創作の中で描かれる宝探し屋のイメージからは程遠い少年。
黒く長めな前髪の所為で断定は出来ないが、面立ちも、柔らかいと言うか小綺麗と言うかな感じで、女受けはするだろうけれど、到底、宝探し屋には見えないな、と彼より受けた第一印象より甲太郎は思う。
何より、転校生らしき少年からは、己とは違う意味で覇気が感じられない、とも。
持ち前の元気良さ──甲太郎に言わせれば、過ぎる元気良さだが──を振り絞り、一生懸命校内案内をしている明日香に応える彼の声は、小さくて、おどおどとした響きを持っていて、彼女の説明に興味が持てていない様子なのが、傍からも手に取るように判った。
小綺麗な顔が拵える表情も曖昧な笑みばかりで、常に何処かを彷徨っている視線は訳も無く他人を苛立たせる何かをも感じさせ、「もしかしなくとも、この転校生は苛められっ子体質か?」と、甲太郎は思わず呟いた。
自分だったら、あんな、根暗そうで手応えの感じられない、付き合ってもつまらないだろう奴とは関わりたくもないな、と。
けれど、明日香はめげること無く、どうにも反応の薄い彼へあれこれ話し掛け続け、二人のギクシャクとしたやり取りが《墓地》に絡む話題へと進んだ時、奴が《転校生》だろうがそうじゃなかろうが、あそこに興味を持たれたら困る、と黙って聞き耳を立てていた甲太郎は、
「──ふぁーあ。うるせぇな……」
声に昼寝を邪魔され目が覚めてしまった、との演技をしつつ、彼等の会話を遮った。
「……ん?」
「転校生如きで盛り上がって、おめでたい女だ」
「あっ。皆守クンっ!!」
「授業をフケて昼寝してりゃ、屋上で大声出しやがって。うるさくて寝られやしない」
「道理で、授業中に姿が見えないと思ったら。朝からずっとここにいたの?」
演技ではあったが、演技せずとも元々から気怠い声のお陰で、甲太郎の存在に気付いても明日香は何も疑わず、サボり魔発見! と言わんばかりに彼を指差す。
「まぁな。非生産的で無意味な授業を体験するぐらいなら、夢という安息を生産する時間を過ごした方がマシだからな。お前も、そう思うだろう? 転校生」
彼女の追求と指先を仕草と屁理屈で退け、甲太郎は、転校生の前に立った。
「え? ……あ、う、うん。……まあ……そうなんじゃない、かなあ……」
「中々、話が判るじゃないか」
「もう……、何言ってんの、皆守クンっ。大体、そんなとこで煙草吸ってたら、先生に見付かって退学処分だよ?」
「やれるもんならやってみろよ。こいつは、煙草じゃなくてアロマだからな。所謂、精神安定剤って奴だ」
敢えて話を振ってやった転校生の反応はこの上も無く薄く、且つ辿々しかったが、そこは一先ずさらりと流し、彼は、明日香を掛け合いに引き摺り込む。
「アロマ? ……そう言えば、ラベンダーの香りが」
「どうだ? お前らも試してみるか?」
「……あのさ。皆守クン。それって、吸うものなの? 吸っていいものなの?」
「…………御免。遠慮しとく。やっぱり、そういうのは……」
すれば、明日香からは想像以上の反応が、転校生からは何処と無く嫌そうな反応が返ってきて、双方共に別の意味で腹立たしいが、《墓》から話題が逸れたのは何よりだ、と甲太郎はほくそ笑んだ。
「あのな……」
「……あ、ああ! そうそう! 皆守クン、サボってたから知らないよね! 転校生の葉佩九龍クン! ──葉佩クン。彼は、皆守甲太郎クン。彼も、あたし達のクラスメートだよ」
一方、明日香は九龍の反応に一瞬のみ渋い顔をし、場を取り繕うように互いに互いを紹介して、
「ま、どうでもいいけどな。────転校生。お前が楽しい学園生活を送りたいなら、一つだけ忠告しておく。《生徒会》の連中には目を付けられないことだ。いいな? 八千穂の言う通り、俺とお前は一応はクラスメートだ。その誼みで、それだけは教えといてやるよ。……じゃあな」
彼女へと肩を竦めつつも、転校生の彼だけを見詰めて早口に告げると、甲太郎は踵を返した。
「あっ、皆守クン。何処行くの?」
「屋上は、うるさいんでな。新しい寝床探しだ」
「あー、行っちゃった。……皆守クン、何時も、ああやって一人でいるんだ。本当は、いいとこもあるのになあ……」
又な、と片手を上げて、元気を有り余らせている彼女と、どうやら本当につまらないだけの人物らしい転校生から去り行く彼の耳に、フォローを入れる明日香の声が届いたが。
余計な世話だ、ともう一度肩を竦め、甲太郎は、アロマパイプを掴んだ左手にて、屋上の扉を後ろ手に閉ざした。