二〇〇四年 九月二十一日 深夜 ──葉佩九龍──

「……おーや、おや」

強く深く身を縮ませ苦しげに叫びつつ気を失ってしまった甲太郎を、片膝突いたまま眺め下し、九龍は肩を竦めた。

「ん……?」

尋常で無い様子の相手を助け起こしもせず、表情一つ変えず、じっと観察だけを続け、やがて彼は、何処からともなく湧き上がった、砂時計が落ちるようなサラサラとした音を耳にし、MK23を構え直して目を凝らした。

光源は謎な明るさに満たされているとは言っても、地中深くに設えられた遺跡内部のこと、やはり薄闇は其処彼処に潜んでおり、その、薄く滲む闇達を縫う風に、どうやら甲太郎から流れ出したらしい、黒くて細かい、正しく砂としか思えぬモノが、何処いずこか目指して流れ去って行くのを見付けた彼は、

「ふーん…………。こいつを殺さなかったのは、我ながら大正解だな。こんな物に関する情報は、ロゼッタの報告書の中には無かったから、この辺りのことも吐かせなきゃならない」

まるで生き物の如く蠢く砂のような何かと、発生源らしい甲太郎とを暫し見比べ、心底満足そうな、満面の笑みを浮かべる。

「担いでってやるから、感謝しろよ? ……ま、無理か。さっきの言い草から察するに、死にたがりらしいからな、こいつ。……でーもー? 利用価値がある内は死なせないぜ、ミナカミ君」

そうして、うきうきと鼻歌すら歌いつつ、荒っぽく引き摺り起こした甲太郎を肩に担ぐと、彼は、蹌踉めきながらも地上目指して歩き出した。

それより、小一時間程が経った。

何とか辿り着いた寮の自室のベッドの上に、未だ昏倒したままの甲太郎を放り投げた九龍は、肩で息をし仏頂面を拵えていた。

「捨ててくれば良かった……。然もなきゃ、何としてでもあそこで叩き起こすんだった……」

渋面をしただけでなく、おまけとばかりに文句も垂れて、着込んだままのアサルトベストより小さなミネラルウォーターのペットボトルを取り出し中身を煽り、彼は、薄いにも程がある絨毯の上にへたり込む。

──鍛えても鍛えても、筋骨隆々になってくれない体躯を秘かなコンプレックス──の一つ──にしている九龍だが、超一流の宝探し屋として、日々、第一線で活躍しているが故に、彼は、線が細いと言えてしまう体躯からは想像も出来ない体力や持久力を有してはいる。

しかし、そんな彼をしても、己と殆ど体格に差が無い、しかも男を背負って、地中の遺跡から地上へロープ一本のみを伝って自力で這い登り、誰にも見咎められぬよう気を遣いながら暗い森中の小径や寮の廊下を抜け、男子寮三階隅の自室に戻るのは、かなりの時間と労力を要した。

俺は何で、皆守なんぞを担いで戻ろうと思ったんだ? と自問し、一時間前の自身を罵らずにはいられぬまでに。

だが、それもこれも、偏に、目指すお宝の為、と己で己に言い聞かせ、一休憩入れてから、彼は甲太郎を叩き起こす。

「皆守。起きろ。いい加減、目ぇ覚ませ」

始めの内は、一見は寝こけているだけと映るまでになった甲太郎の両頬を、それなりに優しく引っ叩くだけだったが、直ぐに埒が明かないと踏んだ九龍は、彼の容態も確かめず、額目掛けて肘鉄を落とした。

「痛……っ! 何だっ!?」

荒っぽく無慈悲なそれは効果覿面で、がばりと甲太郎は跳び起きた。

「お。起きたか?」

「…………お前か。今のも、お前なんだな、葉佩……。……って、ここは……? 俺は確か、《墓》で…………」

「その通り。お前は俺とやり合って直ぐ、あそこで引っ繰り返ったんだ。見捨てずに、わざわざ寮まで担いで来てやったんだ、感謝しろ?」

「……冗談だろ。何で俺が、お前なんかに感謝しなけりゃならない? 馬鹿も休み休み言え。見捨てときゃ良かっただろうが。俺は、お前の敵で邪魔者だ」

骨が軋む程の力で肘鉄を入れられた額を左手で押さえつつ、辺りを見回した甲太郎は、ギッ……と宝探し屋を睨み付けたけれど。

「話があるから見捨てなかったんだ。さっきの『オハナシアイ』とは別次元の話がな」

想像通りの反応、と愉快そうに笑って、九龍は彼の枕元に腰掛け言った。

「聞きたくない。俺には、お前とする話なんか無い」

「お前には無くても俺にはある。一発目の『オハナシアイ』に負けたのはそっちだぜ? 少しは、殊勝な態度ってのを取った方がいいんじゃないのか?」

「……それ、は…………」

九龍曰くの『オハナシアイ』は、別段、勝った方が負けた方をどうこう、といった風な取り決めがあった訳でもない、単に自身の仕事の邪魔だから、との理由のみを引っ提げて九龍から吹っ掛けた殺し合いでしかなかったのだけれども、互い正体を明かしてのやり合いに負けた事実に負い目を感じてしまっていたのか、甲太郎は、冷静に考えれば全く筋の通っていない彼の言い分に、うっかり言葉を詰まらせてしまい、

「ま、聞くだけ聞けよ。悪い話じゃない」

チョロい……、と腹の中で舌を出し、一転、九龍は猫撫で声を出した。

「…………判った。但し、本当に聞くだけだ」

「素直で宜しい。────話、と言っても。正しくは取引だ。……皆守、お前、俺と取引しないか?」

「取引?」

「そ。やっぱりさっき言った通り、この学園のことも、《遺跡》のことも、《生徒会》のことも、或る程度掴んだ上で、俺はここに乗り込んで来てる。だが、何でも彼んでも知ってる訳じゃない。未知のことだって山程ある。お宝を手に入れる為には解き明かさなきゃならない謎だって。その、俺が知らなきゃならない山程のことを、お前だって全てじゃないにしろ幾つかは知ってる筈だ。名を連ねてるんだから、《生徒会》にだって詳しいだろう? だから──

──だから、その辺のことを洗い浚い白状しろ、と。……成程、そういう話か」

懐柔しようとの魂胆が透け見える猫撫で声に、背中に鳥肌が立つのを感じながら、甲太郎は彼を鼻で笑った。

「ああ。それに、お前のあの《力》。何であんな力を持ってるのかは知らないが、素晴らしく魅力的な力だ。協力者に据えるには申し分無──

──断る。お前のネタ元になるのも協力者になるのも、嫌だね」

「あのな、話は最後まで聞けよ。取引だと言ってるだろうが。勿論、只でとは言わない。……これくらいでどうだ? ちょーっとナニな額だが、未だ高校生のお前にゃ、丁度いいくらいかと思うんだが」

だが、拒否と共にそっぽを向いて、ベッドサイドに放り投げられていたアロマパイプを取り上げ燻らせ始めた彼の態度をさらりと流し、一層甘ったるい声を絞った九龍は、ピッと、右手の人差し指を一本立て、強引に彼の眼前に突き付ける。

「はした金で、俺の態度が変わるとでも?」

「あ、やっぱり安いか。じゃあ、もう一桁上ならどうだ?」

「何度も同じことを言わせるな。例え、十万が百万になった処で──

──馬鹿。全然桁が違う。…………一億。一千万を、一億にするって言ってるんだ」

「…………はぁ? 一億!?」

「………………あ、未だ安い? なら、十億……は、学生じゃ持て余すだろうから、五億くらいで」

「違う! 逆だ! 億って何だ、億って!?」

「…………? 何か不思議か? お前に《生徒会》を裏切らせるには、それくらい安い」

無理矢理にでも甲太郎と視線を合わせる為に、乗り上げたベッドで胡座を掻いていた九龍は、告げてやった具体的な買収金額に目を剥きながら声張り上げた彼へ、きょとんと首を傾げつつ言い切った。

────金で片付くことはやすい。

それが、九龍の持論の一つだ。

彼の言う『金』は、世間一般とは少々桁が違うけれども。

そして、金に関するもう一つの彼の持論は、『一度、容易には手にし得ぬ大金を与えてやった相手は、金で繋がり続ける限り、決して裏切らない』というそれ。

……実際、今まで彼はそうやって、求める宝を得るべく他人を取り込んできた。

金だけが彼が駆使する術では無いが、金という武器を多用してきたのは事実だ。

持論通り、大金を餌に釣った相手は悉く靡いたし、金で繋がっている間は決して彼を裏切らなかった。

先祖代々宝探し屋が生業の葉佩家は、巨万の例えでも足りない富を有しているから、億程度の金を右から左へ流した処で痛くも痒くも無く、又、彼の親兄弟も同じ思考の持ち主達だったし、『過去の実績』が、人は金で動く、と彼に信じさせていた。

それに。

何より九龍は、金で釣れない相手を信じない。

金品を軽蔑し、主義主張だの、愛だの情だのを尊重する者は、金品を有り難がる者より遥かに脆く、煮ても焼いても食えないモノの為に、簡単に裏切りを犯すという本末転倒を引き起こすから。……と、少なくとも九龍は確信している。

故に彼には、甲太郎の驚きが全く解せず、

「理解不能だ…………」

こちらの態度に怪訝を返す、お前が怪訝だ、と甲太郎は頭を抱える。

「……じゃあ、やっぱり十億──

──違う! そうじゃないっっ!」

「なら、何だよ」

「何だよ、って、お前な…………。それこそ、何なんだよ……。ほん……っとうに、馬鹿にするのもいい加減にしろよ」

「馬鹿にしてる訳じゃない。金で片を付けるのは、手っ取り早くて判り易いだろう?」

「…………だから。そうじゃないと何度言えば…………。…………兎に角。幾ら積まれようが、俺はお前とは取引なんかしない。俺には、金なんか必要無い」

「……金が必要無いって、珍しい奴だな。…………判ったよ。だってなら、リクエストに応じようじゃないか。皆守、お前は何が望みだ?」

だが、九龍はあっけらかんと言い捨てて、交渉材料の変更を申し出るのみで。