同日 同時刻 ──皆守甲太郎──
「葉佩。俺の言ってる意味を正しく解れ。望みなんて……────。……望み、か……」
『取引』の話を始めて以降、九龍の口から飛び出る言葉の全てが理解不能だったし、理解などしたくもなかったが、彼が、横っ面を札束で引っ叩く真似をすれば他人は動く、との思考の持ち主であるのは十二分に悟れ、甲太郎は、苛々とアロマパイプの吸い口を何度も噛んだ。
本当は、どうしようもなく下衆な眼前の宝探し屋の胸倉を掴み上げて、ぶん殴ってやりたかった。
そこまで、九龍の何も彼もを腹立たしく感じるのであれば、結果論的には具体的に何がどうなった訳でも無い、只の殺し合いをしただけの相手など、徹頭徹尾無視してしまえば済むだけの話なのだが、実の処は真面目な性根をしていて、冷徹に他人を切り捨てられないが為にそんな最も簡単な手段すら思い付けない彼には、馬鹿正直に相手を務めるしか出来ず、故に九龍を殴りたくて仕方無かったのだけれども、実行してみた処で、先程のように己が敗北を喫するのは目に見えていたので、幼子の悪癖に似た仕草で憤りを流していた最中。
ふと、彼は、或る意味での好奇心に取り憑かれた。
それも、酷く質の悪い『好奇心』。
────葉佩九龍は酷く下衆な人物で、この世では、即物的な生き方や手段のみが幅を利かせると信じている節が窺える。
ならば、金や物とは絶対に引き換えに出来ない何かや、最低な人種だろうと秤には掛けられぬ何かを求めてやったら、さぞかし困るのではなかろうか。
…………それが、甲太郎が取り憑かれた『好奇心』だった。
そこまで大仰で無くともいい、明確な形を取らない、抽象的で曖昧なモノをこちらの望みとして告げたら、人の心すら金や物に換算するこいつは、理解さえ出来ずに、頭を悩ませ困るだろう。
……ああ、そうなれば、少なくとも多少はこちらの溜飲が下がる、とも彼は思った。
否、思ってしまった。
「……………………お前」
「ん?」
「お前の持つ、金や物以外の何か。敢えて言うなら、お前自身。それが、俺の望みだ」
…………だから。甲太郎は、そんな望みを舌に乗せた。
本当に、唯、九龍が困惑すればいい、その一念のみで。
一瞬、この言い回しでは要らぬ誤解をされるかと心配になったが、品同様、言い方も抽象的且つ曖昧なのだ、どうとでも受け取れるし、逃げ道とて幾らでもあるだろうと考え直した。
例え、この馬鹿が頓珍漢なことを言い出したとしても、そうじゃない、と侮蔑してやればいい、と。
「……俺自身?」
「そうだ。お前自身」
「…………ふーん。──判った。じゃ、交渉成立な」
だがしかし。
困った素振りも悩んだ素振りも見せず、さも、「安く上がった!」と言わんばかりに顔を輝かせた九龍は、掻いていた胡座をサッと崩し、アサルトベストも、制服のシャツも脱ぎ捨てながら、ひょい、と甲太郎の上に股がる。
「一寸待て、馬鹿! そういう意味じゃないっ!」
「どうして。俺自身がご所望なんだろう? こういう意味以外に何がある。お前にソッチの気があるってのは意外だったが」
「ある訳無いだろう、この大馬鹿!」
「あ、抱かれる側じゃなくて抱く側が好みか。それは失敬」
「そうじゃないっつってんだろうが! どういう思考してやがるっっ」
「……何だよ。今更、前言撤回か? 男らしくないぜ。気にするな、俺は、女相手も男相手も経験豊富だ。………………それにな、皆守」
「…………そ、それに……?」
「お前が、どういうつもりでそんな望みを口にしたにせよ。俺──葉佩九龍が、殺すにゃ惜しいと思った相手を、見す見す逃すと思うなよ? もう、自分が《生徒会》の人間だってことは忘れろ。少なくともこの仕事が終わるまでは、お前は俺のものだ」
馬乗りになられ伸し掛かられ、「拙い、予想し得た中で最悪の要らぬ誤解を招いた」と焦った甲太郎は抵抗を試みたけれども、九龍は、ニタ……っと笑い、彼の服を脱がし始めた。
「そんなこと俺が知るか! 俺が言ったのは、金でも品でも無い、お前が持つ何かってだけで──」
「──そんなん、躰で充分だ。何なら、あそこの《秘宝》を手に入れるまで、何時でも何処でも、お前の好きな時に好きなようにしていいって条件も付けてやるよ。破格だろ?」
冗談じゃない。男、しかも、心底腹の立つこんな男と同衾なんか出来るかと、精一杯、それこそ渾身、甲太郎は暴れたが、所詮は無駄な抗いだった。
甲太郎はグラウンドポジション、九龍はマウントポジション、どちらが有利かは明々白々であり、地の底で自在にハンドガンを操っていたあの時のように、嫌になる程慣れた手付きで上半身を裸に剥かれた刹那、甲太郎は、諦めとも嘆きとも付かぬ溜息を吐いて目を閉じた。
……この男が即物的だというのを、能く能く考えれば良かった。
札束で他人の横っ面を張り倒すのが当然と思うような奴が、色恋と真摯に向き合う筈など無い。抱くの抱かれるの、と言ったこととて、こいつには所詮、手段や道具の一つでしかないのだろう、と薄らぼんやり考えながら。
…………その、彼の想像は正しかった。
必要とあらば、九龍はひょいひょい、男も女も相手にし、用が済めば、ちり紙よりも簡単に捨て去ってきた。
貞操や真摯な恋愛など、彼には何の価値も無い。
だが、そんな正しい想像を巡らせた処で、後の祭りでしかなく。
「ちゃんと、キスからしてやろうか? ……そんな顔するな。お前の抱いてる相手が、男だとか俺だとか、そんなの、直ぐに気にならなくなるだけの想いさせてやるから。……期待としけ?」
遣る瀬無さそうな風情になった甲太郎を見下ろし、そう言うや否や、九龍は彼に覆い被さった。