二〇〇四年 九月二十九日 深夜 ──皆守甲太郎──
転校以来、夜毎の探索に赴いている《遺跡》より寮の自室に戻った九龍は、あからさまにブスっとしていた。
「ったく……。何なんだよ、あの面倒臭くて鬱陶しいだけの遺跡は。お前だってそう思うだろう? 甲太郎っ」
「……俺に訊くな」
約十日程前のあの夜、半ば無理矢理『関係』を持たされて以降、毎夜駆り出され、今夜も同じ運命を辿る羽目になった甲太郎は、げんなりとしながら、それでも応えた。
…………あの後。
端的に言えば、九龍に『襲われた』後。
甲太郎は、己が知ることも、自身の具体的な立場も、片っ端から白状させられた。
事前に九龍が掴んでいた通り、《生徒会役員》であること、《生徒会副会長》の役職を得ていること、にも拘らず、一年数ヶ月に亘り『休職中』であること。
己の《力》の正体、《力》の出処、《生徒会副会長》が果たすべき『役割』。
《墓》の本当の正体を知るのも、そこに隠された《秘宝》が何たるかを知るのも、《生徒会長》阿門帝等のみであることも。
綺麗さっぱり。
誠に不本意な成り行きに従ってとは言え、そんな風に全てを語ってしまうのは、流石に阿門に申し訳無いと思ったが、知る限りを教えた直後、彼は、これでお役御免だ、と胸を撫で下ろした。
一刻も早く、葉佩九龍との関わりを絶ちたくて仕方無かった。
だが、彼の『退場』を、九龍は許さなかった。
許さなかったばかりか、一層の攻勢を仕掛けてきた。
色、という名の攻勢を。
──甲太郎は、根っからノーマルだ。同性愛への興味も衝動も、欠片も持ち併せていない。
が、事の最中、睦言代わりに九龍が告げてきた通り、同性を相手にするなんて鳥肌が立つ、という口の彼が、うっかり魅力的に感じてしまったくらい、九龍との事は良かった。
身も蓋も無い言い方をすれば、それだけ彼は巧かった。
呆れる程心得ているらしい、同性に抱かれる際の術という奴を、遺憾無く発揮してみせた。
そんな、九龍の『床上手』っぷりと、十八歳という肉欲の衝動を覚えがちな年齢とが相俟って、僅か十日弱を経ただけで、甲太郎は、九龍との間に事実上のセックスフレンドという関係を築いてしまい、折り重なる幾つもの事情と理由が感じさせてくる背徳感が罪悪感をも生んで、嵌った泥沼から抜け出せなくなった彼は現在、諸々を悩むのを放棄し、投げ遣りに、望まれるまま九龍に付き合う日々を送っている。
「過去、ここに潜り込んだロゼッタのハンター達の報告書のお陰で、あの《遺跡》の正体も、或る程度までは判ってるんだ。大和朝廷がこの国を支配してた時代、何者かがあれを築いたらしいってのも。誰がどうやってやらかしたんだかは知らないが、化人ってあの化け物が、超古代文明が生んだ超科学の産物だってのも。あそこのお宝は恐らく、その『科学』に絡む何かだってことも。あの時、お前から出て来た黒い砂みたいな物は何だったのかの見当も大体は付いた。アレが、《生徒会長》の《力》に絡んでる物ってことだって。……俺の邪魔者達の情報もそれなりには集まってきたし、目指す先や目指す物の目処も粗方立ってるってのに、何で先に進めないんだ、あそこはっ!」
半ば世捨て人の心境で、甲太郎が己と共にあるのを知ってか知らずか、床に装備を放り投げた九龍は、ガスっとベッドに腰を下ろし、又もや喚いた。
「うるさい。黙れ、九龍」
協力者のお前と昼間の学内で自然に行動を共にするには、お友達を装うのが最善だろうから、らしく、ファースト・ネームで呼び合おうぜ、との九龍のお達しは守りつつ──でないと、不遜な宝探し屋が機嫌を悪くするので──、耳障りな会話を、その部屋唯一の椅子を占めた甲太郎は切って捨てる。
「お前こそうるさい。大体な、生徒会副会長のくせに、何で肝心なこと知らないんだよ。お前がもう少し詳しけりゃ、邪魔臭い《生徒会執行委員》とかいう連中の相手をしなくても済んでる筈なのに」
でも。九龍は、甲太郎の主張を無視し、喚き続けた。
「最初に言ったろうが。俺に話せることは少ないと。《墓》の秘密も《秘宝》の正体も、知ってるのは阿門だけだ」
「…………だったな。……それにしても。執行委員達にしても、お前にしても。《遺跡》のことを碌に知りもせずに、能く《生徒会》と関わり持ったな。《生徒会長》から、訳判らん能力まで授かって」
「ああ…………。……不思議か?」
「そりゃあ勿論。俺だったら御免だね」
「お前は、そうだろうな。……だから多分、何をどう説明してやっても、お前には理解出来ない」
本当に、こいつは……、と思いながらも、暗に話に付き合えと求めてくる九龍に渋々従っていたら、不意に、《生徒会》の一員となった動機を問われ、甲太郎は自嘲気味に言う。
「俺には解らなくてもいい。話せよ。そんな話にだって、宝の為のヒントがあるかも知れない」
と、九龍は却って興味を唆られたらしく、責っ付いてきた。
「……………………。……九龍。お前、他人と決して交われない空しさを、感じたことあるか?」
「交われない? ああ、理解されないって意味か。……無いな。他人と交われない、理解されない、それの何が空しい? 生まれる時も一人、死ぬ時も一人。それが人間だ。誰とも交われないのも理解し合えないのも、当たり前だろう」
「かもな。…………でも、俺は空しかった。本当にガキだった頃から、全ての大人達に可愛気が無いと退けられ続けたのも、何も彼も見透かしているようで不気味だと敬遠されたのも。俺自身には、これっぽっちもそんなつもりは無かったのに。……お前は考えたことも無いんだろうが、保護者の庇護に頼るしかない子供が、居場所一つ持てないってのは、子供にとっちゃきつい。少なくとも、俺にはきつかった。捻くれて育つつもりは無かったが、お陰で捻くれた。…………執行委員だったあいつらが、何を思ってその役目に就いたんだかは知らないが、俺は、阿門が与えてくれると言った、寄る辺無い俺の引き受け先に飛び付いただけだ。何があろうとも守り通さなきゃならないモノを抱える《生徒会》という場所は、《生徒会役員》という役目は、俺に、細やかでも意味を与えてくれるように感じたんだ。だから、《遺跡》の正体が何だろうが、《秘宝》にどれだけ価値があろうが、知りたいとも思わなかったし、どうでも良かった。守るモノの本当の姿なんて、俺には意味が無い」
そんな話にだって、宝の為のヒントがあるかも知れない、との、何を語っていても、何をしていても、九龍の脳裏を占めるのは目指す宝のみ、という証明である一言に、ふと、甲太郎は何故か同情を感じ、彼が聞きたがった『動機』を教えた。
「成程ね。あそこでやり合った後、取手や椎名が言ってたことも、似たり寄ったりだったが……、あいつらに輪を掛けて、繊細だな、お前。じゃあ何で、その寄る辺から離れて休職なんかしてるんだ?」
「それ、は…………」
「…………昼間のアレが理由か?」
「は? 昼間のアレ?」
「理科室での爆弾騒ぎの直後、椎名や八千穂と俺が話してたら、お前、いきなりやって来て、椎名に説教かましたろうが。死の意味がこれっぽっちも解ってなかったあいつに、『死んだ奴には二度と会えない。誰も、そいつの代わりになんてなれない』と、そう言ったろう。アレだよ。…………一年九ヶ月前、お前に何が遇った?」
思った通り、甲太郎が語り終えても、九龍はピンと来ぬ風に顔を顰めて、唯、更なる追求をし、
「……………………それこそ、お前には理解出来ないさ。理解されて堪るか」
その身の何処かを酷く痛めたかのように、甲太郎は苦しげに呻いた。
「いいから、言えって。言わなきゃ、今晩は寝かせない」
「あのな……。いい加減、腰が痛いんだよ、俺は。…………つまらない話だ。女が一人、死んだ。それだけだ」
「……ほう。女、ね。どんな?」
「一年の二学期から、その頃の俺のクラス担任になった女教師。止めときゃ良かったのに、俺みたいな奴の更正に躍起になって、こっちの正体も知らずに鬱陶しく後を追い掛け回して、その果て、墓地の正体も、俺の正体も知っちまって。もう二度と、《墓》を侵す者の排除になんて手を染めるな、こんなことは自分で最後にしろと、好き勝手に告げた挙げ句に、俺の目の前で自殺した女」
────どうして、そんな気になったのか、甲太郎にも判らない。
判らない……が、促されるままに、彼は、一年九ヶ月前の出来事──自身と阿門しか知らない『休職』の理由を、九龍に語っていた。
決して誰にも打ち明けまいと、かつて、己に誓った筈なのに。
「………………甲太郎。お前、本当に繊細に出来てるな。……ああ。確かに俺には理解出来ない」
座り続ける椅子の上で幾度も脚を組み直しつつ、淡々と『遠い記憶』を語った彼に、何時しかベッドに腕枕で横臥していた九龍は、それだけを言った。
「だから言ったろう。お前には理解出来ないだろうし、されたくもない、と。……九龍。お前も、昼間のアレの時、椎名に言ってたよな。『死んだ奴には二度と会えない。誰も、そいつの代わりになんてなれない』、それは事実だと。だが、お前には、死の痛みは判らないんだろう?」
「……俺に、それが判るか否かは別にして。何故、死が痛い?」
「…………え?」
「トレジャー・ハンターなんて商売をしてるからだと、お前は言うだろうが。俺は、何時だって死と隣り合わせだ。お前だってそうだ。死なんて、何時でも、幾らだって転がってる。実際、俺の親父もお袋も、兄貴も姉貴も。皆死んだ。親父達と兄貴は仕事の最中に。姉貴は交通事故で。…………誰もが何時かは死ぬ。たった一人で。それが、全ての生物に負わされた宿命。俺だって、そう遠くない未来、何処かの遺跡で野垂れ死ぬんだろうさ。宝探し屋の末路なんざ、大方そんなもんだ。──生きとし生けるモノ、全てが迎える宿命を、一々痛んでたらキリが無い。所詮は他人。決して交われない、理解し合えない他人。お宝愛でた方が余程マシだぜ。宝こそ我が人生、ってな」
「九龍…………。俺は、今の今まで、お前を碌でなしの下衆だと思ってたが。そんなものじゃ済まない、人でなしの外道だったんだな。何処まで歪んでやがるんだよ」
死、というものを、酷く軽く語る九龍の言い草に、甲太郎は怒りで頬を紅潮させつつ吐き捨てる。
「好きなように思えばいい。死なんて当たり前だと、俺がそう思ってるのは事実だしな。……だが。俺に言わせれば、お前の方が歪んでるぜ、甲太郎。……いや、間違ってるって言うべきか」
「……俺の、何処が」
「自殺したって女教師が、お前にとっての何だったかは知らないが、大切な相手だったんだろう程度の想像は付くし、大切な奴に目の前で死なれれば、引き摺るのは道理だ。況してや、それが自分の所為なら。でも、だからって、お前が何時までもその女を引き摺り続けるのが、女の本意とは思えない。……死を痛むのと、悼むのは別だぜ、甲太郎。悲しみに暮れるのと、嘆きに取り憑かれるのも別だ。その辺の区別、お前には付いてないんじゃないのか?」
怒りに駆られ、もう一秒たりともこの部屋にはいたくない、と立ち上がった甲太郎へ、九龍は追い打ちを掛けるように言って、肩を竦めた。
「………………うるさい……」
「あー、そうかい。────お休み。又、明日なー」
その追い打ちに、咄嗟には言い返せなかった彼は、再度の吐き捨てをしたけれど、九龍は横たわったままヒラヒラ片手を振って、朗らかに彼を見送り。
無言で背を向け九龍の部屋を後にしながら、甲太郎は、彼への、先程よりも深い同情を覚えた。
────壊れている。
葉佩九龍は、人として、己なぞよりも遥かに壊れている。……と。
…………投げ遣りに九龍と過ごしたこの約十日の間に、甲太郎は、九龍の身の上の粗方を知らされていた。
まるで世間話の延長のように、彼自身がペラペラと喋ったから。
恐らくは彼にとって、己の出自に関わることも、生業に関することも、誰に知られようとも構わぬ程度の話でしかないのだろう。
況してや、相手が一介の高校生であるならば。
それを知られた処で、何者も彼を侵せぬし、枷にもなり得ぬのだろう。
それだけの自負も腕前も、権力も財力も、彼は有している。
……その全てを鑑みれば。
先祖代々宝探し屋を生業としてきた一族の最後の生き残りで、世界最大規模を誇るトレジャー・ハンターギルド、ロゼッタ協会の次代の長となるのも決定していて、物心付く以前より、宝探し屋として生きる以外の術を教えられなかった、彼の過去を振り返れば。
人格が、あんな風に形成されてしまったのは致し方無いのかも知れない。
それは少なくとも、一欠片程度の同情を寄せるには、値する……のかも知れない。
──その時、甲太郎はそう感じた。
葉佩九龍は、人として明らかに壊れている。