二〇〇四年 十月十五日 ──葉佩九龍──

昼日中の墓地の片隅で、誰名義の物かは知らない墓標の一つにだらしなく凭れ、九龍は一人、ぼんやりと空を見上げていた。

半月程前、生徒会執行委員の一人だった椎名リカと戦ったあの夜──『死』に付いて、甲太郎と言い合った夜の翌日よりも、昼夜の別無く、彼は甲太郎を振り回していたし、躰の関係も続けていたが、久し振りに一人になりたい、と切実に感じ、授業を放棄して、そこに。

寮に帰ってしまっても良かったのだが、授業中でも誰かはいるそこは、何となしだが嫌だった。

今は、誰の気配も感じたくなく、一般生徒は立ち入り禁止であるが故に、学内で最も孤独に浸れる墓地を選んだ。

「……困った…………」

商売柄、体力や持久力、序でに健康にも気を遣っているので、滅多には喫煙などしない彼だが、今日ばかりはと、何処から仕入れてきたのか、制服の内ポケットに隠しておいた、細長い紙巻きの外国煙草をパッケージの中から取り出し銜え、彼は紫煙と共に、らしくない溜息を吐き出す。

──相次ぐように親兄弟が逝ってしまって以来、九龍は、様々な意味で一人きりで生きてきた。

買収した協力者も、彼の持つ権力や財力目当てに媚を売ろうとする輩も、何とか取り入ろうとする女達も、常に彼の周囲には溢れていたし、今でも溢れている。

一方、彼を取り巻く者達の中には、純粋に、彼に恋した者とて少なくは無い。

けれども、真実の意味では彼は常に孤独で、自ら進んで一匹狼を貫いてきた。

一人には慣れていたし、孤独は気楽と言い換えられた。

何者も信じられず、信じるつもりも無かった。

────宝こそ我が人生。

……それが彼の全てで、望む宝が手に入ればそれで良く、それこそが至上の喜びである彼には、他人など路傍の石以下でしかなかった。

なのに。

目指す宝の為に天香学園に潜り込んでより過ぎた僅か一ヶ月弱の間に、僅かな、けれど確かな変化が九龍には生まれた。

その存在さえ、仕事が終われば呆気無く忘れて然るべき相手でしかない筈の甲太郎を、日毎夜毎連れ回すのを当然に感じ始め、その所為で、『寝暗で大人しくて、手応えも面白味も無い、存在希薄な転校生』との演技に綻びが生じ、時折、地が出るようになり。

稀に垣間見える本来の彼や、協力者に仕立てた甲太郎を連れ歩く為だけに整えられた、友人という彼等の見せ掛けの関係に、九龍に対する認識を改め出した明日香や他の同級生達が出してくるようになった接触を、余り鬱陶しく思わなくなり。

前日、『隣人倶楽部』という名の同好会に絡む騒ぎが起こった折には、体育の授業中、衰弱して倒れた明日香を案じる風になった甲太郎や、やはり同級生の白岐幽花や、災難な目に遭わされたにも拘らず、隣人倶楽部の主催者であり《生徒会執行委員》でもあった肥後大蔵を気に掛ける明日香の様に、「こういうのを、友情とか青春とかって言うのかね」と、思わず感じ入りもした。

…………その、どれもこれも、言ってしまえば取るに足らない些細な事柄だ。

だが、天香に潜入を果たす以前の九龍には、決して有り得ないことだった。

何時の日か、暴き切れなかった何処かの遺跡で、一人無惨に野垂れ死ぬのが末路の宝探し屋には有り得ない、有り得てはならない心の変化。

常に共にある存在──例えるなら相棒のような存在、そんなもの、九龍は欲してはいない。

実の親兄弟すら商売敵と見做みなし、何とかしてその商売敵を出し抜こうと、常に虎視眈々としている宝探し屋に、相棒など要らない。

九龍にとって、相棒とは、何時背中から撃たれるかも判らない、裏切り者予備軍でしかない。

友人も要らない。

友人も、友情も、邪魔なだけ。

年相応の日々にも、平穏で幸せではあるのだろうが平凡でしかない人生にも、一生一度の『青春』にも、興味も憧れも感じない。

唯一人、決して己を裏切らぬ銃だけを片手に、人生そのものである宝を求めて、時には地の底を、時には海の底を、時には緑の地獄でしかない密林を、想像も付かない冒険や危険を隣り合わせにしながら彷徨う方が、余程胸踊る。

なのに。

学生の真似事を始めて暫しが経った今、彼は、傍らに甲太郎が在るのを当たり前以前と受け止め、偽りであろうとも、年相応の学生生活も同級生達も、そう悪いものではないかも知れない、と感じ、友情や青春なるものに、僅かな憧憬を覚え始めている。

────だから、九龍は困っていた。

気付いてしまった、そんな己の変化に。

何処で誰が何をしていようと、己の傍で騒いでいようと、これまでは、仕事の邪魔さえされなければ空気以下にしか捉えてこなかったのに、周囲が気になって仕方無くて、敢えて一人になりたいと感じ、それを実行してしまった今日の自分にも。

「あれか? 今まで全く経験してこなかった学生生活って奴に、普通の楽しさでも感じてるのか? 俺は。束の間の娯楽と言うか……カーニバルの熱狂に浮かされてるみたいな。……宝探し屋が、そんなことに浮き足立っちまって、どうするんだか。しっかりしろよ、俺」

自身の中に生まれた些細な変化に驚き、困惑し。

墓石の一つに凭れながら、延々煙草を吹かしていた彼は、ぽつり、独り言を洩らすと、「あー、馬鹿馬鹿しい」と大きく伸びをした。

『稀な祭り』の熱狂に、思考回路の何処かがおかしくなっているのだとしても、宝探し屋として在り続ける以上、そんな熱など何時かは醒めるし、又、醒さなくてはならない。

こんな風に考え込むことからして間違っているし、所詮は直ぐに終わる、青春という名の夢の真似事でしかないのだ、気にする方がどうかしている。

「うん……?」

そう思って、地面で煙草を揉み消し立ち上がり、墓地を去ろうとした彼は、ふと、そこから幾許か離れた所の墓の一つに、誰かが手向けたのだろう花束が置かれたままなのを見付けた。

それが少々気になって、墓地の入り口へと向け掛けていた足先を、彼はそちらに変える。

「何で、花束なんか」

以前、甲太郎から聞き出した話によれば、この墓石群の下に埋められているのは、死者の亡骸でも、一般生徒達が信じているように学内で行方を絶った者達の所持品でも無く、《墓》を侵そうとして《生徒会》に処罰された者達の、生きた体だ。

生きたまま眠らせた彼等を古代エジプトのミイラの如く墓地に埋め、その生気のようなモノを、《遺跡》の奥深くに眠る者、又は物を《遺跡》毎封印し続ける為の呪具の一つとして《生徒会》は利用している、と甲太郎は言っていた。

地中深くに眠る何かの正体までは、彼も知らないとのことだったけれど。

……ならば、ここに埋葬された者達は、死者同然ではあるが生者ではあり、花を手向けるのはおかしい、という理屈になる。

そもそも、自分達の手で生き埋めにした《墓》を侵した者達に、《生徒会関係者》が花など手向ける筈も無かろうし、一般生徒は尚更だ。

何も知らずに学園生活を送る生徒達は、墓地に埋まっているのは品だと信じているし、墓に近付くことすら許されていない。

故に、この墓達に、花を手向ける者などは。

「…………ああ、そうか」

と、つらつら、そこまでを考えた九龍は、場違いとしか思えぬ花束の意味と、それを手向けた者が誰かに思い当たった。

過去、この場所に関わってしまった者達の中に、九龍の知る限りではたった一人だけ、確かな死者がいる。

かつて、甲太郎の担任だったという女教師。

彼の為だけに、彼の目の前で、自ら死を選んでみせた女。

教師としても、人としても、女としても、九龍には、愚かだ、としか言えない彼女。

「成程ね。確かに『こいつ』は死人だし、アウトローぶってても、本性はお人好しで繊細に出来てる甲太郎なら、花束の一つや二つ」

漸く、それに思い当たって、九龍は再び、ためめつすがめつ花束を眺めた。

長い間捧げられたままにされているのだろう、煤けた色紙とパラフィン紙に包まれた、うの昔に枯れ果てた花は、能く能く見れば、丘紫という品種のラベンダーだと判った。

甲太郎が常に銜えているあれの、何時でも彼に纏わり付いているあの香りの、源。

「ふーん……。ってことは。もしかして、あいつが花臭いのは、この女の所為か? この女の好きな香水か何かがラベンダーだったとか、そういう、ベタなオチか?」

乾涸びたラベンダーの花束と、甲太郎の纏う香りを結び付けて考えた九龍は、又もや独り言ち、ケッと、喉の奥で吐き捨てる。

「……愚かなだけじゃなくて、卑怯なんだな、あんた」

見下ろし続けた丘紫の花束から、名も刻まれていない墓石へと眼差しを移し、きっぱり言い切ってから、「自分は一体、今、何を思い、何を言った?」と首を捻りつつ、今度こそ、彼は昼下がりの墓地を後にした。