二〇〇四年 十月十五日 ──皆守甲太郎──
習慣と化してしまった感さえある、九龍の深夜の《遺跡》探索にその夜も駆り出されていた甲太郎は、己の数歩先を行く宝探し屋の背中を、不思議そうに眺めていた。
今、彼等が辿っているのは、例の肥後が守っていた区画だ。
第四エリアとも言い換えられるそこの解放を九龍が果たしたのは前夜だが、一度は踏破した区画なのだ、勝手は判っているだろうに、何故か、彼の足取りは鈍く、何か別のことに気を取られている様子なのが手に取るように判って、故に甲太郎は訝しんだ。
腕前だけは認めざるを得ないばかりか、超一流の宝探し屋、と讃えてやる他無い葉佩九龍らしからなかった。
調べ残しの有る無しと、取り残した宝の有る無し、それを確かめる為の探索だと九龍自身も言っていたから、彼にとっては、ぼんやりとしていても熟せる程度の単なる作業なのだろうが、それにしても。
《墓》を侵す者を屠らんとする化人の群れは、今宵も襲い来ているのに。
何より、叶うなら彼の寝首を掻いてやりたいと心秘かに願っている、協力者とは名ばかりの『敵』──己を従えているのに。
「……おいっ! 何やってる!?」
まあ、化人も、俺も、こいつには障害にもなり得ない程度のモノでしかないのかも知れないが……、と、今夜はどうにも動きがパッとしない九龍の背を首を傾げつつ眺めながら、自嘲する風に考えていた甲太郎は、区画に巣食う、その、本来なら彼の相手にもならない雑魚な化人の内の一匹が、背後から九龍に飛び掛かろうとしている様と、化人の攻撃を察せずにいる彼に気付き、罵声を張り上げるや否や通路を駆け、一息に化人との距離を詰め様、利き足を振り抜いた。
常人の目では追えない、彼の鋭い蹴りに体をひしゃげられた化人は、音も無く掻き消える。
「…………ああ、悪い」
己の直ぐ背後で、甲太郎に蹴りを浴びせられた化人が消滅し、やっと、状況を悟ったような顔付きになった九龍は、覇気無く詫びを告げ、漸く、仲間が斃されたのを切っ掛けにした風に迫り来る何匹もの化人へ、ハンドガンを構えたが。
確実に、一匹残らず、放つ弾丸にて化人の急所を打ち抜いていく姿は、何処か精彩を欠いたままだった。
「何を考えてるんだかは知らないが、そんな風にしか戦えないなら、とっとと寮の部屋に戻れ。そのまま、頭から布団でも被って泣き寝入りしたらどうだ?」
大した時も掛けずに化人を一掃してみせた九龍の、何処となく悪い顔色を横目で盗み見て、甲太郎は馬鹿にしたように言う。
「俺を貶したいなら、もう少し堪えること言ってみせな」
だが、九龍は、何処までも覇気無く肩を竦めるのみで。
「………………具合でも悪いんじゃないのか」
「あー……。まあ、似たようなもんだな。……仕方無い。少し休憩でもするか」
本当にらしくないな、と思わず彼を案じてしまった人の良い甲太郎の二の腕引っ掴み、彼は、区画を進むと《魂の井戸》の扉を開けた。
何故、こんなものが遺跡の中に存在しているのか甲太郎は知らないし、九龍にも判らないが、一度足踏み入れれば瞬く間に怪我でも何でも癒してくれ、化人達も侵そうとはしない、一言で言えば強烈なパワースポットと相成る、薄い緑柱石色の光に満たされたその部屋に入った途端、ドカリと中央に腰下ろし、掻いた胡座の膝上で頬杖を始めた九龍を、立ったまま、片隅の壁に背を預けた甲太郎は黙って見遣る。
「……何処が悪いんだ、九龍? あんな雑魚共に遅れを取って、俺なんぞに庇われたくらいだ、何か痛めでもしたのか?」
「何処? ……ああ、具合の話か。…………そういうんじゃない。強いて言うなら、今夜の俺は、殊の外頭が悪い、って処だ」
「そういう意味でなら、悪いのは、頭じゃなくて性格だろう、お前の場合」
「性格か。確かに」
色彩感覚の狂いそうな室内にて長らく沈黙を保った後、徐に甲太郎は問い、言い草に、九龍は腹を抱えて笑った。
「なあ、甲太郎?」
「うん?」
「お前、さっきは何で、俺を庇った? ……知ってるぜ。こうしてる今だけじゃない、何時だって、お前は俺が気に入らなくて、腹立たしく思ってて、隙あらば寝首の一つや二つ掻いてやる、って思ってることくらい。なのに、どうして? 今夜は頭を悪くしてる腑抜けな俺が、化け物共にヤられるのを黙って見てりゃ良かったのに。絶好のチャンスだった筈だ。だってのに、お前は俺を庇って、剰
一頻り笑って。又、沈黙を保って。やがて、九龍は微妙に話を変える。
「……そんな風に割り切れるか。お前と違って、俺は、性格を悪くはしちゃいない」
「…………どの口が言うかね、そんなこと。お前だって、充分捻くれてやがるくせに」
「……嫌なんだよ。ツラ知ってる奴が死ぬってのがな。それが、例えお前でもだ」
「ふーん……。随分と人がいいな。ま、善良な一市民としちゃ当然か」
「九龍。話を逸らすな。今夜のお前はおかしいぜ? どうしちまったんだ、お前」
好きにさせておいたら、全てを誤魔化し切るまで話を脱線させてしまうだろう九龍の声を、甲太郎は遮った。
「どう……、って、何度も言っただろう。少し、頭を悪くしてるだけだ、って」
「そうかよ。……だったら、マジで、今夜の仕事は打ち切れよ」
「そうしたいのは山々なんだが。八千穂に、食材調達して来てくれ、って頼まれてるってのもあるし……」
「食材?」
「来月の学園祭でのクラス出店の。何でも、調理担当の女子連中と、模擬店のメニューを決めなきゃならないから、その為のサンプル、明日までに持って来てくれって、昼間、強引に押し付けられたんだよ。俺に食材調達係を頼もうと思ってるから云々、とも言ってたような」
「…………一寸待て。お前に調達出来る食材? まさか……」
「その、まさか。金掛けたくないんだとさ。高級食材だろうが何だろうが、俺には幾らでも揃えられるなんて、八千穂達は知らないしな。それに、学園祭の模擬店相手に、そういう真似は無粋だと、流石に俺でも思う」
「だからって……。あの馬鹿……っ! 確かに実態の全てを判っちゃいないが、お前がトレジャー・ハンターなのだけはあいつだって知ってるし、『食材』のことだって判ってるだろうにっっ」
だが、核心からは程遠い内に話は再び脱線し、九龍が明日香に無理矢理頼まれたことを知った彼は憤る。
「別に、食えない物を食い物に仕立てる訳じゃないんだ、心配するなよ」
無駄にアロマパイプを吹かしながら、今ここにはいない、クラスメートな彼女へ悪態を吐きまくる甲太郎の姿に、九龍は、再び破顔した。
「ったく…………。……それにしても。確かに八千穂は、こうと決めたら強引この上無いが。お前だって到底、八千穂程度に押し切られるような柔な奴じゃないのに、能く引き受けたな、そんな話」
「それ、は……。……学祭の話で盛り上がってるあいつらが、やたらと楽しそうだったから、かな。何となく、絆されちまった」
「……ほんっとうに、らしくないな」
「そうか? 学園祭って言うくらいだ、要は祭りだろう? 俺だって、祭りは楽しいと思うぜ。浮れてみたくならないか? 祭り──特に、カーニバルって類いの奴には」
「それは……まあ、な」
そろそろ修復不可能なまでに、話が擦れていっているのに気付きはしたが。
葉佩九龍の口から出るとは思ってもみなかった、学園祭絡みの話に興じる彼の姿や、浮かべられた純粋な笑みに、何となく、口を挟むのは悪いような気になってしまって、甲太郎が言葉を濁せば、気を良くした風に、九龍の喋りには拍車が掛かった。
「だろう? 楽しいよな、カーニバル。……有名にも程がある、リオのカーニバルってあるだろう? あれなんか本当に熱狂的で、見てるこっちまで熱くなってくる。街頭パレードは誰でも参加出来るから、つい、一緒になってサンバ踊っちまったりして。目に痛い、あの煌びやかな衣装も山車も、あの時ばかりは惹き付けられる」
「実体験してるのか? あの馬鹿騒ぎを」
「勿論。南米は遺跡や宝の宝庫の一つだから、何度も行ってるしな。……なあ、甲太郎? 一度、一緒に────。──……一度、機会があったら、お前も行ってみるといい。非現実な体験が出来るぞ」
……その、彼らしくない与太話の最中。
口を滑らせたらしい九龍は、失態だ、という目をしながら小さく舌打ちすると、無理矢理に己のミスを誤魔化した。
「お前に言われても、ピンと来ないな。存在そのものが非現実な相手に、高が祭りの非現実さを語られても嘘臭い。……ああ、だが。逆を返せば、何も彼もが非現実的なお前でも、そう感じるだけの祭りってことでもあるか」
「……どういう意味だ。大体な、祭りなんて、多かれ少なかれ非現実──夢みたいなものだろうが。…………でも。だから、祭りってのはいい。何時かは忘れる夢だから。何時かは醒める熱だから。──ああ、そうだな。何時かは忘れ、何時かは醒める。だったら、祭りの間くらい馬鹿になって、素直に興じていればいい」
もしかしたら、一生一度の不覚だったのかも知れない彼のミスを、意を汲んだ甲太郎が無かったことにしてやれば、九龍は、甲太郎には何が言いたいのか能く判らなかった科白を呟き立ち上がると、するっと彼の傍らに寄って、遺跡の、冷たい床へと引き倒した。