二〇〇四年 十月二十二日 ──葉佩九龍──

昼間耳に付いた、来月半ばに催される予定の学園祭をとても楽しみにしているらしい同級生達や同窓生達の浮かれ声や、問答無用で己との『死合い』を申し出てきた袴姿の隻眼の少年を思い返しながら、その夜、九龍は一人で《遺跡》内を進んでいた。

何でこんなことになってしまったのかの本当の原因は、九龍自身にも判らない──正しくは、判るが判りたくない──が、こうなってしまったものは仕方無い、と開き直りつつも、彼は、『今の己の体』を見下ろす。

彼は、今、葉佩九龍で無く、明日香の友人である七瀬月魅だった。

誠にファンタジーとしか言い様が無いが、昼間、校内に侵入した不審者が騒ぎを引き起こしていた最中、うっかり二人はぶつかってしまい、その弾みで体が入れ替わってしまったのだ。

──転校初日、明日香に紹介された月魅が、己を苦手としているのを九龍は承知している。

もっと言ってしまえば、嫌われていると。

そんな彼女──しかも、宝探し屋の仕事を続けるには余りにも非力で、運動神経にも恵まれていない少女の体と精神が入れ替わってしまった今を、「一体、何の因果だ」と九龍は激しく罵っていた。

……理由は、判っている。

他人と体が入れ替わってしまった事実に気付いて、渋々助言を求めに行った保健室の主である劉瑞麗が、延々垂れた能書き通りの理由なのだろう、というのは。

但、くどいようだが、九龍はそれを、判ってはいても判りたくは無かった。

彼に言わせれば、馬鹿馬鹿しい事この上無かったから。

その実態は、同業者達とは別の意味での商売敵で、今まで何度もやり合ってきたヴァチカン直属の退魔師集団《M+M機関》のエージェントであると、嫌という程知っている瑞麗に、月魅と体が入れ替わってしまったこの事象に関する助言を乞わなくてはならなかったのも、気に入らない瑞麗に偉そうに能書きを垂れられたのも腹立たしく、こんなことになってしまった切っ掛けが、校内に侵入した不審者──行方不明になった生徒の保護者に依頼され学内に潜り込んだ探偵、という触れ込みの、だが正体は、やはり九龍は嫌という程知っている、瑞麗と同じくM+M機関のエージェントの一人である鴉室洋介が引き起こした騒ぎの所為、との事実は、何よりも気に入らず。

遺跡内で一人、散々、その日の出来事や関係者を罵ってから、この騒動に決着が付いたら、真っ先にあの軽薄中年に思い知らせてやる、と九龍は、憤りを復讐心へと昇華した。

「鴉室のおっさんに思い知らせたら、次は、暇さえあれば俺の邪魔しやがるM+Mにも思い知らせてやる。……覚えてやがれ、何時か絶対叩き潰してやる、あんな組織」

頭の片隅のその又片隅で、七瀬を避け切れなかった俺も悪いんだが……、と僅かのみ考えつつ、筋の通らぬ復讐心をM+M機関宛にぶつけ、彼は、鈍くなっていた足取りを元の速さに戻す。

ぼやかずにはいられぬくらい、月魅の体はトレジャーハントに向いていなかったが、実の処、培った経験と技術で身体能力の足りなさをカバーするのは簡単だった。

無事元に戻れた暁には、筋肉痛やら何やらで七瀬は酷い思いをするだろうけれども、そんなの俺の知ったこっちゃない、責任も無い、と無情に『彼女の体の負担』を切り捨てて、彼は、その夜初めて踏み込んだ区画を、雑作も無く化人を斃しながら、やはり雑作も無くトラップを解除しながら、奥へ奥へと進んで、でも。

「……何だ? 何か違うな。どうにも、今一つパッとしない。やっぱり、七瀬の体────。…………だから、って訳じゃ無い、か」

ミス一つ犯さず、上手く探索を進められているのに、何かが微妙に違う、と納得いかなそうに首を傾げ、直後、ああ……、と一人頷いた。

…………今宵、彼は一人きりで《遺跡》に挑んでいる。

彼と月魅の体が入れ替わってしまったと、体は七瀬月魅であっても中身は葉佩九龍なのだと、甲太郎が信じてくれなかったから。

九龍が宝探し屋だと知っている明日香や執行委員だった彼等の中には、物好きにも彼の探索に付いて行きたそうな素振りを窺わせる者もいるから、酔狂な彼等に事情を打ち明けつつ上手く誘いを掛けたら、即席のバディくらいは仕立てられたかも知れないが、そのようなつもりは微塵も彼には無かった。

幾ら、甲太郎バディを連れ歩くのが自身の中でも当然となり掛けていても、単独行動が九龍の基本で…………、それに。

彼以外の誰かを、というのは、何となく、心情的に。

「どう考えても、こいつは泥沼だな。しかも、底無し」

甲太郎を伴わず、たった一人でこうしている今より僅かな違和感を覚えてしまっている現実と、彼を特別に思ってしまっている己の心根に気付き、九龍はガクリと項垂れ肩を落とし、セーラー服の裾翻して、行儀悪くその場に座り込んだ。

────単独行動など当たり前以前、孤独は気楽、傍らに何者かを置いたが最後、何時背中から撃たれたって文句は言えない。

ずっと、自分はそう思ってきたし、そのやり方を貫いてきた。

こうして、一人遺跡を彷徨う今を何故か寂しく感じるのも、自分には何が楽しいのかこれっぽっちも判らない些細な出来事をネタに何時までも笑い転げられる同級生達を、僅かの羨ましさと共に微笑ましく思うのも、遭遇したら最後、否応無しに飲み込まれるしかないcarnivalの熱狂に当てられているようなものなのだからと、気に病むのは止めた。

彼等が、自分を通して宝探し屋の世界を垣間見、非日常に憧れめいた思いをいだくのに似て、自分は、彼等を通して平凡な学園生活を垣間見、自分にとっては非日常な世界に焦がれてみているだけなのだから、それに振り回されている己の今を気に病んでみても馬鹿馬鹿しいだけだ。

熱病なんか、放っておいてもその内に治る。

………………そう、悟った筈なのに。そうやって、割り切った筈なのに。

数日前、今夜と同じこの遺跡の中で、戯れでしかない行いに甲太郎を引き摺り込みながら、そう己に言い聞かせたのに。

どうして今夜も、自分は同じことを繰り返し悩んでいるのだろう。

馬鹿みたいに。

「……判ってる。誤魔化してみたって、只の足掻きにしかならないなんてことは」

月魅のセーラー服の裾が汚れるのも気にせず、埃っぽくて湿気を多く含んだ石床の上に座り込み、落ち込みつつ思いに耽っていた九龍は、この気持ちとて、所詮は言い訳に過ぎないんだろう、と乱暴に髪を掻き上げる。

己にとっては非日常的な世界が与えてくる、carnivalの熱に能く似た何かに浮かされているというだけでは、この気持ちの全てを解き明かせないと、誰に言われずとも彼には判っていたから。

────そうだ。

少なくとも、甲太郎に対する想いは、既に、お祭り騒ぎや浮かれ気分で……、では片付かなくなっている。

でなければ、あんなことは言わない。

昼間、相変わらず、嫌々でもこちらに付き合うしかないとの素振りを見せている甲太郎と、屋上で昼食代わりのカレーパンを齧っていた時、彼が、ぼんやり物思いに耽る風に洩らした科白想い

「……なあ、九龍。こうして、屋上から空を眺めてると、あの流れて行く雲みたいに、この学園牢獄から脱出ぬけだして、遠い異国世界に行ってみたいって気にはならないか……? 唯、風に身を任せ当ても無く、唯、気侭に流れて……。何のしがらみも無く、何者にも縛られず、好きなように生きていく。そんな風に人生を送れたらいいだろうな……」

それを聞き届けるや否や、何も考えず、気が付いたら自分は、

「だったら、その遠い異国世界に、俺が連れてってやろうか?」

と、呟いていた。

幸い、甲太郎には聞かれずに済んだ──筈だ──けれど、彼を誘う言葉を告げてしまったのは確かで、そんな迂闊なミスを犯したのは、もう二度目で。

「あんなに怠惰で無気力な奴の、何を気に入ったんだかな、俺は」

昼間の出来事を振り返りながら、再び思いに耽っていた彼は、何時までもこうしている訳にもいかないと、緩く首を振って立ち上がった。

あの夜──殺し合った夜、既に、甲太郎を気に入ってはいた。

だがそれは、彼の持つ《力》に対する物珍しさや興味や、《生徒会役員》という利用価値のある立場への関心で、皆守甲太郎という、《墓守》だろうが《生徒会副会長》だろうが、所詮は十八歳の高校生でしかない少年自身を気に入った訳じゃ無かった。

彼自身には興味など無かった。関心も無かった。

──葉佩九龍が、殺すにゃ惜しいと思った相手を、見す見すのがすと思うなよ? ……と告げたのも。

少なくとも、この仕事が終わるまでは、お前は俺のものだ。……と告げたのも。

全ては《秘宝》の為であり、目指す《秘宝》を得る為に必要だと思えた、協力者や情報ネタへの言葉だった。

決して、甲太郎自身へ向けて告げた言葉では無かった。

なのに、何時の頃からか。

彼を振り回すのが当たり前になった。

あの眠たげな顔で、ぼんやり突っ立っている姿が傍らに在るのが当たり前になった。

協力者として繋ぎ止める為、色というの罠を仕掛けるべく抱き合う度、彼の中では生き続けている、身勝手で卑怯な女が彼に纏わり付かせているのだろう花の香りを嗅ぐだけで、苛々するようになった。

……それ程に、己は一体、あの男の何が気に入ったのだろう。