二〇〇四年 十一月十一日 ──葉佩九龍──
その日も学園は騒々しかった。
十月半ば頃から学内の噂に高かった、『ファントム』なる存在の所為で。
────天香学園に伝わる怪談話の一つ、『四番目のファントム』。
ここの処、生徒達が寄ると触ると噂していたファントムは、元々はその怪談に登場する存在だった。
一部の者に言わせれば、文字通り「幽霊」であり、別の一部の者に言わせれば、「空想の産物」。
だが、最近になって、架空の話の中に生きる幽霊は実体を持ったらしく、《生徒会》の抑圧を受けている生徒達の間で、学園を救う正義の味方として崇められ始めた。
実際、例えば落とした財布を拾いに行く為に、校則で禁止された時間に寮を抜け出した生徒達や、授業開始のチャイムが鳴っても廊下で立ち話をしていた教師と生徒が《執行委員》に処罰されそうになった所に、白い仮面を被った男──即ちファントムが颯爽と登場し、窮地に陥った者達を《生徒会》の『魔の手』から救う、との出来事が立て続けに起こり、只の噂は何時しか『現実』と化して、実体は無かった筈の幽霊に心酔し始めた生徒達の一部が、『ファントム同盟』なる同好会まで立ち上げ。
……その日、とうとう、ファントム同盟に所属する生徒の一人が、《生徒会執行委員》に銃で狙撃される事件が起こった。
────後数日で開催日を迎える学園祭の話をも放り出し、生徒達が熱を上げている幽霊の噂は九龍も聞いていた。
半月程前、月魅と体が入れ替わってしまった事件の直前、少しばかり様子がおかしかった甲太郎に理由を白状させ、件のファントムに絡む携帯メールが《生徒会長》の阿門から送られてきたことと、そのメールが、ファントムが《執行委員》と接触を持とうとしている節がある、との内容だったことも掴んでいたし、入れ替わり事件の折、彼自身、実際にファントムと対峙したので、噂の幽霊には、《生徒会》に何らかの敵意を持つ何者か、というきちんとした正体があるのだろう、と彼は踏んでおり。
海外ならいざ知らず、日本の私立高校の校舎内で、生徒が生徒に狙撃されるという、本来なら有り得ない事件を端で傍観しながら、さて、幽霊は執行委員を焚き付けて何がしたいのだろう? と頭を捻っていた。
但、ファントムの腹の底を想像しつつも、《生徒会》に恨みを持つだけの者だと言うなら放っておくが、その目的が己と同じ《秘宝》であるなら、その内に潰してしまおう、とも、上手くすればファントムにも利用価値が生まれるかも、とも、毎度の如く考えてから。
「……どうするにせよ、何時出てくるかも判らない相手よりも、物騒なガンマニアの《執行委員》をどうにかする方が先だな。──おい、甲太郎。寮に…………────」
現状では捕まえ様の無い幽霊との遊びに勤しむよりも、執行委員達や生徒会役員達を悉く伸さない限りは手に入れられないと思い知った《秘宝》へ、一歩でも近付いた方がいい、との結論を出して、彼は、一連の騒ぎが終わり閑散とした放課後の廊下の片隅で、始めは独り言だったそれを、甲太郎への呼び掛けに変えた。
「……おい? 甲太郎?」
「……ん? あ、ああ……。……一寸、用事が出来た。──九龍。もう下校の鐘が鳴ってる。俺に構わず校舎を出ろ」
と、振り返った先にいた、たった今メールが着信したらしい携帯の画面を見詰め、酷く複雑そうな顔になっていた甲太郎は、九龍の声で我に返ったようになりつつ、一足先の帰寮を促してきた。
「用事? ……《生徒会》か?」
「…………そんなようなものだ。大したことじゃない。お前が校舎を出る頃には追い付くさ」
「あ、そ。……なら、先に戻ってる。その代わり、後でちゃんと白状しろよ」
あからさまに顔を翳らせた彼へ、一瞬、嘘が下手だ、と告げてやろうかとも思ったが、余計な忠告は飲み込み、言われた通り、九龍は踵を返した。
廊下を行き、階段を降り、昇降口で靴も履き替え…………でも。
甲太郎の、『大したことじゃない用事』の本当を確かめようと、彼は、今辿って来たばかりの廊下を振り返り、
「校則で定められた下校の時刻は疾うに過ぎているぞ、《転校生》」
そこに、何者かの声が掛かった。
「こうして顔を合わせるのは初めてだな、葉佩九龍。俺の名は、阿門帝等。この天香学園の《生徒会長》を務めている」
「どうも、ご丁寧に。……でも、俺は改めては名乗らないぜ? 俺が、そっちを知ってるように、お前も、こっちを能く知ってるだろうから。今更、自己紹介し合うなんて、まどろこしい」
少なくとも声には覚えが無い、と向き直った先に立っていたのは、顔だけはロゼッタの資料で見知った阿門帝等で、「ファントムの腹が読み切れないみたいに、こいつの腹も読めないな、何の為に声を掛けてきた?」と悩みながら、九龍は爽やかに笑んでやる。
「葉佩九龍。お前に、訊いておかなければならないことがある」
「何を?」
「教えて貰おう。あの《墓》の中で、何を見たのかを」
本性を知らぬ者はコロリと騙されるだろう好青年然とした笑みを、表情を毛筋も移ろわせず一瞥し、阿門は問うた。
「それこそ言うまでも無い。この学園の連中は、どいつもこいつもトレジャー・ハンターを誤解してるんじゃないのか? 『俺』が、わ・ざ・わ・ざ、こんな所まで足運んで、只の墓で探検ごっこをすると思うか?」
「そうか……。やはり見たのだな。あの広大なる《遺跡》に広がる闇を──。もしも、これ以上《墓》に足を踏み入れるつもりならば、《生徒会》は、葉佩九龍、お前を不穏分子と看做し、相対せねばならない」
「………………お前、人の話聞いてないだろ。…………うん? いや、一寸待てよ? もしかして、それって…………」
「……? どうかしたか?」
「…………何でも無い。こっちの話だ。────兎に角。阿門、俺はこの先も《墓》に足を踏み入れる。誰に何と言われようとも。《生徒会》が、俺を不穏分子と見做し、相対しようとも」
今更、何を言ってるんだ? どうにも会話が噛み合わない、人の話に聞く耳持つつもり無いのか、こいつ、と思いつつ。
少しばかり苛々しながら阿門とのやり取りを重ねていた最中
「そうか。だが、忘れるな。今度、《墓》を侵せば、その時は、お前の身の安全は保証出来ない。……では、又会おう」
一瞬のみ、驚愕に近い色を覗かせたものの、直ぐさま不敵な顔を取り戻した彼を再度一瞥し、今一度の警告を告げ、阿門は何処
「謎な生物だな、思春期真っ盛りの高校生ってのは」
図らずも見送る格好になってしまった、全身黒尽くめな阿門の背へ視線を注ぎながら、九龍はぼそりと呟いた。
尤も、その呟きは阿門で無く、その場にはいない甲太郎へ向けてのものだったが。
────己と阿門のやり取りが、何処かちぐはぐだった理由。
その最も大元は、甲太郎にあるのではないか、と九龍は思った。
本来なら、己の正体も、何の為に学園へ潜り込んだのかも、あの《墓》で何をしているのかも、重々承知しているだろう阿門が、わざわざあんなことを告げに目の前に現れる必要など無い。
直にその目でこちらを確かめたかった故の登場なのだとしても、別の言い方があった筈だ。
けれども阿門は、問うてきた。断定も、弾劾もしなかった。
……それは、彼が、確証を持っていなかったからではないのか。
葉佩九龍
……《墓》に踏み込んだことへの問いは無かった。
そこだけは、確かめる以前に断定してきた。
ということは、彼が問うてきたことは、即ち。
……だとするなら、会話が噛み合う筈も無い。こちらは、その辺りも疾っくに証拠を掴まれていると思い込んでいたのだから。
そして、何故そうなるのかの答えは恐らく、『《墓》──でも《遺跡》でもいいが──で直接やり合った執行委員達も、甲太郎も、宝探し屋である《転校生》との云々を、一切《生徒会》には明かしていないから』だ。
…………執行委員達だった者達が、口を噤む理由は何と無く察せる。
やり合った限りでしかないが、彼等の証言に依れば、ほぼ全員が、自身にも能く判らない内に、若しくは、身の上に起こった出来事の所為で正しい判断が付かぬ状態の時に、誘いを掛けられ《生徒会執行委員》となり、謎な《力》をも得ることになってしまったのだそうだし、諸々をやり直そうと決め、きっぱりと手を切った『組織』とは関わり合いになりたくもなかろう。
だが、甲太郎は違う。彼だけは。
彼は、己の意思で、寄る辺を求めて《生徒会副会長》にまでなった。
高校一年の二学期が終わる頃まで、その務めに躊躇いも疑問も感じていなかった。
未だに、彼を休職させる切っ掛けになった、あの愚かで卑怯な女とのことは、様々な意味で彼の心に根を下ろしているけれど、以前、数少ない友人の一人、と彼自身が言っていた阿門に乞われるまま《転校生》を監視する役目を引き受けたのだから、こちらの動きの全て、彼を通じて《生徒会》に筒抜けになっていても不思議ではない処か、それが自然の成り行きだと思っていた。
皆守甲太郎は《生徒会》の一員、そう知っていたからこそ利用価値を見出したのだし、金品という、俗世では絶対の物に釣られなかった──こちらの持論に沿うなら、主義主張や信念の為に簡単に掌を返して裏切るだろう敵対側の人物を、協力者として引き込む以上、リスクを背負うのは計算済みだった。
幾ら、甲太郎の若さをも利用し、色で絡み取り続けてみても、今でも、そもそもはこちらに襲われたようなものだとしか思っていない筈の彼が、何時までも大人しく、こちらの強引な主張のみに従うなんて有り得ない、との計算だって。
……なのに。
阿門とのやり取りから察するに、あの『取引』の際に告げてやった、「自分が《生徒会》の人間だってことは忘れろ。少なくともこの仕事が終わるまでは、お前は俺のものだ」との科白を、彼は、忠実に守っているとしか思えなくて。
「…………ああ、そうか。謎な生物じゃなくて、甲太郎は馬鹿なのか」
無意識に昇降口を出て、校舎前にて立ち止まったまま深く深く考え込んでいた九龍は、自分が思っていたよりも甲太郎は『愚か者』だったのだ、と漸く結論付け、溜息を吐きながら俯かせていた顔を持ち上げた。