「遅いっ! 下校の鐘は疾うに鳴り響いたゾ!! 貴様の行いは、神聖なる学園の生徒として言語道断でアルッ。よって、貴様を《生徒会》の法の下に処罰スルっ!」
だから彼は、少し前から己に注がれていた視線にも、視線の持ち主の気配にも気付けず、叫び声と共に、学内で噂の暴走執行委員らしき人物に狙撃されたが、
「未だ日も落ち切ってないのに、校舎のド真ん前で俺に喧嘩売ろうってか?」
幼い頃から、武器を扱う音──例えば撃鉄を起こす音など──には、どんなに些細なものであっても体が勝手に反応するよう親兄弟達に徹底的に仕込まれた九龍は、咄嗟に体を捻って何とか弾丸を避け、制服の内側に潜ませているGlock26を抜き去る。
威力に優れるMK23等の銃を好みとする彼だが、学内で携帯するには超コンパクトモデルであるGlock26の方が向きで、生徒として振る舞わなくてはならない場所で本業絡みのトラブルが起こったとしても、大抵はこれで何とかなるだろう、と彼は思っていたのだけれど。
「…………うん?」
Glock26を構えつつ狙撃者の気配を探ったのに、己が武器の射程距離内に敵の存在を確かめられず、九龍は、思わず動きを止めて首を傾げた。
狙撃者が手にしているのは恐らくハンドガンで、自分が手にしているのも同じハンドガン、多少の差こそあれ、射程距離に多大な相違は生まれない。
銃の性能限界も凌駕する、類い稀な射撃技術の持ち主が相手とも思えない。
だから、向こうに攻撃出来たのならこちらも出来るのが理屈、なのに何故? と。
「あ。ここの生徒会の連中には、《力》があるのを忘れてた」
が、えーと? と、うっかり馬鹿面を晒してしまってから、やっと天香学園でのお約束を思い出した彼は、逃げるが勝ちと、とっとと身を翻す。
不利な状況で、敢えて、売られた喧嘩を買う気など彼には毛頭無いし、その辺りのことへの拘りも無かった。
宝探し屋が、格好や、やり方を気にしていたら、命が幾つあっても足りない。
「無駄ダ。自分の射撃の腕は、貴様の皮一枚裂くことさえ容易なのダ」
「その割には外してるだろ」
それでも、姿も見せず気配も感じさせない狙撃者の声も、放たれる銃弾も彼を追い掛け続け、突っ込みを入れながらも逃げ足を一層早めた彼を、
「九龍っ!」
騒ぎを聞き付けたのだろう、校舎より飛び出て来た甲太郎が呼んだ。
「何やってんだ、お前!?」
「ご覧の通り狙撃されてるんだよ! だから来るな、馬鹿! 避けるのは御茶の子さいさいでも、接近戦専門のお前じゃ、どうしようもないだろうが!」
「だからって、放っとける訳無いだろうっ!」
自分が逃げ切ってしまえば済む話だと、駆け付けようとした彼を九龍は制したのに、血相を変えた相手は言うことを聞かず。
「ったく、仕方ねぇ馬鹿だなっ!!」
一度は放り出した喧嘩を改めて買うしかないな、と九龍は逃げるのを止めた。
鉛玉など、目を瞑っていても避け切ってみせる甲太郎など、放っておいても良かったのに。
制止を振り切り駆け寄って来た甲太郎と二人、正義を振り翳しつつ自分達を亡き者にしようとした《生徒会執行委員》、墨木砲介と真正面から対峙し、どうにも精神的に不安定らしい墨木に土手っ腹に穴を空けられそうになった刹那、甲太郎に、荒っぽいやり方ではあったが確かに庇われた九龍は、狙撃騒ぎが何とか事無きを得て直ぐ、再び、深く深く考え込んだ。
どうして、甲太郎は自分を庇ったのだろう、これで、彼に庇われたのは二度目だ、と。
「おい、甲太郎」
「何だよ」
それが気になって気になって仕方無くて、肩を並べて寮へと戻る途中、「やれやれ、とんだ目に遇った」と、げんなりしている彼へ九龍は向き直る。
「お前……。…………いや、何でも無い」
「最後まで言え。言い掛けのまま、無かったことにされるのは釈然としない」
「そう言うお前だって、しょっちゅう何やら言いたげにしながら黙り込んでる」
「それとこれとは違うだろうが」
「……何で、又、俺を庇ったのか訊いてみたかったんだ。それだけだ。でも、途中で馬鹿馬鹿しくなって止めた」
口を開いてみたものの、前回庇われた際、甲太郎は既に、「例え相手がお前でも、ツラを知ってる奴が死ぬのは嫌だ。俺は性格を悪くはしていない」と、明確な『答え』を出していたな、と思い返し、続く言葉を飲み込んだのに、チロリと彼に睨まれてしまって、九龍は、軽い溜息と共に打ち明けた。
「何故?」
「お前の答えを思い出したから。ツラ知ってる奴が死ぬのは嫌だ、って。そう言ってたろう?」
「……ああ、そう言えばそうだった。確かに、馬鹿馬鹿しいと言うか、どうでもいい話だな」
何だ、そんな話か、と耳傾けていた甲太郎は、取り出したアロマパイプに歩きながら火を点ける。
「だから、言い掛けて止めたんだ」
漂い始めた丘紫の香りの煙に盛大に顔顰め、前を向き直った九龍は肩を竦めた。
「成程。…………だが、九龍? 前回も、今回も。どうしてお前、そんなことに拘る?」
「どうして……、って……。そこで、どうして? とか、そんなこと、とか言えるお前が俺には不思議だ。俺がお前で、お前が俺だったら、俺はお前を見捨てる。それが当然だろう? 《生徒会副会長》って立場持ちとしては」
「腹の中処か全てが真っ黒で、他人を出し抜くのが商売な宝探し屋の発想だな。だが、俺はそうは思わない。どうしようもない底無し沼に嵌ってるだけだと判っていても、抜け出せない泥沼に嵌ったままでいるしかないなら、せめて、俺にも僅かにはある良心ってのに従う。その方が、未だ気が楽だ」
「………………人としての良心、って奴に?」
「ああ。残念ながら、俺はお前みたいな輩とは違うんでな。………………尤も。《墓》の《秘宝》目当てに学園に潜り込んだ《転校生》達を処罰し続けた挙げ句、人一人を死に追いやってる俺に、言えた科白じゃないのは判ってる。…………所詮、自己満足なんだろうさ。人としての良心ってのを建前にお前を庇っちまうのも。殺り合いに負けた果て、要らない報酬だとしても受け取っちまった以上、お前が言っていた、『自分が《生徒会》の人間だってことは忘れろ。少なくともこの仕事が終わるまでは、お前は俺のものだ』って宣言に従うしかないんだろうと思うのも。何も彼も、自己満足でしかなくて。そうしていれば、そう考えていれば、きっと俺が楽なんだろう。……ま、あれだ。俺自身も、俺が嫌う偽善者でしかない、ってこった」
寮を目指し、学内を東西に貫く広い歩道を辿りながら、九龍を見遣りもせずに、甲太郎は淡々と言った。
「……甲太郎。今日になって、俺は、やっと気付いたんだがな」
「何に」
「お前が馬鹿だ、ってことに。…………ああ、間違って無かった。お前、馬鹿なんだな」
「………………馬鹿で結構。お前に馬鹿と言われても、痛くも痒くも無い」
「ほう。自覚があるのか」
「お前な…………」
吐き捨てんばかりだった言葉に感じたままを告げれば、嫌味も通じないのか、と甲太郎は顔を顰めたけれども、九龍は気にした風も無く、しみじみ頷いた。
本当の意味での自覚の有無は兎も角、甲太郎は愚かだ。
過去の己の行いに苦しみ、後悔ばかりを抱えながら日々を生きる、愚かしくて善良なる少年。
そして、誠実な少年。
自身の言う通り、彼は、単なる自己満足の為にそうしているだけなのかも知れないけれど。
もう、過去にしてきたような想いは二度としたくない故の、偽善なのかも知れないけれど。
筋の通っていない下らない取引や報酬、そんな謂れしかなくとも、あの日告げてやった科白──何時、反故にされてもおかしくないと思っていた科白
それは、金品や融通でしか動かず、信頼も築き得ない者達しか知らなかった自分に言わせれば、誠実の一語に尽きる。
────その根源が何処にあろうとも、関係無い。
自己満足故だろうが偽善故だろうが、そんなこと、取るに足らない。
自分には、皆守甲太郎は、愚かしくて善良で、裏切りを犯さない誠実な者としか映らない。
………………ああ、そうか。
だから、俺は、甲太郎が気に入ったんだ。