二〇〇四年 十二月十三日 ──皆守甲太郎──
その日も、九龍は朝から機嫌が悪かった。
「おら。行くぞ」
と無理矢理に叩き起こされ、学生として誠に正しい時間に、半ば引き摺られるように肩並べて校舎に向かう道すがら、己も又、寝不足が齎す不機嫌さを纏いつつ、甲太郎は、ムスッとしている九龍の横顔を盗み見、やれやれ……、と溜息を吐く。
────あれは確か、十一月の半ば頃だっただろうか。
その更に一ヶ月前の十月中旬辺りから、人でなしで外道な宝探し屋らしくもない表情や態度を窺わせていた九龍が、何が遇ったのやら、憑き物が落ちたとしか言えないくらい晴れやかな顔を見せるようになった。
何処と無く落ち込んでいる──と言うよりは、何かを思い煩っている、と言った方が正しいかも知れない──様子だった頃とは別の意味で『らしくなく』、敢えて言うなら労りのような、世間でも立派に通用する常識を持ち併せている者の如き振る舞いさえして見せることもあった。
少なくとも、自分に対してだけは。
だが、十二月に入って直ぐの頃。
喪部銛矢という名の転校生が、九龍同様、己達のクラスである三年C組にやって来た日を境に、九龍の機嫌は目に見えて悪くなった。
彼の話に依れば、喪部の正体は、九龍達宝探し屋の間では大層評判が悪く、実際、只のテロリスト集団としか言えないらしい『秘宝の夜明け団』という組織の者で、九龍と喪部は、過去に一度だけ、何処ぞの遺跡だか墓だかで、宝を巡ってやり合った仲だそうで。
喪部が転校して来た日の夜以来、九龍は幾度と無く、彼とやり合った時や、天香に来る直前、エジプトのカイロで熟した仕事の際、レリックの連中とやり合った時の顛末を語りながら、喪部やレリックに対する悪態を吐き捨てまくっており。
「あー、腹立つ。教室行く度に、あの野郎のツラ拝まなきゃならないと思うと、腑
「……だったら、行かなきゃいいだろうが…………。お前には、授業も出席日数も関係無いだろう」
「当たり前だ、俺は生徒じゃない。叶うなら、俺だって登校なんかしたくない。けど、あの野郎から目を離したら、何を仕出かされるか判らないんだ、嫌でも行くしかない。それに。この間教えてやった通り、瑞麗や鴉室のおっさん──M+Mの連中だっている。寮に引き篭ってなんかいられないだろうが」
「なら、《墓》にでも篭ってろ」
「……お前が言うか。それを、お前が言うか、甲太郎? あの《遺跡》は、《墓守》──未踏破の区画の管理担当者にちょっかい出して来られない限り、一向に先に進めない、激しく果てし無く、この上も厄介な《遺跡》だってのが判ってて言うか? やっと執行委員は全滅、残るは役員のみになったのに、だーーー……れも俺にちょっかい掛けて来やしないんだ、馬鹿みたいに《遺跡》に篭ったって意味無いだろう。時間と労力の無駄だ。銃弾だって只じゃ無いしな」
「判った、判った……。だから、朝っぱらから怒鳴るな、鬱陶しい」
その日の朝も、もう直ぐ昇降口に辿り着く、という段になっても尚、ぎゃんすかぎゃんすか喚き続ける九龍に、甲太郎は二重の意味で辟易する。
この数日、レリックや喪部に対して臍を曲げっ放しな九龍の垂れる文句と、保健室の女帝や自称・探偵なあの不審者までが、《墓》の秘密を暴こうと、身分を偽って学園に潜入を果たした退魔師達だったことに。
何処からどんな風に『この学園の秘密』が漏れているのやら、ロゼッタ協会、レリック・ドーン、M+M機関と、小説や映画の世界だけに登場を果たすような組織の連中が大挙して押し掛けて来るくらい、『この学園の秘密』がその筋では有名ならば、九龍が転校して来たあの日、クラスメートを装って彼に近付いた自分は単なる道化じゃないか、馬鹿馬鹿しい……、と。
「くそ…………。段々、何も彼もがどうでも良くなってきたぜ」
故に、九龍の愚痴が伝染したのか、彼と同じくブツブツ零し始めた甲太郎は、己達の教室で無く屋上へ向かった。
言うまでも無く、九龍と二人で。
「どうでもいい? 何が?」
「喪部の転校初日から続いてる、お前の愚痴垂れを聞いてたら、《生徒会》の存在意義が見えなくなってきた、って話だ」
「ああ、その気持ちは判らなくもない。だが、存在意義まで疑わずともいいだろうに。俺達の世界じゃ、天香学園の地下に隠された遺跡の存在なんざ公然の秘密でしかなくとも、世間は知らないままなんだし? 《生徒会
「それは……無かったら嘘だろう?」
「だったら、それでよしにしとけ」
「…………ま、確かに、それで悩むのも馬鹿馬鹿しい。それはそうと、九龍。お前、教室に行かなくていいのか。喪部は?」
「目は放したくない。だから、こうして登校した。でも、ツラも見たくない。同じ建物の中にいるんだ、何か起こっても何とかなる」
「いい加減と言うか……、矛盾じゃないのか? 何で俺は、そんな適当なことに付き合わされてるんだ」
「お前だから」
「………………あー、そうかよ……」
サボり場所とするには不向きな、十二月中旬の吹き曝しの屋上に、寒いとか何とか言い合いながら踏み込んで、屋上での己達の定位置である給水塔に凭れられる片隅を陣取り、暫し九龍と言い合ってから、本当に、全てが馬鹿馬鹿しくしか感じられなくなってきた、と甲太郎は不貞寝を決め込んだ。
気休め、と言いながら九龍が放り投げてきた、サバイバル時や避難時に能く使われるアルミ製ブランケットを毛布代わりに。
このままなら今日一日も、九龍の愚痴や文句を聞かされるだけで終わるだろうと思いながら、午前一杯を風邪を引き兼ねない屋上で過ごしたその日は、甲太郎の予想に反し、一騒ぎが起きた。
彼等の同級生の一人、白岐幽花失踪事件。
否、正しくは失踪で無く、彼女の存在そのものを、学内の者の殆どが忘れ去ってしまった事件。
それに絡む騒ぎが起き始めた時から、甲太郎には、仕出かしたのは《生徒会》──双樹咲重だと判っていた。
香りを用い、他人の記憶を自在に操る《力》を持つ彼女の仕業である証に、朝から、学内中を甘ったるい匂いが包んでいたのも知っていた。
ラベンダーの香りと香辛料の香りばかりに浸っている甲太郎とて、一応、嗅覚は馬鹿では無いので。
若干、他人より鈍いのは否めないが。ラベンダーと香辛料の所為で。
──それが、阿門の指示であるのも判っていた。
但、どうして彼が幽花の存在を隠そうとするのかの理由までは判らず、「どうしても思い出せない少女がいる、考えるだけで胸が痛い」と言って俯いていた明日香は見るに耐えなく。
「俺も、白岐って奴を思い出せないが、何はともあれ捜し出す。《生徒会》や阿門の思惑が何であれ、そういう手段で人一人を抹殺しちまうってのは、俺でも納得いかない」
と、九龍が言い切ったから。
甲太郎は、彼と二人で幽花を見付け出そうと決めた。
……自分は一体、何をしているのだろう、との想いは、頭の片隅を掠め続けていたけれど。
これだって、所詮は自己満足で偽善でしかない、とも思ったけれど。
学内の誰もが白岐幽花の存在を忘れてしまったのに、どうしてお前は憶えていられるのか、との九龍の素朴な疑問に、
「あの《墓》に囚われ過ぎてるんだろう俺には、例え、この学園の全ての奴が、あいつの存在を忘れ去っても、忘れることが出来ない。多分……《墓》に絡むことは、何一つも」
と、答えたら。
「……あのな、甲太郎。お前、やっぱりもう一遍考え直せ。あの《遺跡》のことも。例の……女教師のことも。────全てが悪いとは言わない。やり方や効果の程は兎も角、そうやって自分の過去と向き合い続けてる分、何も彼も忘れちまうより遥かにマシだろうからな。でも、お前のそれは、何処か間違ってる」
「間違ってる……、か」
「こんな商売してる俺が言った処で、説得力の欠片も無いがな。…………但、俺に言えるのは。この世には、罪に塗れてでも守り通さなきゃならないものが、確かにある、ってことだ。遺跡の正体も、秘宝や守るモノの正体も知らなくても、どうでも良くても、《生徒会》は、何があろうとも守り通さなきゃならないモノを抱える者達の場所で、《生徒会役員》は、何があろうとも守り通さなきゃならないモノを守るのが役目だと、それだけは、阿門にスカウトされた時から知ってたんだろう? ……俺に言わせれば。この上も無く汚く濁った『本当の世界』とは欠片の関わりも持たず死んでく連中には許されないことでしかなくとも、その為に犯し、塗れる罪には、使命って名が付いてんだよ。…………こっから先は、自分で考えろ」
吹き曝しの寒いそこを去る間際、そんな風に背中から話し掛けられて、だから。
九龍と二人で、幽花を捜してみようと思い切った。
それは、阿門の意思にも、未だに籍を置いたままの《生徒会》の意思にも添わぬことだろうけれど。
《生徒会
『彼女』の為にも。
彼女の死と、正しく向き合う為にも。