二〇〇四年 十二月二十四日

幽花の事件から十日程が経った。

その僅かの間に、学園では──九龍と甲太郎の周囲では、幾つかの出来事が目紛しく起こった。

《生徒会会計》の神鳳充や《副会長補佐》の夷澤凍也と戦い、ファントムの正体は《遺跡》の最深部に眠る何かに取り憑かれていた夷澤だと知り、《秘宝》を簒奪すべく喪部の手引きで乗り込んで来た、マッケンゼン率いるレリック・ドーンの部隊とやり合い、そして退けともした。

喪部達レリックが襲撃した区画──かつて甲太郎が守っていた区画は、彼等も九龍も予想していた通り遺跡最深部で、が、《秘宝》は無く、即ちゴールでも無かったものの、目指す場所はもう直ぐそこで、倒さなくてはならない『邪魔者』も、恐らくはだが、残す処阿門一人だろう、との目算も立った。

そうして迎えたクリスマスイヴの今宵には、どうやったのか、男子寮の部屋に置き手紙を挟んで行った幽花の呼び出しに応じた九龍が、指定された温室まで赴いてみたら、待ち構えていた幽花と向き合った途端出現した、彼女の『血の中』に潜んでいたモノ──大和王朝時代に生きた《封印の巫女》より、《遺跡》に眠るモノの正体や、《秘宝》の正体らしきものに関する真相を教えられもしたし、貴方の力となる筈だからと、代々の《封印の巫女》が伝えてきた『黄金の剣』を託されもした。

だが、九龍の気分は晴れなかった。

白雪まで舞い散り始めた、この聖なる夜に起こるだろう出来事さえ終えれば、きっと、彼の《秘宝目指す物》は手に入るだろうに。

最早、九龍に好き勝手引き摺り回されても文句一つ言わなくなった甲太郎と共に、求め続けた宝の為に墓地へ向かいながらも、彼は、何処と無く浮かない顔をしていた。

そして、九龍と肩並べ、墓地へと続く暗い小径を辿っている甲太郎も、酷く複雑な顔付きだった。

但し、彼のそれは、深い憂いの中に、某かを振り切ったような若干の晴れやかさの混じるもので。

対照的と言えなくもない表情の二人は、そのまま、言葉少なに《墓》へ降り立った。

訪れるのは、これで最後となるだろう地の底へ。

猫が着地する時のように、爪先から《遺跡》の床を音も無く踏み締めて、さて……? と九龍が辺りを見回した途端、《生徒会》の者達が大広間と呼んでいる広いそこの中央が、轟音を立てて崩れ落ちた。

周囲を幅の広い溝に囲まれた、文様が彫られた白石のみで築かれていた円形の床が崩壊した跡からは、人の背骨に能く似た形をした、地下へと続いているらしい梯子が出現し、

「終点……、か」

七十五発入りのバナナマガジンを、肩から下げていたAK47に装填し直しながら、口角のみを吊り上げて笑いつつ、九龍はぽつりと呟いた。

「楽しそうにして見せてる割には、声に覇気が無いな。……どうした? 三ヶ月も掛けて求めた《秘宝》を目の前にして」

耳に届いた小さな声が、何故か名残惜しげな響きを持っていた気がして、銜えたアロマに火を点けながら、甲太郎は九龍を横目で眺める。

「感慨深いだけだ。たった一つのお宝を手に入れるだけのことに、三ヶ月も費やしちまったからな。こんなにも手間の掛かった宝は初めてだ。感慨深くもなる」

少しばかり嫌味ったらしい言い方をした彼に、九龍はヒョイと肩を竦め、

「…………行くとするか。疾っくの昔に副会長さんは倒しちまってるからな。残るは《生徒会長》──阿門と、《墓》に眠るモノだけだ」

きっちり嫌味を言い返してから、手招き一つで甲太郎を従わせつつ、彼は下層に降りた。

向かったそこは、赤々と灯された炎そっくりな鉱石らしき物にぐるりと取り囲まれた、それ以外は何も無い正方形の部屋だった。

「この遺跡が《墓》であり、ここが終点である以上、この空間は玄室……だな。遺跡に眠るモノの玄室」

「そうだ。お前の言う通りだ、葉佩九龍。ここは、『遺跡に眠るモノ』──《荒吐神》の為の玄室」

ふーーん……、と詰まらない物でも見ている風に、九龍が辺りをさらりと一瞥だけしたその時、何処いずこより、阿門が姿を現した。

「やっと、お出ましだな、《生徒会長》。……いや、あんたにしてみれば、予想外に早く登場せざるを得なかった、って処だろう」

「まあな。まさか既に、お前達が戦い合っていたとは俺も気付かなかった。皆守が、《荒吐神》の玄室まで辿り着いてしまったお前と戦おうとしないのも、お前の動向を報告して来なかったのも、だから、なのだろう? しかし……一体、何時の間に?」

「転校初日だ。その時に、俺と甲太郎の勝負は着いてる。…………お前ら、本当に、トレジャー・ハンターって人種を舐めてんだな。そんなんで、能くもまあ何十年もの間、《秘宝》を求めてやって来る連中を葬り去って来られたもんだ」

《荒吐神》の玄室に降り立っても、並び立ったまま何もしようとしない二人を見比べ、漸く会得出来たように軽く頷いた阿門へ、九龍は半ば天を仰ぎながら、やれやれ、と。

「ま、そんなことはどうでもいい。俺がやることは、お前を倒す、それだけだから」

「そうか。俺の望みもそれだけだ。お前は、《生徒会》相手に良くやって来たが、それもここまでだ。文字通り、ここがお前の墓になる」

そうして、呆れ顔のまま左手に携えていたAK47を腰撓こしだめに構えた九龍と、皮の靴音を高くさせつつ後退って行く阿門は、静かに睨み合った。

阿門の能力が、他者の遺伝子をも自在に書き換える《黒い砂》──現代科学を以てしても作り上げるのは不可能な、超高性能ナノマシンを操る《力》であることは、甲太郎や生徒会執行委員や役員達の話、そしてこれまでの経緯から、九龍には察しが付いていた。

それ以外にも何らかの能力を持っているだろうと予想するのも容易で、AK47の集弾率の悪さという欠点を逆手に取り、弾をバラ撒きながら探り当てた弱点を、距離を保ちつつ持ち替えたMK23で続け様に狙い撃つのみで、阿門との勝負はあっさり決着した。

────三ヶ月もの手間を取らされた遺跡を守る、《生徒会》の長だった阿門との戦いが呆気無く片付いたのにも、破れ、傷付き、膝を折り、それでも尚、先祖代々守り続けてきた《墓》が暴かれるのを阻止しようとした彼との悶着にも、彼の最後の切り札として利用されるかも知れぬと判っていて、自ら《墓》へと降りて来た幽花の話にも、全ての《墓守》が倒されたが為に『降臨』を果たした《荒吐神》の姿や語りにも、九龍は、大した感情の揺らぎは見せなかった。

自分達には未だ、《九龍の秘宝》という《荒吐神》を斃す為の切り札が残っている筈だ、との幽花の叫びに、そのような物は存在しない、この《墓》に《秘宝》など在りはしない、《九龍の秘宝》とは、不老不死に焦がれる余りこの遺跡を造り上げ、忌まわしい人体実験の果てに化人や《荒吐神自分》を産んだ《天御子》達の、戯れ言に等しい伝説でしかない、と《荒吐神》が高笑いを返しても、彼は、何処と無く浮かない目をしたまま、微動だにせず、無言で一同を見詰めていた。

…………九龍の目から見ても、阿門は手強いと言える相手だったけれども、二人の間には圧倒的な経験と年期の差があるから、彼に言わせれば阿門とのそれは、「勝てて当然」の戦いだった。

阿門の語ることも、幽花の語ることも、目醒めさせてしまったら最後、この世界の終焉さえ迎え兼ねない《荒吐神》を眠らせ続けるとの使命を帯びた《墓守》の長や、《封印の巫女》の言葉や想いとして至極当然のものだったから、「それぞれの立場を考えれば、ご尤もだな」としか、彼には思えなかった。

《天御子》とやらの所為で否応無く辿らされてしまったその運命には同情出来なくも無かったし、思う処も無くは無かったが、『人生、是即ち秘宝』である彼には、《荒吐神》という存在も、「それはそれ、これはこれ。何処までも、俺にとっては宝の為にも斃すだけの相手」でしか無かった。

求め続けた物──《九龍の秘宝》は、《天御子》の戯れ言でしかない、との『神託』も、「お前が知らないだけだろう?」との呟きで一蹴した。

己を神と信じ切るしか生き存らえる術が無かった、神に非ざる不幸な男が、《天御子》の、《九龍の秘宝》の、何をどれだけ知っていると言うのか、と。

……彼は知らない。何も。

《秘宝》のことなど何も知らない。

けれど、俺は知っている。《秘宝》のことを。……とも。

──だから九龍は、一七〇〇年の長きに亘り、忌まわしさと悲劇のみを培ってきた《遺跡》が、その歴史に幕を閉じるだろう夜の中、目の前で繰り広げられていくことにも、耳朶に届く言葉達にも、何の感嘆も落胆もいだかず、唯、AK47のバナナマガジンを装填し直し、咆哮を上げ始めた《荒吐神》へ向け、無表情の内に構えた。