《秘宝》の為に淡々とやり過ごした数時間、殆ど表情を移ろわせなかった九龍が、はっきりと顔色を変えたのは、阿門を倒した時同様、7.62×39mmのライフル弾を目眩まし代わりにバラ撒き、幽花より託された黄金剣──その素材より推測した重量には見合わなかった為、王水をぶち掛けてみたら、正体は日本神話に名高い八握剣だったそれを駆使して、肋骨あばらぼね数本を代償にしつつも《荒吐神》を斃し遂せた直後だった。

九龍との戦いによって、己が何者であったかの記憶と共に人の心を取り戻した《荒吐神》が、長髄彦として在るべき場所へ還りたいと望み、その望みを叶えるかのように、遺跡が崩壊の轟音を立て始めたその時。

目的を失った《墓》は消え去り始め、《墓守》達は役目を終え、忌まわしき古代の呪縛から漸く学園も解放される今、《墓守》の長として、《墓》に残り己が命と共に呪われた歴史に終止符を打つ、と覚悟の程を告げた阿門と二人、自分も黄泉路への旅に出る、と甲太郎が言ったから。

「甲太郎? 今の科白、もう一回言え」

「………………ここで、お別れだ。…………じゃあな」

「ふん。やっぱり、聞き違いじゃ無かったな。聞き違える筈も無いが。……で? 要するに。お前は死ぬ気ってことか?」

「死ぬ気じゃ無くて、死ぬんだ」

「……成程。能ーーー……く、判った」

──元々、一人で逝くつもりだったが、お前もそのつもりだってなら、折角だ、一緒に逝くとしようぜ、と、とてもとても軽い調子で阿門に言い様、肩越しに振り返って短い別れを告げて来た甲太郎へ、九龍は片眉を跳ね上げながら、もう一度、告げられた科白を繰り返させると、それまでとは一転した、自棄にすっきりした顔付きになる。

「その内、そんなようなことを言い出すんじゃないかと思ってたが、やっぱりか。お前、死にたがりだもんなぁ」

思った通りだ、と小さく呟きもして、彼は、《荒吐神》に負わされた怪我の所為で実の処は携えているのも辛かったAK47を石床へと放り投げ、身軽になると、

「……九龍?」

「………………ま、だとしても。そんなこと、俺にはどうでもいい。関係無いからな」

何のつもりだ? と訝しんだ甲太郎の目を真っ直ぐ捉え、天井から降り注ぎ始めた細かな瓦礫を片手で鬱陶しげに払いつつ、にっこりと笑んだ。

「……そうだろうな。俺が──誰が生きようが死のうが、お前には関係無いだろうし、どうでもいいことなんだろう。お前は、《秘宝》以外のことなんて────

──ああ。俺には、《秘宝》以外はどうだっていい。誰が、何時、何処で死のうが生きようが、そんなこと俺には関係無い。だが。俺が言ってるのは、そういう意味じゃない」

その笑みを、何処か遠い世界のものの如くに眺め、今ここで、阿門がそうと決めたように、逝くと思い定めた己の決意も、お前には、記憶の襞にも擦らぬ程度の出来事でしかないんだろうと、甲太郎は苦笑を浮かべ……、が、ゆるり、首を横に振った九龍は、激しく揺れる床を物ともせぬ足取りで彼へと近付く。

「前に言ったこと、憶えてるか? 俺はお前が気に入ってるって」

「……一応」

「何でそう思ったのか教えてやろうか。……甲太郎。お前が誠実だからだ。少なくとも、俺にとっては。……俺には宝があればいい。それ以外何も欲しくない。権力も財力も、冒険もスリルも非日常も、思うがままの日々も、俺にはある。俺の世界にはある。そんな世界の中で、俺の理屈通りにならない人間なんていなかった。でも、お前は、俺の理屈を裏切って、そして、俺を裏切らなかった。……甲太郎。お前が、お前自身をどう思おうと、お前は誠実な男だよ。死なすには惜しいと、俺に思わせる程に」

「…………だから?」

一歩、又一歩と、己を目指して向かって来る九龍の言い分に耳を貸しながら、後退ろうとして、甲太郎は踏み留まった。

「俺には宝があればいい。宝こそ我が人生だ。…………だから。さて、やるか、甲太郎」

「は? やる? 何を?」

「……馬鹿だな。たった今、説明してやったろうに。宝以外にゃ何の興味も無い俺が、死なすには惜しいと思うくらい気に入ってるお前秘宝を、あの世なんて俺の手の届かない所に逃す訳無い。でも? 今この瞬間、俺が欲しいと思ってるお宝には、死にたい、なんて寝言をほざく口と、その寝言を叶え兼ねない体がある。だったら、実力行使してふん縛ってでも手に入れるしかないだろう? 宝探し屋としては」

「…………俺が死のうが生きようが、お前には関係無い、どうでもいいことなんじゃないのか」

「くどい。そんなこと、当たり前だと何度言えば判る。お宝の意思なんぞ、俺には関係無い。俺が欲しいと思ったんだ。俺が生かすと決めたんだ。それだけで充分だ」

「九龍……。お前、何を勝手なこ──

──甲太郎? もう一度だけ言う。お前は、俺のものだ」

端から大してありはしなかった、自身と甲太郎との隔たりを踏み越え、甲太郎秘宝の眼前に立ち、この場所で戦ったあの時のように、ショルダーホルスターよりMK23を抜き去った九龍は、銃口を、目の前の彼の額に押し付けた。

「これでも、避けられるか?」

「……試してみるか?」

お前が欲しいとの科白を裏切るような所業をして退け、その上、甚く挑戦的に嗤った彼の挑発に甲太郎は乗った。

崩れ落ちる瓦礫に潰されて死のうが、鉛玉に頭を撃ち抜かれて死のうが、その末路に変わりは無く、いっそ願ったり叶ったりではあったが、このまま黙って殺されるのは、何故か癪に触った。 

「ご所望とあらば」

向けられた嗤いに相応しい嗤いを返した彼のリクエストに応えて、九龍は、躊躇い無くトリガーを引いた。

彼等がそうしているにも留まること無く崩壊してく《墓》の立てる、騒々しい音に紛れた銃声が辺りには響き、避けられようも無い弾丸を躱し様、甲太郎は蹴りを放った。

ブレの無い、見事な弧を描いた足先は、九龍の傷負った胴を薙ぎ。

「……そっちの意味でも、死なすにゃ惜しいよ、お前」

既に折れていた肋骨と、無事だった肋骨の双方がミシリと音立てて折れて、一瞬で呼吸は詰まり、MK23のグリップを握る右手は痺れ、構え続けた得物は零れ落ち、頽れそうにさえなったが。

再度の嗤いと共に減らず口を叩くと、甲太郎の胸倉を掴み上げ、九龍は、

「まあ、それでも。俺相手なら、これくらいのハンデ付けて丁度くらいか?」

「お前な……。未だ言うか? もう一発くらい喰らわせてやろうか。そろそろ、折れたあばらが肺に刺さるぞ」

「ご勝手に。だからどうした? それもハンデにしといてやるよ。俺は絶対に、狙ったお宝は諦めない。狙った宝を手に入れられなかったことも無い。……どうしても理解わからないなら、もう一度だけ、なんてケチ臭いこと言うのは止めて、理解わかるまで言ってやる。お前は、俺のものだ」

能く膝を折りもせずに立っていられる、と自分で自分に秘かに感心しつつ、甲太郎の胸許にあった両手を彼の右手へスライドさせ、絡ませる風に二の腕を取り、背負い投げた。

「うお……っ」

「痛って…………」

手加減無しに、甲太郎の痩身を皹が入り始めた石床に叩き付けてやった際の衝撃は彼をも襲い、投げた彼の体の上に、九龍も倒れ込む。

「お前、血が──

──それこそ、どうでもいい。気にするな。大したこっちゃ無い。……甲太郎。いい加減、諦めろ。諦めて認めろ。言っとくが、俺はしつこいぞ。葉佩家の名に懸けて、地の果てだろうが地獄の先だろうが、追い掛けて追い詰めてやる。逃れられるなんて間違っても思うな」

倒れて咽せた拍子に、彼の口際からは洩れた息と共に鮮血が滴り、それを見咎めた甲太郎は思わず左手を伸ばしたが、九龍はパシリと振り払い、

「…………甲太郎。もういいだろう? 何時までも、死人に囚われるのは止めろ。罪に囚われるのもだ。そんなの、何の意味も無い。何にも生みゃしない。使命だって言ったろ? お前達のしたことは使命で、《秘宝》を狙う者は、皆、俺含めてそれが商売なんだよ。互い、いい勝負だろうが。……ま、その辺も、俺にはどうでもいいことだけどな。何がどうだろうと、俺はお前を連れて行く。お前は俺の《秘宝もの》だ。俺が、そう決めた」

口許から喉へと伝わる血をグイと拭って立ち上がると、甲太郎へ手を差し伸べた。

「本当に、心底、勝手な男だな、お前は」

「そんなん、出逢った日に嫌って程思い知ったろう。今更だ。……その代わり、お前に、俺の世界を見せてやる。絶対に、俺以外の奴等には見せられない世界をだ。……悪い『取引』じゃないだろう? ま、お前に拒否権は無いが。──それに」

「……それに? 何だよ」

「俺が気付いてないと思ったら大間違いだぜ、甲太郎。お前、案外、俺のこと気に入ってるだろう」

「………………否定はしない」

────ああ、もう駄目なんだろう。

《秘宝》を手に入れると自ら思い定めた宝探し屋この男からは、何を言っても、何をしても、逃れる術など無いのだろう。

……そう悟り、甲太郎は一度だけ上を仰ぎ、諦めの笑みを頬に刷いて、伸べられた手を取り返した。

本当に身勝手な男の、本当に身勝手な言い分に、運命も命も左右されるのは気に喰わなかったけれど、この酷い男がそれでも求める《秘宝もの》が己だという事実は、決して悪くは無かった。