生理現象を盾に逃げ出した龍麻も、様子を見てくると言って出て行った劉も、何時まで経っても帰って来ず、その間、説教の波状攻撃を単身喰らい続けてた京一にも、我慢の限界がやって来た。

吊し上げられることへの我慢ではなく、自然現象的我慢が。

「頼む。ほんっとに頼む。酒入ってんのに、一度も行ってねえんだぞ? 嘘でも騙しでもねえから、便所行かせろ!」

怒鳴り声での宣言をカマしざま、立ち上がろうとした彼は、痺れるを通り越し感覚がなくなり始めた足を縺れさせてしまい、畳に顔面から突っ込みそうになったが、何とかそれを回避すると、一同よりの、

「三十秒で帰って来い!」

との無体な言い付けに、

「やれるもんならやってみろ、てめえ等! ひーちゃんには、それでも二分って言いやがったくせに、何で俺は三十秒なんだよ!」

と怒鳴り返し、這うようにしながら縁側へと出た。

そこで暫く蹲り、中々言うことを聞いてくれない足裏を叩いて宥め賺し、何とか彼んとか立ち上がれた時、彼は、縁側の隅に、龍麻と劉が並び座っているのを見付けた。

劉は兎も角、ひーちゃんは、俺一人に説教の嵐を押し付けて何をやっていやがるんだ、とムッとし、今度はお前の番だと呼び掛けようとしたが、龍麻が、「京一が傍にいてくれるから。京一を手に入れたから」と、語っているのを聞き。

有り難うと、『弦月』に告げる声も聞き。

「ひーちゃんは、天然生粋の『仲間タラシ』だかんな。殺し文句の一つや二つ、軽い軽い」

足音を忍ばせ二人へと近付き、彼等の間に顔突っ込むようにして、京一は軽い調子の声を出した。

「うわ、京一」

「うわ、って何だ、うわ、って。────ひーちゃん。俺見捨てて、なーにやってやがる? 今度は俺が便所行ってくっから、お前、一人で連中の説教喰らって来い?」

「えーーー……。流石に、もうお腹一杯なんだけどなー」

「んなん、俺だってそうだっての。いい加減御免だぜ。……でも。謝るんだろ? 口先だけじゃなくて、本心で」

「……京一。聞いてた?」

「聞いてたんじゃなくて、聞こえただけだ。……ほら。行って来いよ。そうすりゃ、少なくともお前は勘弁して貰えんだろ」

「…………うん。じゃ、お説教の続き、有り難く拝聴して来る」

「おう。便所済ませたら、俺もちゃんと戻るから」

ヌッと京一に割り込まれても、「おや」といった程度の反応しか示さなかった劉とは真逆に、龍麻は、諸々を誤魔化す風に眉根を顰めて及び腰になったけれど。

小耳に挟んでしまった話通り、そう思っているなら連中に頭を下げ直して来いと、京一は笑い掛けた。

「京はん。京はんは、どないするん?」

だから、龍麻は立ち上がり、次いで劉も腰を上げ、座敷へと戻って行く彼の後に続きつつも、手洗いへと身を返した京一を振り返る。

「んー? 便所で考える」

「……そないなことばっかり言うとると、何時まで経っても説教終わらへんよ?」

「判ってるっての。しつけえぞ。…………あ、そうだ」

呼び止められ、立ち止まった京一は、いい加減な返答をし、おどけたような仕草を取ってから、龍麻の姿が消えた縁側で、すっと劉へと近付き。

「ひーちゃんの真似する訳じゃねえけど。……今まで、サンキューな。んで、これからも宜しく頼むわ。たまにでいいから、ひーちゃんの愚痴、聞いてやってくれ」

「言われんでも、アニキの愚痴に付き合うくらい、お安い御用や」

「言ったな? 言ったからには音ぇ上げんなよ? 意外にねちっこいぜー、あいつの愚痴。──んじゃ、今度こそ便所行ってくっから。後でな、『弦月』」

劉以外には聞こえぬ囁きのトーンで、一言、二言……と告げると、彼は、やっと用を足しに行った。

「………………似た者同士」

扉で隔たれた向こうに消えた彼へ、ボソッと感想をぶつけ、劉は唯、やれやれと首を振った。

龍麻がそうだったように、京一も又、中々、手洗いから出ようとはしなかった。

少しでも、多重音声な説教会場へ戻るのを遅らせたかったから。

しかし、龍麻の際に学習したのだろう、長々篭らせてなるものかと、足音が一つやって来て、ガン、と木の扉を叩いた。

「……うるせえな。便所くらい、ゆっくりさせろよ」

「ゆっくりだ? 高が便所に、何分掛かってやがるんだよ」

「っとに……。出りゃいいんだろ、出りゃ……」

掛かった声は村雨の物で、しょーがねーなー、と渋々、京一は籠城を打ち切る。

「いい加減、説教に飽きろよ」

「飽きる飽きないの問題じゃねえだろうが。違うかい? 京一の旦那」

手を洗うのもそこそこに、ブー垂れた顔して出、木の戸に凭れた彼の前に立ったのは、声音が示した通りの人物。

「じゃあ、いい加減疲れろよ」

「あのな…………。……龍麻の先生は、殊勝に頭下げ始めたぜ? さっきまでみたいな渋々の態じゃなく、本心で。お前さんもそうすれば、小言も嫌味も打ち止めになることくらい、判ってるだろうに」

「……いいのか?」

「あん? 何が?」

「そうしちまって、いいのかって訊いてんだよ。俺まで本気で頭下げちまったら、それこそ打ち止めだぜ? 言い足りなくならねえ? 俺達が、お前達にも何も打ち明けずに二年近くも行方晦ましてたことへの文句が、一晩やそこら喚き立てた程度でチャラになるとは思えねえけどな、俺には」

「……とことん、人が悪いな、旦那」

「お陰様で」

僅かの距離を置き、互い、暗いそこの戸や壁に肩を預け、低い声で二人は言い合い。

「ついこの間まで、柄にもなく色恋のことで悩んでた情けない野郎は、何処に行っちまったんだか」

「放っとけ。……あー、一生の不覚だぜ。あの時、お前相手に愚痴なんか洩らしちまったのは、マジで一生の不覚だ」

「旦那の一生の不覚は、それだけじゃねえだろうが。もう一遍、身包み引っ剥がして、パンダ柄のトランクス一丁で歌舞伎町のど真ん中マラソンさせてやろうか? 今度は、逃げ込む先もないと思えよ。例の所も無駄だぜ」

「…………一寸待て。……村雨、何でお前、あの時俺が逃げ込んだ先のこと知ってやがる……?」

「さーて。何でかねー? ──旦那? これ以上、俺に弱みを握られたくなかったら、とっとと座敷に戻んな。お望み通り、反吐出すまで小言と嫌味を垂れてやろうじゃねえか」

「くっそ…………。覚えてろよ、村雨……」

冗談と本気が複雑に絡み合ったそれに、一応の勝利を収めたギャンブラーは、オラ、と敗者の尻を蹴り飛ばし、恨みがましい一瞥をくれてから、京一は、髪掻き毟りつつ歩を運んで、障子戸へ手を掛けた。

「……んなこっちゃねえかと踏んではいたが。連中、鞘に収まりやがったな。ったく、先生も旦那も、人騒がせが過ぎる」

彼が足踏み込むや否や、「遅い!」の怒号が飛び交い始めた座敷より洩れる灯りを何処か遠く眺め、苦笑を浮かべた村雨は、その場で腕を組み、少しばかり思案して。

数日後に行われる予定の新年会を迎えるまでに、せめて、麻雀仲間の二人と御門には、年中自分達を振り回してばかりいる彼等が、きっちり本当の意味でデキ上がったようだと、腹いせ代わりにタレ込んでやろうと心に誓ってより、座敷に入り、開け放たれたままだった障子戸を閉めた。

────それより、数時間が過ぎ。

西の空に居待月が溶け出す朝となっても、京一が真剣に詫びようとしなかった所為で、説教大会は終わりを見ず、朝食の頃合いになってやっと、一先ずの幕を閉じた。

あくまでも、一先ず、ではあったが。

京一と龍麻、それに劉と村雨を除いた仲間達に、思う存分言いたいことを告げ切ってやった、との満足感を残して。

End

後書きに代えて

お二人さんが帰国した年に開かれた、久し振りの忘年会の席での一幕。

天香での出来事に決着付くまでは、うちのは龍麻も京一も、劉のことは、基本、「劉」呼びなんですが(例外あり)、以降は、二人共に、「弦月」呼びになります。

その切っ掛けが、この一幕にあるよー、という話。

他愛無いと言えば他愛無い話なんですが、劉の呼び方を、京一と龍麻が揃って変えることになった出来事を書いておかないと、私が落ち着かなかった(笑)。

尚、この話の京一さんは、ちょっぴり優しく、ちょっぴり人が悪い(笑)。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。