九龍妖魔學園紀×東京魔人學園伝奇

『その薬のレシピは』

白岐幽花行方不明事件が起こった日から六日ばかりが経った、二〇〇四年の十二月も下旬に差し掛かったその日。

九龍は、現在は彼のバディの一人である、元・《生徒会書記》の双樹咲重に校舎屋上に呼び出された。

くどいくらい、『絶対に、誰にも内緒』と念を押されたので、つい二日前に漸く、手に手を取って『嬉し恥ずかし』な階段を一つ程昇ったばかりの恋人な皆守甲太郎──属性は嫉妬大魔神──をも何とか彼んとか誤摩化し、九龍は言われた通り、屋上へ向かった。

「やっほー! 咲重ちゃーん」

重たい鉄の扉を開けて、冷たい冬の風がほんの少々だけ強く通り抜けて行くそこにポンと踏み込み、その片隅の手摺りに凭れながら遠くを見ていた咲重に、彼は、馬鹿程明るく話し掛ける。

「あら、九龍」

風邪は引く程度の馬鹿で、元気で、何時でも明るい九龍でも、へこんだりイジケたりすることは当然あるが、大抵の場合、彼は、底抜けに能天気なので、ハイテンションで話し掛けられても驚きもせず、咲重は振り返った。

「御免なさいね、呼び出したりして」

「いえいえ。咲重ちゃんのお呼び出しとあらば。で? 絶対に誰にも内緒な、本日の御用向きは何でしょーか?」

「貴方を、腕のいい《宝探し屋》と見込んで、お願いがあるの」

「お願い? して、それは?」

「あの伝説の《秘薬》を手に入れてきては貰えないかしら……? それを使われた者は、使った者に無条件に恋をしてしまうという、あの《秘薬》を……」

「《秘薬》……。所謂、惚れ薬って奴?」

「そうとも言うわね」

「ふむ…………」

へらっと振った手に、彼女が、ひらっと手を振り返してくれたので、九龍は益々調子付き、さながら御用聞きの如く呼び出された理由を尋ね、彼の問いに何時も通り何処となく女王様のような雰囲気を漂わせながら、長く豊かな赤い髪を掻き上げつつも、咲重は、少しばかり重々しい声で、どうしても手に入れて欲しいものがある、と頼み込んできた。

「実は……、あたしね、どうしても振り向かせたい人がいるの」

「え? 咲重ちゃんが? ってか、咲重ちゃんのこと、振り向かない人なんている?」

「そう言って貰えると悪い気はしないけど、それが、いるのよ。自分でこんなこと言うのも何だけど、今まで、あたしがその気になって、振り向かなかった人なんていないのよ? でも、その人だけは、このあたしの魅力を以てしても、全っ然、手応え無し。ちっともこっちを見てはくれない……。……邪道だとは思っているのよ。でも──あたしは、その人が他の女に心奪われることを想像するだけで怖いの。だから…………」

「……成程。乙女心ですな。……うっしゃ! そういうことなら、引き受けましょうぞ!」

「有り難う。勿論、お礼はさせて貰うつもりよ」

「そんなこと、気にしなくっていいってば。大至急、手に入れてみせるから、暫しお待ちを、咲重ちゃん!」

惚れ薬が欲しい、と打ち明けられた瞬間は、「咲重ちゃんは、そんなことしなくっても……」と掛け値なしに感じ、が、彼女がそれを欲しがる理由を知って、咲重ちゃんも恋する乙女だぁねぇ……、と、腕を組み、しみじみと幾度か頷いた九龍は、ふんっ! と張った胸をポンと叩いて、絶対に手に入れてみせる! と、昼休みの屋上で誓いを立てた。

────故に。

同日、放課後。

そそくさ、『嬉し恥ずかし』ホヤホヤの甲太郎と共に寮へと戻った九龍は、一旦自室に入り、部屋中を引っ繰り返して探し当てた数冊の本を小脇に抱えてから、十二月に入って程無くの頃より、殆ど第二の自室と化している恋人の部屋に向かった。

「……九ちゃん。お前、今日は何の騒ぎを引き起こすつもりだ?」

ノックもせず飛び込んで来るなり、部屋のど真ん中の床の上にペタリと座って、持って来た本と首っ引きになり始めた九龍を横目で眺めつつ、溜息付き付き、それでもコーヒーを淹れてやりながら甲太郎は突っ込む。

「んー? 一寸」

差し出された簡素なデザインのマグカップを受け取りつつも、九龍は生返事だけをし、ひたすら、彼曰くトレジャー・ハンターのバイブルであるらしい、ロゼッタ協会発刊『伝説のトレジャー・ハンター ロックフォードに貴方もなれる!』の、第三章調合編のページを漁り続けた。

「又、碌でもない本を…………」

理由は判らないが、今日の九龍は何やらに夢中になっていて、当分、まともな返事は期待出来ないだろうと踏み、甲太郎は、九龍の手の中の本の背表紙に目を走らせ、軽い眩暈を覚えた風に一度だけ頭を振った。

「甲ちゃん! 碌でもない本じゃないぞ! 何遍説明すれば判ってくれるんだよ、この本は、トレジャー・ハンターのバイブルだっての!」

「……あー、はいはい。そんな本がバイブルだから、お前みたいなヘボハンターが出来るんだろうさ」

そんな彼のぼやきを九龍は耳聡く拾い、抗議の声を上げて、質問には生返事で答えるくせに、そこには反応しやがるか、と益々呆れた甲太郎は嫌味を垂れてから、『月刊・漢のカレー道 今月の特集 一口で至福を齎す、レインボーでパラダイスなスパイスの調合』と、表紙にデカデカ印刷されているコアで謎な雑誌を取り上げると、ベッドに引っ繰り返った。

「ヘボで悪かったな……。……何だよ、甲ちゃんの苛めっ子ーーー!」

嫌味を言い捨てた彼に、九龍は又もや声を張り上げたけれど、彼の憤りは、瞬く間に甲太郎が没頭し始めた、単価・一二六〇円の雑誌に、呆気無く弾き返された。

「んーーーーーーーーーーーーー…………」

それより、二時間程が経った頃。

右手で掴んだ『蛇の肝』と、左手で掴んだ『蝙蝠の翼』と、眼前の床に置いた、ちょいとばかり奇妙な色合いの謎の液体が入れられた小壜とを代わる代わる眺め、九龍は唸り声を出した。

「九ちゃん、どうした?」

その頃には、コアで謎な雑誌を存分に堪能した為、少々損なっていた甲太郎の機嫌も復活していて、何が? と彼は、自室に響いた唸り声に反応する。

「それがさぁ……。って、あー…………。……まあ、甲ちゃんだからいっか。この話、誰にも内緒な? ……実はさ、今日の昼休み、咲重ちゃんに頼まれたことがあるんだよ」

「双樹に? 何を?」

「《秘薬》、手に入れてくれないかー、って」

「《秘薬》……?」

「そ。所謂処の、惚れ薬って奴」

「…………あの女狐……。何考えてやがる……」

三つの品を見比べることを止めた九龍は、唸った理由を語る前振りに咲重の依頼を話し出し、その依頼の中身を知った甲太郎は、一気に、疲れ果てた顔になった。

「咲重ちゃん捕まえて、女狐って例えるのはどーかと」

「そんなことはどうでもいい。で? その所為で、妙な唸り声を上げる羽目になってるのか? 九ちゃん?」

「うん。まあ、結論だけ言えば、そーゆーことです、はい」

げんなり……、と肩を落とした彼を、九龍は、まあまあ、と宥め、又、右手の品と左手の品と眼前の床の上の品を、忙しなく見比べた。