「はい? 何ですか?」

「龍麻君には面倒掛けさせちゃうことになるから、おばさんもね、申し訳ないなって思うんだけど。今度から、家の馬鹿息子がそういうこと億劫がったら、龍麻君が連絡してくれない? で、あの馬鹿、引き摺って帰って来てくれないかしら?」

彼女が声のトーンを変えたのは、きっと、他愛無い理由だろうと龍麻は思っていた。

『馬鹿息子』に絡む愚痴を、もう少しだけ零したいから、とか、そんなようなことでなのだろう、と。

だから、「龍麻君」と言われたその時、彼は、何時もの調子のまま答えたのに、彼女が言い出したのは『申し出』で。

「………………俺が、ですか……? あの……でも、それは、その…………。俺は…………」

その『申し出』は、己には到底出来ない──否、してはならないことだ、と龍麻は俯いた。

そうですね、と。

なら、今度からはそうしますね、と。

嘘で、さらりと流してしまえばいいだけのことだと、判ってはいたけれど。

精一杯の努力をして、朝から何とか抑え付け続けていた、例の京一の両親に対する申し訳なさが、頭の隅で擡げてしまった彼には些細な嘘すら吐けず、俯くしかなく。

「……あのね、龍麻君。おばさん、龍麻君にも一緒に帰って来て欲しいと思ってるの。家の馬鹿な放蕩息子は、何時まで経っても龍麻君に迷惑掛けちゃうんでしょうけど、京一と一緒にね、龍麻君にも帰って来て欲しいと思ってるの。ホントよ? 何時、顔出しに来てくれてもいいのよ? おばさん、何時でも、何が遭っても、龍麻君なら大歓迎だから」

そんな態度しか取れぬ彼に全く気付いていない振りをして、彼女は、すき焼き鍋に肉を放り込みながら、明るく言った。

「…………おばさん。俺は、その…………──

──もう一回、言うわよ? 『何時でも、何が遭っても』、龍麻君なら大丈夫だから」

今にも鼻歌を歌い出しそうな彼女の明るい声に、その声で告げられたことに、一瞬、龍麻は、それまで以上に京一の両親に対する申し訳なさを感じ、自分で自分を責めた。

こうまで言ってくれる人の息子──京一と、自分は、顔向けの出来ない関係に……、と。

けれども、彼が再び言い淀んだ時、彼女は徐にすき焼き鍋から視線を外し、彼の眼差しを真正面から捉え、何処までも明るい調子で、が、はっきり、強調するように繰り返した。

「……………………はい」

だから彼は、その時。

……ああ、『何か』を悟られているのかも知れない、でも、その上で、そう言ってくれているのかも知れない、と思い直し、単なる己の期待でしかないかも知れぬけれど、とも思いつつ、小さな声で返事をして、こくりと頷いた。

「お袋ー? ひーちゃん、何時までも台所なんかに引き止めとくなよ。客なんだから」

「……随分と、生意気なことを言うわね、馬鹿息子が。お前よりも、龍麻君の方が、ずーーー……っと可愛いから、一寸引き止めちゃっただけじゃないの。でも、確かに、何時までも台所なんかに引き止めておくのも悪いわよね。──御免為さいね? 龍麻君。もう直ぐ出来るから、居間に行っててくれる?」

「あ、はい。じゃあ、向こう行ってますね」

と、丁度そこに、一度は実父に撃沈された助け舟を京一が入れに来て、彼女へと、会釈には深過ぎる礼をしてから、龍麻は踵を返した。

夕食後、京一の両親に、口を揃えて「泊まって行け」と乞われたけれど。

仮住まいではあるが、徒歩十五分足らずの所に部屋を借りているから、と流石にそれは辞退して、龍麻は、京一と共に帰路に着いた。

「…………あの、さ。京一」

未だ午後十時になるかならないか程度の頃合いだったが、早春故に真夜中過ぎに感じる夜道を、暖かい家から辞したばかりが為の寒さに僅か肩を震わせつつ辿りながら、龍麻は、傍らの彼を呼ぶ。

「ん? 何だよ、ひーちゃん」

「もしかしたら、なんだけど。半分以上は、希望的観測って言うか、俺の願望なのかも知れないんだけど……、ひょっとして、おばさん達、俺達のこと………………」

「……かも、な」

「そっか……。やっぱり、そうなのかな……」

呼ぶ声に応えて視線を流して寄越した京一に、ぽつ、と思う処を呟くように言えば、「多分、そうなんだろう」と返されて、龍麻は、目線を夜空へと上げた。

「…………………………ねえ、京一」

「……応」

「又、おじさんとおばさんに、顔見せに行こう」

「…………そだな。帰り際、直ぐそこに住んでんだから、顔出しに来い、って言われたしな」

「うん。二人で帰って来いとも、言って貰ったから。今は、その言葉に甘えさせて貰おうかな、って、今日、お邪魔して思った」

「……なあ、ひーちゃん?」

龍麻が、星も見えぬ大都会の直中の夜空を見上げたからか、それに倣った風に上向いていた京一が、今度は龍麻を呼んだ。

「何? 京一」

「流石に、昨日の今日で、って訳にゃいかねえだろうけど。暫くしたら、腹括るとするか? 腹括って、覚悟決めて、親父とお袋んトコ、改めて『顔出し』行くか?」

「…………うん」

見上げていた暗い夜空から、龍麻の横顔へと視線を戻した京一が言い出したのは、そんなことで。

それに、龍麻は素直に頷いた。

故にだろうか、人気の絶えた住宅街の中の路地を行きつつ、二人は、何となし、何方からともなく微かに手を繋いで。

「暫くしたら、覚悟決めて、おじさんとおばさんに頭下げ行って。それが落ち着いたら、今度は、俺の義父とうさんと義母かあさんのこと、何とかしようか、京一。やっぱりさ、世間には後ろ指差されることでも、自分達の両親に、そういうことで隠し事するのって、良くないのかな、って思えてきたから。隠しても、親には悟られちゃうんだなあ、って思い知ったし」

「ああ。……ひーちゃんの親御さんは、家の親共よりも、ずっと真っ当な人達だろうから、騒ぎになるかも知んねえけど。……ま、何とか?」

「うん。何とか。なるようになるだろうし、なるようにしかならないだろうし──

──なるようにする、ってな」

「そうそう。でも、義父さんだって、緋勇の家の男だから、やっぱり一寸、どっか変だし。義母さんだって、そういう義父さんと一緒になった人だから、少し、世間一般とはずれてるよ?」

「え、そうなのか? お前んトコの親御さんって、すっげー常識的な人達だって思い込んでた」

「そんなことないって。自分で言うと悲哀感じるけど、『俺の』育ての親だよ? それに──

──皆まで言うな、ひーちゃん。今、心底納得した」

「うわー……。何か、激しくヤな納得のされ方ー…………。……でも、まあ、そういう訳だからさ。……きっと」

「……ああ。きっと、な」

────緩く、微かに手を繋いで、路地を辿って。

二人共に、晴れやかな顔をしながら、何とかなるさ、と言い合って。

彼等は、現れた角を曲がった。

高校時代、二人して幾度となく辿った道を、この先もきっと、幾度となく辿るのだろうと、改めて、踏み締めるように。

────その道を、何方側に辿ろうとも。

右に行こうとも、左に行こうとも。

辿り着く先は、『sweet home』。

End

後書きに代えて

一言で言うなら、京一の両親に、自分達の本当の関係がバレちゃったっぽい龍麻と京一、って話ですな。

当人達は、出来る限り隠しておいた方が穏便、とか何とか、往生際の悪いことを考えてたようですが、親の方はお見通しでした。

どう頑張ってみても、親にはバレると思うんだー、こういうことって。

しかも相手は、あの京一の両親。個人的には、バレない訳がないと思う。

でも、うちの京一の両親は、かなりぶっ飛んだ夫婦なので「All OK、無問題」なノリのようです。

とーーー……ぶん、京一の両親に、頭上がらないねえ、二人共(笑)。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。