それより暫く。

龍麻が手土産を渡したり、渡された手土産を受け取りつつも、「子供が気なんか遣わなくていいのに」と京一の母がぼやいたり、としながら。

茶を飲みつつ、菓子を摘みつつ、中国はどんな風だった、とか、色々あって、あちこち訪れることになって、去年の秋にはエジプトにも行った、とか、流石に北京語も広東語も話せるようになったし、英語も本当に多少覚えた、とか、京一の両親へ、京一と龍麻が代わる代わる語って聞かせたり、逆に、京一の両親が、子供達に、この六年、日本ではこんなことがあった、とか、新宿にはこんな物が出来た、とか、語り聞かせるひと時が続いて。

何のかんの言いながらも、双方共に積もる話をしたかったのだろう、ふと一同が気付いた時には既に、居間の、庭に面したサッシの向こう側に窺える早春の空は、すっかり黄昏色だった。

「あら、もうこんな時間? なら、少し早いけどお夕飯にしちゃいましょ。案外、定番なのは食べてないんじゃないかと思って、すき焼きにしたから」

間もなく日没がやって来ると知って、少しばかり慌てた風に、京一の母が立ち上がった。

「あ、あの……、おばさ──

──龍麻君。おばさん、昔も散々言ったわよねー? 子供は、遠慮なんかしないの、って。だから、遠慮しないで、おばさんの言うこと聞きなさい。一応、貴方達の分も買ってあるんだから、食べてって貰わなかったら余っちゃうのよ」

四人で話し込んでいる内に過ぎた数時間は大層穏やかだったし、楽しい、と思うことも出来たけれど、やはり心の片隅で、ずっと、自分がこうしていていいんだろうか、と、居た堪れなさを感じ続けていた龍麻は、出来れば、夕飯まで共に、というのは、謹んで辞退したいと考えていた。

多分、そういう流れになってしまうだろう、との予想は出来ていたものの、叶うことなら遠慮したかった。

切実に。

なので、彼は暇を告げようとしたけれど、予想通り、京一の母は許してくれなかった処か、毎度の調子で押し切ってきて。

「は、い…………。なら……」

結局、龍麻は、曖昧な笑みを浮かべ、半端に頷いた。

「んもう。家の馬鹿息子と違って龍麻君は慎み深いから、遠慮しがちなんでしょうけど。……判ったわ。なら、龍麻君、一寸手伝ってくれる? もう支度は出来てるから、お茶の片付けして貰っていいかしら?」

彼のそんな態度は、彼女には、未だ遠慮をしている、と映ったのだろう。

手伝いを言い付ければ、龍麻も少しは気が軽くなるかも知れない、と踏んだらしい彼女は、後片付けを頼むと、さっさと台所に消えた。

「え? あ、はい」

用事を言い渡され、咄嗟に返事をしたものの。

手伝うのは吝かでない処か、寧ろ……だが、京一の母と台所で二人きりというのは、激しく気拙い……と、龍麻は傍目にもはっきり判る程、顔引き攣らせた。

だが、言い付けた当人は台所に行ってしまった後だったし、嫌などと言える筈も無く。

好意的に見れば、慎重、と相成る──要するに鈍い手付きで、彼は、テーブルの上を片付け始める。

「ひーちゃん、俺も手伝うから」

そんな彼の心境を察して、京一が助け舟を出したけれど。

「……ああ、そうだ。京一、一寸」

助け舟は呆気無く、京一の父によって沈められた。

「何だよ、親父」

ひょいひょい、気楽且つ軽い感じで実父に手招かれ、渋々、京一はそちらを振り返り。

足掻いたのに、盆に食器を乗せ切ってしまった龍麻は、「踏ん張れ、俺!」と、涙ぐましい気合いを己へと入れ、台所へ向かった。

大丈夫だとは思うけど……と、横目でこっそり、台所へ行く龍麻の背中を盗み見つつ。

「で?」

話があるならとっとと切り出せ、と京一は、実父へ、つっけんどんな声を出した。

「お前、父さん達に、何か話があるんじゃないのかい?」

と、父は息子へ、見たいテレビ番組の有る無しを問うているような、どうということない調子で徐に言った。

「へ? ……いや、別に?」

それまでしていた四方山話の続きをしている風に話す父が、何を言わんとしているのか、咄嗟に京一も判断しかねたが。

「そうかい? 言いたいことがあるような気がしたんだがな」

「…………特別な話はない。今日の処は、だけど」

「だと言うなら、父さんは構わないが。……今日の処は、ということは、その内、ということだな。ま、覚悟が決まったら、言って来なさい」

「……ああ。そうする」

父が、敢えて、持って回った言い方を選んだように、やがては彼も、敢えて、持って回った言い回しを選び、受け答えた。

もしかしたら、何も言わずとも、両親には諸々を悟られたのかも知れない。己の親達を、自分は見縊り過ぎていたのかも知れない。……と思いながら。

陶器が微かに触れ合う音を立てる盆を携え、台所に一歩踏み込んだら。

「ああ、龍麻君、御免なさいね。そこ、置いといてくれればいいから」

すき焼き鍋を火に掛けながらの京一の母に、龍麻は朗らかに話し掛けられた。

「置いとくだけでいいんですか? 良ければ洗っちゃいますけど」

「いいわよ、そんなことまでしなくたって。──処で、龍麻君?」

「何ですか?」

「ここだけの話だけど。貴方達、本当は何時、日本に帰って来たの? 京一は、さっき、ついこの間帰って来た、みたいなこと言ってたけど、あれ、嘘よね?」

「……え?」

日常会話以外の何物でもない調子で、日常会話以外の何物でもないことを言われ、普通に受け答えたら、いきなり、内緒話、との前置きと共にそんなことを問われ、龍麻は少々、声を裏返させる。

「昨日今日、帰って来た訳じゃないんでしょ? 日本に戻ったからって、ちゃんと実家に顔出すようなタイプじゃないもの、家の馬鹿息子は。どうせ龍麻君が責っ付いてくれたから、重たい腰上げたんでしょ? ……で? 何時なの?」

「えっと…………。その、実は、去年の九月に……」

「あーー、やっぱりねー……。全く、あの子と来たら、半年も前に帰って来てたくせに、連絡の一つも寄越さないんだから。だらしないったらありゃしないわ」

「すみません……。ホントに、一寸色々あって、俺も、実家に連絡出来たの、今年になってからなんです。もっと、早く連絡出来れば良かったんですけど……」

一瞬、誤摩化そうと思ったが、京一の母は、龍麻達が疾っくに日本に戻って来ていたことなどお見通しだと告げてきたので、諦めた龍麻は、正直に、半年前に帰国を果たしていたことを打ち明け。

「あら、やだ。龍麻君が謝ることじゃないでしょう? 家の馬鹿息子がいけないんだから。…………あ、でもね、龍麻君」

己が悪い訳でもないのに、ぺこり、頭を下げた龍麻を彼女はケラケラと豪快に笑い飛ばして、が、一転、何故か声の調子を変えた。