誰にも打ち明けなかったのに、京一は再び中国へ、けれど龍麻は日本に、と相成ったのを何処からか聞き付けてきた仲間達に、この先どうするんだ、とか、相談に乗るけど、とか、様々に誘いを掛けられたが、成田まで京一を見送りに行った日より数えて約半月が経った頃、龍麻は、誘いの全てを断り実家に帰った。

帰郷の日の朝、いきなり、東京駅のホームから電話を掛けてきて、「帰る。今から新幹線に乗るから」と言って寄越した息子に、育ての親達は酷く慌てたが、それでも、五年振りになる息子の帰省は、彼を実の子と思い育ててきた両親にとっては喜ばしい以外の何物でもなく、数時間後、連絡通りに実家の玄関を潜った息子を義父ちち義母ははも甘やかした。

それはもう、べたべたと言えるまでに。

その余りの歓待振りに、龍麻は、疾っくに二十歳はたちも超えたのに、何もそこまで、と寧ろ居心地の悪さまで感じたけれど、六年振りに戻った、既に懐かしいと言わざるを得ない実家も、久し振りに眺める親の顔も悪くはなくて、この歳で……、との一種の照れ臭さはどうしたって消せなかったものの、手放しで甘やかされるのも実の処は嬉しくて。

元々そのつもりではあったが、「うん、やっぱり暫くの間だけでも……」と、改めて思い定め────実家に戻った二、三日後。

「俺、ここに腰据えようと思うんだけど」

彼は、息子が帰省して以来揃って機嫌良くしていた両親を、一層喜ばせる宣言をした。

とは言っても。

明確な目的や目標がある訳でなし、そんなものを探したい訳でもなし、唯、少しの間だけでもこうしていられれば、としか考えられなかった龍麻が実家に戻ってより過ごした日々は、有り体に言ってしまえば『いい加減』だった。

いい加減と言うか、楽隠居と言うか、兎に角、そんなようなものだった。

未だ二十代の身空で、何もせずブラブラしているのは外聞が悪いし、両親にも迷惑が掛かるし、何より生きていけぬので働きはしたけれど、これと言ってやりたいことは無い、という彼の抱える内的事情と、彼の実家のある信越地方の片田舎では、そう簡単に手頃な就職先など見付かりはしない、との外的事情が重なったのもあって、龍麻に出来たのは、近所のコンビニやスーパーマーケットでバイトをする程度だった。

そうやって細やかに働きながら、両親と一緒になって家庭菜園の面倒を見てみたり、隣町の親戚の所で農作物の出荷の手伝いをしたり、町内の青年団の行事に駆り出されたり、何故なのか彼には判らなかったけれど、やはり町内にある寺の住職や神社の神主の話に付き合わされたりして。

…………特に深くは考えずに、そんな毎日ばかりを過ごす内、何時しか、龍麻が実家に戻ってより数年が経っていた。

歳も二十代後半に差し掛かって、義父の友人だったり義母の遠縁だったりに、「うちの会社で働かないか」とか、「小さい所で良ければ就職の世話が出来るけど」と誘われる機会が増えた。

と同時に、所謂『お節介な小母ちゃん』達が、「ちゃんとしたのは、龍麻君の就職が決まってからね」と前置きしつつも、何処からどう見ても見合い写真としか言えぬ代物を持ち込んで来始めたりもして、

「あー、田舎って、こういう所だったー……」

と今更ながらにうんざりしつつも、時にはそんな人達から持ち込まれる話に付き合い、時には上手いこと断る、という『行事』を、彼は不定期に繰り返さざるを得なくなり。

コネ頼りで就職するのも、パワフルな小母さん達に勧められるままお見合いするのも、遠慮したいんだけどなあ……、と内心では嫌気を覚えながらも、彼は。

田舎ならではのノリなのは否定出来ないけど、これが『普通』ではあるんだよなあ……、とも感じた。

望む望まざるに拘らず、されど細やかに生きていくには充分な仕事に就き、縁あって知り合った人と結ばれて、男ならば妻子を、女ならば夫と子供──即ち家庭を持ち、追われるようにであっても毎日を送って、何時かには必ずやって来る人生の終わりを、静かに迎えるべく懸命に生きる。

……それが、『普通』ではある、と。

そして、そうしようと決めたから、今の自分は、その『普通』の中を生きている、とも。

高校三年生だったあの頃や、京一や劉とアジア大陸を点々としていた頃に比べれば、平凡過ぎてつまらない、とすら言えてしまうのかも知れぬけれど、少なくとも『普通』の日々は穏やかで、有り得ぬことや、到底他人には打ち明けられぬことで悩む必要は無く、苦しむ必要も無く、世間から爪弾きにされるだけの恋愛模様に翻弄されて、何処までも落ち込む必要も無い。

唯々、今のみを生きるしかなくとも、日本を離れていた五年の間も、今のみを生きるしかなかったのには変わりなく、平凡であるか、波乱であるかの違いだけが今と過去とを隔てるもので、だとするなら、恐らく、平凡を選ぶのが人としては『正しい』。

異形の者達と戦い続けた毎日も、『黄龍の器』として生まれた自身を思い煩った時間ときも、「そんなこともあったね」と、しみじみ言えてしまう遠い遠い昔として流して。

死に逝く間際にやっと思い出す程に、遠い遠い昔に流して…………──────

────…………でも。

────そんなことばかりを考えるようになってからも、更に龍麻の月日は過ぎた。

あ、と思った時には、実家に戻ってより五年が過ぎようとしていた。

己達の継子息子の人生が、生まれながらにして少々複雑に出来上がってしまっているのを重々承知していたから、それまで小言めいたことは一切言わなかった両親も、流石に、「話を持って来てくれる人は幾人もいるのだから、バイトばかりしていないで、いい加減にきちんと就職しなさい」と、彼を責っ付き始めた。

が、そんな両親の言い分も、数日に一度ペースで喰らうようになった説教も至極当然のものだったから、龍麻は黙って言われるに任せていて、自身でも、「本当、いい加減何とかしなきゃなあ……」とは考えていた。

東京や中国で過ごした時間を忘れるのも、捨て去るのも、別段抵抗は無く、今は今なりに満足で、『普通』であることの有り難さも、親達が諭してくる『人生』の貴重さも感じてはいた。

但、どうしてもその気になれぬと言うか、あれから五年も経ったのに、未だに『未練』を捨てられぬ気持ちも、確かに彼の中にはあり。

────真神学園を卒業してより、十年目の春を迎える頃。

京一と道を違えても、番号は替えずにおいた龍麻の携帯電話が鳴った。