それから、約十日後の週末。

新宿駅東口の片隅にある交番の前でと、あの翌日に改めて約束した通り、京一はそこにいた。

出掛けるのだから、何処かで昼飯でも、と龍麻にねだられたので、待ち合わせ時間は十一時半にしたのだが、遅刻魔で名高い彼は、その日もやはり遅刻した。

龍麻は、どちらかと言えば時間に几帳面で、事、京一との待ち合わせの時は、絶対に、約束した時間よりも早く待ち合わせ場所に到着し、親友の到着を待ち構える。

彼のそんな『事前行動』の理由が、彼の中の『恋する乙女』にあるとまでは京一にも判っていないが、何時も何時も、親友を待たせてしまっているのには変わりなく、故に京一も、その日はそれなりに頑張ったのだけれど、約束の時間より十五分程遅れた。

──十五分の遅刻で済んだ、という辺りに、確かに彼の頑張りは窺えるが、遅刻は遅刻。

やべー……、と息急き切って彼は駆け付け、でも、龍麻の姿は無かった。

「あれ……?」

待ち合わせ場所に親友の姿が無いと知って、京一は、ん? と眉を顰めながら辺りを見回す。

遅刻などするような口ではないのに、何故、龍麻がいないのか、と。

全く以て威張れぬが、己が遅刻魔なのは有名な話で、龍麻もそれは重々承知しており、更に彼は、こちらが十五分や三十分遅刻しても、黙って待っていてくれる忍耐強さを持っている──それも又、『恋する乙女』の成せる技だ──から、怒って帰ってしまった、などということは決して有り得ないのに、と。

「今日は、珍しくあいつが遅刻か?」

だが、暫くの間、きょろきょろと辺りを目で探してから、漸く、京一はその可能性に気付いて、焦って損した、と交番前の柵に腰掛けた。

ひーちゃんが時間には正確でも、遅刻することくらいあるだろ、と考えながら、のんびり彼を待とうと決め、今から十五分経っても来なかったら、昼飯はあいつの奢りだと、普段の己を綺麗さっぱり棚に上げたペナルティをも決めて…………、が、ふ……っと。

十日前、龍麻と今日の約束を交わした道場前で覚えた『何か』を、京一は再び感じた。

………………今、何かを思い出し掛けた気がする。

否、思い出し掛けたのではなく、以前、全くと言っていい程同じ出来事を、確かに己は経験しているような…………────

────……何時のことだったか、誰が相手だったのか、さっぱり思い出せないけれど、この状況と酷く能く似た瞬間を経験したことがあるような気がして、んーーー? と、深く深く首を捻った彼は、たった今、思い出し掛けた気がする『それ』を、何とかして本格的に思い出そうと記憶を辿った。

けれど、どれだけ考えてみても、心当たりらしき記憶を引き摺り出してみても、『思い出し掛けた何か』は、『何か』のままだった。

皆目、見当も付かなかった。

だが、本当に薄ら、心や頭の片隅に、ざわめきのような物が沸き起こって、その所為か、急に龍麻が心配になってしまった彼は、PHSに連絡を入れてみようと、上衣のポケットを探った。

「京一! ごーめーんーーーーーっ!!」

と、その時。

駅前の雑踏の向こうから、焦り顔を拵えた龍麻が駆けて来て、京一の前に辿り着くや否や、肩で息をしつつ詫びてきた。

「お。ひーちゃん」

心配は杞憂だった、と迫って来た彼の顔を眺め上げながら、京一は、取り出そうとしていたPHSを仕舞い直す。

「本当、御免っっ。二十分も遅刻しちゃった…………」

「俺も、一寸前に着いたばっかだから気にするなよ。殆ど待ってねえし。……それにしても、ひーちゃんが遅刻するなんて珍しいじゃねえか。何か遭ったのか?」

「…………それがー……その……」

「……? 何だよ、言い辛いことなのか?」

「言い辛いって言うか……。……折角の京一との『デート』だから、何着てこうかしらぁん、って悩み過ぎちゃった。……あは」

「お前な………………。何だよ、心配して損した……。つーか、ひーちゃん。冗談でも、デートは止めろ、デートは」

「えー、一寸したお茶目なんだから、たまには冗談に付き合ってくれてもいいのに。──……そっか。でも京一、心配してくれたんだ。……龍麻、嬉しい。きゃっ」

「心配なんかしてねえから、不気味に体くねらせんな。息止めて踏ん張ってまで、無理矢理、顔赤くすんな。冗談に気合い込め過ぎなんだよ、お前は……」

「御免ってば。昼、奢るから機嫌直してよ」

「あ、そういうことなら、その手の冗談だろうと幾らでも言っていいぜ」

「……京一さん。現金過ぎよ。──って、ホントに冗談は兎も角。行こうよ。お腹空いてきちゃった」

「おう」

そのまま暫し、龍麻が珍しく遅刻をした理由に絡むことを、彼等はその場で語り合い、京一は腰を上げ、龍麻は歩き出した彼と肩を並べた。

「何処で飯食う?」

「僕は、何でもいいかな。京一、何食べたい?」

「あー…………。ラーメン?」

「やっぱり…………」

────歩き出し、雑踏に紛れ、昼食のメニューをどうするか、龍麻と語り合う内。

珍しく親友が遅刻した所為で、何かを思い出し掛けたことなど、京一の頭からは消えていた。

その出来事から暫くの間、龍麻や京一は、襲い来る、怒濤のような出来事と向き合い続けなくてはならなかった。

京一が数日間行方不明となる事件もあったし、春の頃より彼等が身を投じてきた戦いや出来事の黒幕──漸く正体を見せた柳生崇高という魔人に龍麻が斬られ、生死を彷徨った事件もあって、彼等が送る日々は、本当に目紛しく、忙しく。

彼等二人だけでなく、彼等の仲間達全てが、心を痛めたり、苦しんだり、悲しんだり、といった想いばかりをさせられる毎日が続いた。

只でさえ駆け抜けるように過ぎる高校時代なのに、受け止めなくてはならない出来事、受け止めなくてはならない想い、それらの所為で、彼等の『時間』は、掛け値無しに光陰矢の如しだった。

あっという間に年末がやって来て、あっという間に年が明けた。

そんな風に、慌ただしく過ぎて行く日々の中、やはり、慌ただしく迎えて慌ただしく見送ることになったクリスマス・イヴの夜──龍麻は心から望んで、京一はちょっぴりだけ渋々、二人だけで過ごす成り行きになったその夜も、彼等行き付けのラーメン屋、王華へ向かう途中で何とはなしに始まってしまった、『緋勇龍麻君の好きな相手は誰なのか話』の際、今年度の、最大最高の冗談、と言った感じで、龍麻が、

「僕が好きなのは、きょーいちくん」

と、語尾にハートマークを飛ばして告げたのに、

「そういう、怖い冗談を言うな」

と、京一が苦笑いを浮かべて受け流した、という『程度』の出来事しか起こらず。

そんなクリスマス・イヴから九日後。

年が明け、迎えた一九九九年一月二日、午前零時ジャスト。

龍麻や京一や仲間達は、一九九八年の春より数ヶ月に亘り続いた、異形と、黄龍の器と、この国最大の龍脈に絡む陰陽の戦いに決着を付けるべく、上野・寛永寺に乗り込んだ。

全ての出来事の黒幕だった柳生崇高と、彼が外法にて造り上げたという『陰の黄龍の器』を、何としてでも制し、黄龍の降臨を防ぐ為に。

この世界に、終焉を迎えさせない為に。