生きて、寛永寺からの帰還は果たせないかも知れない……と、龍麻も内心では相当の覚悟まで決めて挑んだ『最終決戦』を無事に終え、望み通りの結果を掴んでより一週間以上の時が流れた、短かった冬休みも終わって、三学期が始まったばかりのその日。

龍麻は、冬枯れの中、京一の自宅へ続く西新宿の道を一人辿っていた。

────仲間達の誰もが目も当てられぬくらいボロボロになった、でも、誰一人として命を落とさずに済んだあの戦いに終止符を打った直後は、皆と共に、喜びと安堵を振り撒きはしゃいでいた京一と、龍麻は以降、会えず仕舞いだった。

戦いの最中も、戦いが終わった後も、別段、変わった様子は見受けられなかったのに、ぷつりと連絡が途絶えた。

元々から、龍麻から京一に連絡を取る場合の方が、その逆より遥かに多かったし、京一は誰に対してもそういうことはマメではないが、それでも龍麻相手には、何日かに一度、大した用も無く電話を掛けてくるのが彼の常だったのに、そういう風な他愛無い遣り取りすら、この一週間と少しの間、一度も無くて。

龍麻だけでなく、全ての仲間との接触を断ってしまった様子だった。

……姿のみならず、声すら聞けなくなってしまった京一のことを、龍麻は、何か遭ったんじゃないかと心配したけれど、何も彼もに片を付ける戦いを終えたばかりだから、京一もゆっくりしたいのかも知れないし、一人、考えたいことがあるのかも知れないし、と連絡さえ取れなくなった最初の数日は、珍しく、しつこくすることを龍麻は避けた。

押しても駄目なら引いてみろ、との格言もこの世にはある、たまにはつれなくするのも恋愛テクニックの一つ、上手くすれば、何時も傍にいる相手がいないことに、ハッとする瞬間が京一にも生まれるかも知れない、と恋する乙女的な想像を巡らし、一人浮かれる余裕も彼にはあった。

が、五日経ち、六日経ち、とする内、段々と彼は焦ってきて、つれなくしてみる路線を、押しまくる路線へと戻してみたが、京一のPHSは、何時コールしても留守番電話に繋がってしまった。

…………そうこうする内に、さっさと時は経ち、冬休みは費え。

幾ら何でも、三学期の始業式には出席するだろうから、学校で京一を捕まえようと、いそいそ登校したにも拘らず、通学路にも、三年C組の教室にも、求める彼の姿は無くて。

冬休みの間は柄にもなく遠慮していた、京一の自宅への押し掛けを実行しようと龍麻は決めた。

だから、彼は今、一人通学路を辿っている。

──京一は一体、どうしてしまったのだろう。

クラスメートでもある仲間達──醍醐雄矢や美里葵や桜井小蒔は、卒業がほぼ確定したから、又、悪いサボリの虫が目を覚ましたのかも知れない、と言っていたけれど、どうしても、そんな風には思えない。

でも、彼のことだから、もう異形との戦いは終わったのだと、あの翌日から羽目を外し過ぎて、体調を崩し寝込んでることだって有り得る。

…………と、そんな風な考えを巡らせた果て、道を行く彼の手には、途中で買い求めた土産が突っ込まれた袋がぶら下がっていた。

自宅に押し掛けるのだからと、『点数稼ぎ』の意味も込めた、京一の家族に渡す為のケーキと、彼が風邪を引いていた場合に備えた果物その他と、惚れている身としては不本意だけれど、彼は確実に喜ぶだろう、新宿歌舞伎町の路地裏でゲットしてきたエロ本もが忍ばせてある紙袋は少々巨大で、が、ケーキが崩れぬように気を遣いつつも、龍麻は時折、弾むように紙袋を揺らした。

今、彼の頭の中は、誠に己に都合良い、はっきり言えば、おめでたい妄想が走っている。

数える程度だけれど、それでも会ったことはある京一の家族に、まるで未来の嫁の如く迎え入れられる自分の姿とか、寝込んでいる京一と、そんな彼を甲斐甲斐しく介抱する自分とか、そのことに甚く感動した京一に、「俺にはお前が必要だ」とか、「一生傍に居て欲しい」とか、「好きだ」とか告げられる光景が、鮮明でフルカラーの3D映像と化して再生されている。

「一旦、家帰ってシャワーとか浴びて、下着も新しいのとかにしちゃったりした方がいいのかも……。やっぱり、好きだなんて言われちゃったら、その先は一つしかないし……。好きって言い合ったその日にって言うのは、ちょっぴりはしたない気もするし早過ぎる気もするけど、京一、そういう処性急そうだし、激しそうだし……」

その果て、おめでたくてよこしまな自身の妄想に、ポッと顔を赤らめた彼は、恥じらうように身をくねらせた。

「でも、ここまで来ちゃったし、早く京一に会いたいし……。……今日は、迫られても躱しちゃおう。ここじゃ嫌、とか何とか言って。……きゃーーっっ」

そのまま、更に妄想を走らせ、脳内シミュレーションも終えた彼は、『片恋の君』会いたさに一層足を早めると、バラ色の妄想に頭の中を満たされたまま、スキップせんばかりの勢いで、京一の自宅の玄関前に立った。

インターフォンを鳴らせば、在宅だった京一の母が出て来て対応してくれて、彼の想像とは程遠かったものの、快く出迎えてもくれて……、が。

「……ああ、そうなの。龍麻君、京一のお見舞いに来てくれたのね。有り難う。……それがねえ、どうも、具合が悪くて学校休んだんじゃないみたいなのよ。──元日だったかしら。それとも二日だったかしら。一晩中帰って来なくて、何処ほっつき歩いてるのかしらね、なんて思ってたらフラッと戻って来てね。何が遭ったんだか知らないけど、それ以来、部屋に引き蘢ったままなのよ。それきり、顔色もあんまり良くないままだし、食欲も無いから、最初の内は、具合でも悪くしたんじゃないかと思って、世話焼いてみたり病院行きなさいって言ってみたりもしたんだけど、放っといてくれ、の一点張りでねぇ……。……あの子、普段がああでしょう? だから、何か思う処でもあるんじゃないかって、放っておいてるんだけど…………」

龍麻が差し出したケーキ屋の箱を両手で持ち、玄関の三和土に突っ立ったまま、彼女は、あの日以降の息子の様子をつらつらと語って、最後に、お手上げだ、とでも言う風に深い溜息を零したので。

あれ、何か、予想と想像を大分裏切る展開になってる……? と、龍麻はそこで、その日初めて顔を曇らせた。

けれども、彼の中の『恋する乙女』の部分は、或る意味、己にのみとても優しく出来ているので、「そういうことなら、京一は何かを悩んでいるのかも知れない。具合を悪くした彼を看病して、それを切っ掛けに一息に両想いに、との目論みは外れてしまったけれど、だったら、自分の手で彼を苦悩から救って、それを切っ掛けに両想いに」と考え、京一の自宅への道中にしたように、現状に添った、やはり、おめでたい妄想を脳裏にて走らせた。

尤も、バラ色すら通り越した、七色レインボーに輝く妄想に身を浸して、京一の母の前でにやける訳にはいかないと、こっそり頬の肉を噛み、「そうですか……」と沈痛そうな風を装うのは怠らなかったが、彼の母に連れられ、『篭城』を続けている京一の部屋の前に立った時も、彼の母が己の来訪をドア越しに告げてくれても返事一つ無かった時も、彼は未だ、己だけに都合の良い妄想を続けていた。

しつこくしつこく、「折角、龍麻君が、お前のことを気に掛けてわざわざ来てくれたのに」と、息子へ呼び掛け続けていた彼女が、余りの梨の礫振りにカチンと来て、

「ああ、もうっっ! 病気じゃないんでしょうがっ! 何が遭ったんだか母さんは知らないけど、グダグダ言ってんじゃない、馬鹿息子っ!!」

と怒鳴るや否や、有無を言わさず眼前のドアを開け放ち、斜め後ろに控えていた龍麻の二の腕を引っ掴みつつ、ダンッ! と中へ踏み込んで、部屋の窓側の隅でうずくまるようにしていた京一の目の前に、ポイッと彼を放り投げ、さっさと部屋を出て行ってしまった時には、「さあ、本日のメインイベントが、とうとう!」などと、彼は、不謹慎に一人盛り上がっていた。