京梧が見詰め続ける『それ』は、『遠い昔』、彼にとって『剣以外の全て』だった者と分け合った品だった。

黒玉のそれと白玉のそれで一対を成す、互いに引き合い、共鳴りする力を持っている念珠は、分け合い持てば、手にする者同士、何が遭っても、例え離れ離れになることがあったとしても、必ず互いを引き合わせてくれる、との逸話を持つ品。

……そんな曰くを持つそれを、彼は、『遠い昔』は『剣以外の全て』だった者と分け合い、そして、必ず、再びの巡り逢いをしようと誓って別れた。

けれども、『遠い昔』は、本当に本当に、どうしようもなく遠くなってしまい、なのに彼は、必ず、再びの巡り逢いを、と誓った者との『真の再会』を果たせぬままでいる。

…………その者が、今、何処でどうしているのか、彼は知っているけれど。

再びの巡り逢いの誓い、それを果たそうと、唯ひたすらに、その者が彼を待ち続けていることも、知っているけれど。

どうしても、今は未だ、彼の手はその者に届かなくて。

「ひーちゃん。『あれ』から、もう十二年が経ったってのに。俺は、未だ…………。──……お前は今、この刹那も、あそこで眠りこけてんだろうな。いい加減、お前を叩き起こさなきゃならねぇって、判っちゃいるんだけどよ……」

深い深い眠りに付きながら己を待ち続ける『その者』を、『その者』の寝姿を、細めた眼差しの向こう側に遠く甦らせ、京梧は声を沈ませる。

────逢いたくて、逢いたくて、堪らなかった。

その者──『彼』に、逢いたくて、逢いたくて。

京一にあんな話をしたから、『彼』に逢いたい衝動に駆られているのか、それとも、『彼』に逢いたい衝動に駆られているから、京一にあんな話をしたのか、何方が先かは彼自身にも判断出来なかったけれども、『彼』に逢いたい、との想いが、その時、京梧を満たしていたのだけは間違いなく。

「……ああ、そうそう。そうだ、ひーちゃん」

微かに上向き、『何か』を飲んで、京梧は無理矢理、『独り言』の声を明るくした。

『彼』に逢いたくて堪らなくなった時、常にそうしてきたように、再びの巡り逢いを果たせずにいる『彼』へと、語り掛ける為に。

「馬鹿で、真剣に出来が悪りぃが、一応、弟子だからな、あの馬鹿も。だから、春が来たら……この、山桜が咲いたら、あの頃、俺達が教えられた『神氣』のことも、言って聞かせてやった方が……────

だが。

まるで、その場に『彼』がるかのような京梧の独り言は、半ばで掠れ、消えた。

────神氣。

己が弟子である京一にも語ってやるべきモノ。

それを、うっかり口にしてしまった所為で。

「……『神氣』。例えば、花が咲こうとする心。例えば、人が生きようとする心。心が『そうであろう』とする『心』。決して目には見えずとも、確かにそこにあるモノ…………」

……今は。こんな想いを抱えている時は。言葉にしない方がいいと、思い馳せない方がいいと、過ぎる程承知していたが、彼の口は、神氣とは如何なるモノなのかを紡ぐ。

「…………神氣が、そのモノを、そのモノ足らしめるモノなら。そのモノが、そのモノとして在る為に神氣が在るなら。……ひーちゃん──龍斗。お前は今尚、あの頃のまま、確かに『お前』として在って。久遠の刻、『お前』のまま在り続けるんだろうな。……あの頃のまま。必ず、もう一度、あの場所で──新宿で、再び巡り逢おうと誓った、あの頃のまま。例え、何がどうなろうと。…………でも、俺は。俺は……」

そして彼は、再び『彼』へと語り掛け、細めた眼差しの中から、滲むように天に浮かぶ月の光も、手を預けたままの山桜の肌も、遠く霞む霊峰も。『彼』と再び巡り逢う為、其が為に生き続ける為、縋るような想いを注ぎ続けてきた念珠も、何も彼も追い出し瞼を閉ざし、拳握り締め、山桜の肌を強く叩いた。

本当に本当に、どうしようもなく遠くなってしまった『遠い昔』、二人交わした誓いを果たす為、『遠い昔』、京梧の『剣以外の全て』だった『彼』は、約束の地で、一人、永の眠りに付いている。

どう足掻いても、どう訴えても、決して目覚めぬような、永の眠りに。

『遠い昔』から今日こんにちに至るまでの刻すら越えて、確かに生きたまま。

だから。

京梧の為、京梧との誓いを果たす為、それだけの為に、自らの刻すら止めるに似た、激しく愚かなことを仕出かした『彼』を、必ず目覚めさせるのだと京梧は己に誓った。

『彼』が、自らの刻すら止めるに似た真似をしたように、京梧は、どうしたら目覚めてくれるのか、どうしたら眠り続ける『地の底』から『彼』を引き摺り上げられるのか皆目判らぬそれを、それでも果たす為に、自らを『歪めた』。

…………自らを『歪めた』彼は、今、ヒトとして歪な生き物だ。

ヒトで在ると言うこと、その範疇から、彼は僅か、食み出てしまった。

……そんな道を自ら選んだことを、彼は、決して悔いてはいない。

それを、彼が悔いる筈は無い。

…………悔いてはいない。けれど。

悔いる筈は無い。けれど…………────

「今の俺が、ヒトと言うにゃ歪だってこと、それも又、神氣だってなら。神氣が在る故だってなら。それはそれで、本望だ。俺が、てめぇで望んだ果てが『こう』なんだから。……でもなぁ、ひーちゃん。こんな俺に──ヒトの範疇から一歩食み出ちまった俺に、お前に合わせるツラがあるのか……? このザマでも、俺は、お前に再び逢えるのか……? ……俺は、再び。お前って運命さだめに、俺って運命を、寄り添わせること出来るのか……?」

幾度か、強い力で山桜の木肌を殴り付けて、京梧は、唯、孤独に喋り続けた。

呻くように。

……が、やがて彼は、そんな行いを止め、大きく息を吐いてから振り返り、来た道を辿った。

──彼が思っていたよりも、時は経っていたのだろう。

思いの外長く、彼は、瞳の中から何も彼も追い出していたのだろう。

先程まで天にあった月は何時しか姿を隠し、代わりに、ひと度止んだ細雪が、天から降って来た。

舞い、流れ、散るように地面へと落ちる白い粒を目で追いながら、身を屈めた京梧は、辺り一面を覆い尽くす雪を掬い上げた。

強く握り締めれば、雪は、瞬く間に水となり、流れて行った。

ヒトの範疇より、一歩、食み出ること選んだ己は、みぎわに立つモノなのだろう。

ヒトと、そうでないモノの汀に、佇むしかないモノなのだろう。

──この道を、悔やむことはない。

悔やむなど、決して有り得ない。

この汀は、自ら望んで立ち、そして佇んでいる水の畔なのだから。

唯。

一つだけ、願ってもいいと言うなら。

願わくば、と言葉にしてもいいなら。

……そう、願わくば。

汀を漂う波のように。水と陸とを渡る波のように。

逢いたくて、逢いたくて、気が触れる程に逢いたくて、叶うならもう一度、この腕に掻き抱きたいと乞い続ける『彼』にこの腕が届いた時、『遠い昔』のあの頃のように、触れたい。

ヒトの括りより食み出た、汀に立つ己でも、『彼』に触れることを許されたい。

…………そう思う。

────指先を広げた途端、雪解け水が零れ落ちたたなごころを、京梧は再び握り締めた。

選び取った道に悔いはないとの想い、それは嘘ではないけれど、こうして、己が選んだ道を思い煩うことはやはり有って……、でも。

『彼』に、この腕を届かせる為なら、汀に佇み続けることとて悪くはない、と。

彼は、その時、そう思った。

End

後書きに代えて

うちの京一が十一歳くらい@故に小学生だった頃の、煮詰まってるおシショー、な話。

えーと、うちの話だと、京梧が、この世に生まれてからの年数だけで言うなら、三十三歳くらいの頃(うちの京梧、途中でヒトの道外れ掛けた所為で、実年齢がこの世の謎なのです。故に、こういう表現しか……)。

──彼の気合いと根性が、ガンダニウム合金ばりに逞しかったとしても、どんな覚悟決めてても、のの字を書きたくなる夜はあったと思うのですよ。

そんな設定押し付けたのは私、って説はありますが、ええ……。

うちの彼の、うっかり現代に飛ばされちゃってからの二十五年は、ホントに長かったと思うんだ。

……そんな設定押し付けたのは(以下略)。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。