────時過ぎて。

一九九八年 八月三十日。

どう足掻いても、到底、三十一日が終わるまでに仕上げられそうにもない夏休みの宿題を前に、もう嫌だ! と喚きながら、京一は、嫌々ながらも握っていたシャープペンを放り出し、ゴビン、と額を小さなテーブルに打ち付けた。

「龍麻ー。飽きたー。腹減ったー。飯にしよーぜ、飯に!」

二人揃って、夏休みが残り一週間を切っても殆ど手付かずだった宿題を、協力して何とかやっつけようと、京一は四日程前から、夏休みの間、殆ど毎日のように転がり込んでいた龍麻のアパートの完全な居候と化していて、が、やはり、二人揃って頭の出来は余り宜しくない彼等の『協力体制』など高が知れていたので、宿題は、遅々として進まず。

とうとう、問題集の空白部分を埋めていくのに嫌気が差した彼は、家主に夕飯の催促をした。

「飯? ……そっか、もう八時近いもんねえ……。これっぽっちも宿題進まないけど、俺も嫌になってきたから、ま、いっか」

オツムの出来はいい勝負だけれども、龍麻は、京一に比べれば遥かに真面目なので、若干、挑んでいた問題集から離れるのを名残惜しそうにしたが、彼も又、本音では宿題との戦いに嫌気が差していたので、京一にねだられたから、というのを建前に、いそいそと立ち上がり、『戦いの場』だった小さなテーブルから離れ、キッチンに向かった。

「とっとと拵えて、とっとと食おうぜー!」

夕飯の支度の手伝いをしようと、居候も、腰を浮かせ掛けたが。

「あ、いいよ。昨日、京一が作ってくれたから、今日は俺がやるよ」

立った流しの前で、くるりと首だけを巡らせ、大丈夫、と龍麻は軽く笑いながら京一を制し、さっさと手を動かし始めた。

「そうか? んじゃ、そういうことなら」

さらりと告げられた申し出に甘え、浮かせた腰を、京一は再び落ち着かせ。

「今日の夕飯、何にするんだ?」

宿題との戦いに戻る気は全くないのか、エアコンのリモコンを弄りながら、龍麻の背に問い掛けた。

「んーー……。昨日は冷やしうどんだったから、素麺?」

コンロの上に起きっ放しの鍋に水を張りつつ、肩越しに、龍麻は応える。

「………………龍麻。もーちっと、パンチの効いたモン、作ろうって気にならねえ……? 一昨日も素麺だったぞ?」

「だって、暑いじゃん。茹でるだけでも嫌になるって。この間、義母かあさんが、素麺山程送って来てくれたしさー」

「気持ちは判るけどよ…………。暑いのは確かだし? けど──

──なら、妥協で焼きそば」

「……仕方ねえ、それで手ぇ打ってやる」

それより暫く、京一はだらけた姿勢で、リモコンだの何だので手遊びをしながら、龍麻は、素麺作りを焼きそば作りにシフトさせながら、夕飯のメニューに付いて好き放題言い合って。

「それにしても…………」

冷蔵庫から引き摺り出した野菜と格闘し始めた友を何気無し観察した京一は、何かを思い出したような笑いを噛み殺した。

「ん? 何? 京一」

「急に思い出したんだよ。お前が、料理が出来なくてー、って、俺に泣き言垂れた時のこと。あの頃は、ホンッッ……トーーに酷い飯作ってたよな、ってな」

「……あの頃の話は、いい加減、忘れてくれない……?」

「そいつは、無理な相談ってもんだぞ、龍麻」

「うううう……。そうだろうなーって、俺自身思うけどさ……。……ま、しょうがないか。酷かったのは事実だし。でも、大分マシになっただろう? 余りの酷さに火が点いちゃった京一に、無茶苦茶スパルタな特訓とかさせられたし、あれから暫く自炊に燃えたし、京一のお母さん自作のレシピって、強い味方もあったから」

彼の思い出し笑いの種を知った直後は酷く遠い目をしたが、龍麻も、「あの頃のことは、そろそろ笑い話に出来そうだ」と、肩越しに、彼へと笑み返した。

「だな。あの頃に比べりゃ、お前が作る飯、真っ当になったよな。今でも、たまに失敗するけど、魚が消し炭になることもなくなったし、生煮えの煮物も出て来ねえし? この分なら、真神卒業する頃にゃ、俺のよりも美味い飯、作れるようになるんじゃねえの?」

「だといいけど。料理が出来て困ることはないしね。未だ先の話だけど、真神卒業しても、一人暮らし続けるかも知れないし。……でも、京一よりも上手くなれるかどうかは……。未だに激しく意外なんだけど、美味いのは美味いんだよねえ、京一が作るのって。駄目なのは、俺よりも駄目だけど」

「……お前、一言余計。──ま、美味い飯にあり付けるなら、俺はそれでいいけどな。先のことなんか判らねえけど、上手くすれば、卒業しようがどうしようが、お前んトコで、飯、タカれるかも知んねえし」

「たかるのは別にいいけど。その時は、ちゃんと食費を負担するように。当番制も、きっちり導入するからそのつもりで」

「…………龍麻? お前の言い分は尤もだと思うが、何で、卒業したら、俺とお前とで同居するみたいなノリ前提で、話進めてんだ?」

「……あ。言われてみれば確かに。だけど、そうなったらそうなったで、楽しそうだなー」

「……まあな」

────そうして、そんな風に。

春の頃には、到底食べられそうも無い代物を拵えていた、が、夏の頃には大分まともな物が作れるようになった龍麻作の焼きそばが出来上がるまで、彼等は、『遠い未来』の与太話も織り交ぜつつ、笑い声を立て合いながら、他愛無い会話を続けた。

深い意味も持たせず、単なる一つの想像として語り合ったことが、真神学園卒業後の『自分達の現実』となることを、この時の彼等には、知る由もなかった。

End

後書きに代えて

高三の春〜夏に掛けてのお話。

──親許を離れて一人暮らしを始めたばかりの少年は、料理が趣味とかいうんでない限り、碌に自炊は出来ないと思うのです。外食ばっかで済ませてしまいそう。

うちの龍麻もその口で、そんな食生活を送っていたら、家計が火の車になりました(笑)。

一方、京一は、或る程度、料理が上手な印象があるのです。修業時代、お師匠にやらされただろうな、って。

ま、うちの場合は、お師匠が、男子厨房に入るべからずの典型、って所為もあるんでしょうけど。京一が頑張らなかったら、二人して飢えた筈(笑)。

──このお話は、一寸勿体ぶって言うなら、自分達が『そういう関係』になるなんて、有り得ない処か想像もしなかった頃の京一と龍麻、という奴でもあります。

或る意味、平和だった頃の二人(笑)。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。