さて、翌日の放課後。
昨日のように、かったるい午後の授業が終わるや否や、二人連れ立って教室を後にしたのに、後でアパートに行くから、先に帰って待っていろ、と龍麻へ言い残し、京一は通学路の途中で姿を消してしまった。
なので、予定を空けろと言ったのはそっちだろ、と思いながらも龍麻は、言われた通り、大人しくアパートの部屋に戻り、京一が来るのを待っていた。
京一は、何を企んでるんだろうなあ、と彼が首を捻りながら過ごすこと約一時間。
一旦自宅に戻ったのだろう、私服に着替え、スーパーの物らしき袋を幾つかぶら下げ、京一がやって来た。
「蓬莱寺? それって?」
「見りゃ判んだろ。食糧だよ、食糧」
まるで、代表的な主婦の戦場の一つである夕刻時のスーパーに寄って来たような友の姿に龍麻が訝しめば、京一は、中身は食材だった袋を突き出して、さっさと中へ上がった。
「うん。言われなくても、それは見れば判る。そうじゃなくって。それ、どうしたんだよ。まさか、買って来た?」
「いや。お袋の差し入れ。──お袋に、ちょろっと話してみたんだよ。緋勇が、こういう事情で困ってる、ってな。家事の相談は、年季の入った主婦にすんのが一番だろ。そしたら、食糧持ってけ、って」
「え……。それは物凄く有り難いけど、でも、いいのかなあ、こんなに沢山……。俺、一、二度、蓬莱寺の家にお邪魔させて貰っただけなのに」
勢い、京一曰くの『差し入れ』を受け取り、キッチンへと向かいつつも、龍麻は昨日に引き続き、申し訳なさそうに袋の中身を覗き込む。
「いいんだっての。気にすんな、んなこと。俺だって、しょっちゅう厄介になってんだろ。宿代だと思っとけ。──あ、因みにそれ、『教材』込みだかんな」
「教材?」
「おう。……へへへー。実は、差し入れのメインは、こっち」
遠慮なく受け取るには量が多過ぎると、上目遣いで見遣ってきた龍麻に、京一は常通りの笑みを見せ、ジーパンのポケットに突っ込んでおいた、皺の寄ってしまった数枚の紙を引き摺り出した。
「何? それ」
「見てみりゃ判るって」
「見れば判る? ……え?」
ジャーン! と、効果音でも鳴り響きそうな程、満を持した風に京一が披露した紙束を受け取った龍麻は、言われるまま、それに目を走らせ。
「あ、これって……、あああ! 定番な料理の作り方が書いてある! ……あ、だから『教材』なんだ。納得!」
そこに書かれていたのが、味噌汁だの、卵焼きだのと言った、定番中の定番な料理のレシピだと知って、叫ぶような声を上げた。
「応。お袋に書かせた。役に立ちそうだろ?」
放たれた喜びの声に、京一は、至極満足そうに幾度か頷き、何故かやる気満々に、薄手の上着を脱ぎ捨て床へと放り投げる。
「うん! 有り難う、蓬莱寺! そっか、料理の本とか買えば良かったんだ。思い付きもしなかった……。…………う。でも、俺、ここに書かれてる通りにやっても、ちゃんとした物作り上げられる自信無い……」
「心配すんなって。そこに書いてある程度のモンなら、俺でも何とかなっから。教えてやるよ」
「……え…………? もしかして、蓬莱寺って料理が出来るとか? 嘘だろうっ!? って言うか、有り得ない! イメージと違い過ぎるっっ」
「ああ!? んなことで嘘吐いてどうすんだ。直ぐにバレんだろーが。──ガキの頃、俺の剣の師匠ってのと、暫く一緒に生活してたことがあってさ。そん時に、掃除とか洗濯とか飯炊きとか、散々やらされたんだよ。だから、少なくとも俺の方が、お前よりゃまともな飯作れんぞ?」
「剣の師匠? …………あああ、そう言えば、この間桜ヶ丘中央病院行った時、そんなこと言ってたね。剣の師匠がいるとか、いないとか、って。……へーーー、意外……。蓬莱寺って、使った食器も片付けないイメージあるのに」
「お前な…………。……ま、いいか。──そういう訳だから。緋勇、何はともあれ実践だ!」
「オーー!!」
懇切丁寧な総菜のレシピが! と喜んだのも束の間、それでも自信が持てない……、と肩を落とした龍麻に、京一は大見を切って。
半袖のTシャツの袖を更に捲り上げた彼と、やる気を取り戻した龍麻の二人は、意気込みつつキッチンの流しの前に並び立った。
飯を炊く、味噌汁を作る、卵を焼く、何かを炒める、何かを煮る。
──この五つが出来れば、最低限、何とかはなるだろう、と言い合い。
京一の母作成のレシピと睨めっこをしながら、彼等は、夕飯の作成に挑み始めた。
即席でしかないが、少しでも龍麻の料理の腕前を上げる、というのが目的なので、先ずは龍麻が一人で作業に勤しみ、京一は、一応、最初は口出ししない、との約束で、彼の傍らに監督と称して立ちつつ。
「…………おい。緋勇」
────そうして、そんな『調理実習』が始まって、約四十五分後。
苛々が滲んでいるのがはっきりと判る声で、京一は、ポン……、と力無く龍麻の肩を叩いた。
取り敢えずは口出ししない、という約束通り、黙って見ていた龍麻のやること為すことが、余りにも酷過ぎた為に。
………………先ず、龍麻は、米は研ぐもの、ということを知らなかった。
味噌汁には出汁を入れる、ということも知らなかった。
焼くだけなのだから誰にだって出来る筈だと、少なくとも京一は信じていた焼き魚は、弄り過ぎた所為で身がボロボロになっただけでなく、見事な消し炭と化した。
やはり、誰にだって出来る筈だと、少なくとも京一は信じていた目玉焼きは、割り方が悪かったのか何なのか、目玉焼きと炒り卵が入り交じったような、得体の知れない物体になり。
唯一、龍麻がまともに出来たことは、べったら漬けを切り分ける、それだけだった。
「お前……、ホンッ……トーーーー……に、料理、出来ねえのな……」
……だから。
確かに、苛立ちは過ぎる程に滲んでいたが、龍麻の肩を叩いた後、京一が放った言葉には、深い同情も籠っていた。
「………………………………自覚してること、そんなにしみじみ言わないでくれると嬉しい……」
「仕方ねえだろ、しみじみ言いたくなっちまう酷さなんだから」
「くっ……。……そうかも知れないけどさ! 仕方無いだろ、出来ないものは出来ないんだからっ! 料理が出来るんなら、蓬莱寺相手に昨日みたいな愚痴吐かないし、こんなことにもなってないっ!」
掛け値なし、しみじー……みした声で同情され、又もや情けない顔をしつつ龍麻は逆ギレし掛けたが。
「るっせーな、喚くんじゃねえ。大体な、手製とは言え、『教科書』見ながらやったってのに、こー……んなに酷ぇモン拵えるてめぇが悪りぃんだろうが」
「そうだけどっ! 俺だって、わざとやってる訳じゃないっ!」
「だから、喚くなっつってんだろ! ……あーもー、緋勇っ! ぜってー、今日中にこの有様を何とかすんぞ! 覚悟しろ! 人間、やってやれねえことはないっ!!」
京一は、龍麻以上の大声を張り上げ、『修行開始』を怒鳴り声で宣言した。
「オ、オーー……」
故に、以降数時間に亘る、彼等の激闘は始まり。