東京魔人學園剣風帖

『猫と縁側』
─アパート編─

九月第三週の週末。

大分、秋の気配が濃くなって来た、その土曜日の宵の口。

醍醐雄矢は、蓬莱寺京一と共に、一人暮らしをしている緋勇龍麻のアパートに押し掛けていた。

『旧校舎詣で』に勤しんだ帰り道、腹が減った、との定番の話になって、でも、毎度毎度のラーメン屋の王華では余りにも過ぎないか、と龍麻が言い出し、自分が作るから、家で夕食を、とも申し出たので、月の半分は龍麻の部屋の居候と化している京一は言うに及ばず、醍醐も、たまには、と誘いに乗った。

「冷蔵庫の中にある物で作る、いい加減な夕飯しか出来ないよ」

……なんて龍麻は笑いながら言ったけれど、彼等にとっては充分過ぎる話で。

少しばかりの足りない物──主に、どうせなら少しは呑もうぜ、と主張して止まなかった京一のリクエストによる缶ビールその他──を、通学路途中のコンビニで、こそこそっと買い求め、家主ばかりに手間を掛けさせる訳にはいかぬからと、余りぞっとしないが、男三人身を寄せ合う風に、そうは広くないキッチンで、何が出来るの出来ないの、と始め…………十五分程が経った頃。

何処からどう見ても、味噌汁を作るのだろうとしか思えぬ支度を、龍麻が始めた。

その様を眺め、幾ら友人達と摂る夕食だとしても、一人暮らしの男子高校生にしてはマメだな、と醍醐が率直に思いを口にしたら、自分も『居候』も、味噌汁と漬け物がなければ朝食も夕食も始まらない、という家庭で育ってしまったから、との返答が、さらり寄越され、成程、と醍醐はすんなり納得して…………──

……そこまでは、良かったのだが。

「龍麻。お前……、又か?」

三人分の味噌汁を作るには充分過ぎる大きさの小鍋にインスタントの出汁を放り込んで、更に味噌汁の具を突っ込もうとしていた龍麻の手許を、ちろり……、と横目で見遣った瞬間、京一が、猛烈渋い顔をした。

「又って? ……ああ、油揚げ?」

「お前、ホンットーに、油揚げと豆腐の味噌汁好きだよな」

「うん。前から言ってるじゃん。俺は、油揚げの味噌汁が好きだー、って」

「俺は、豆腐にはワカメ派なんだがよ」

「知ってる。さんっざん聞かされたから」

「じゃあ、別に嫌いじゃねえけど、俺は油揚げの味噌汁はあんまり、って訴え続けたのも覚えてるよな、お前」

「一応ねー」

京一が拗ねたような顔付きをしてみせたのは、油揚げ、という味噌汁の具にあったようで、ブチブチ、今一つ好みじゃない、と彼は文句を零し、が、龍麻は取り合おうとはしなかった。

「ここんトコ、ずーーーっと、お前の作る味噌汁は油揚げだよな」

「この間まで、京一のリクエスト聞いてやってたじゃん。ずーーーっと、豆腐とワカメの味噌汁に付き合ったじゃんか」

「だからって……。……俺は今月に入ってから、お前んトコでは油揚げしか拝んでねえぞ。狐か? 俺等は」

「いいじゃん。先月は俺が付き合ったんだから、今月は京一付き合ってよ」

「そんなこと言われてもよー……」

「文句言わない。言うんだったら食わせない」

「……へーへー。黙りゃいいんだろー」

「その通り。来週、ワカメ買って来るからさ。それで勘弁してよ」

けれど、それよりも京一は粘り、龍麻は京一の駄々を上手く躱して言い包め。

「あー…………。どうでもいいが。鍋が吹くぞ?」

黙ーーーって、やり取りを聞いていた醍醐は、ビミョーに二人より目を逸らしながら小鍋を指差した。

「うわっ! ヤバいっ!」

「お。ギリギリセーフ」

「んもー……。京一が駄々捏ねるからーーっ」

「……そこまで俺の所為か?」

「た……ぶん」

「お前なー…………」

カタカタと蓋を鳴らし、今にも吹き零れようとしている鍋の火を止め、味噌汁の具に関する言い争いを打ち切って、口先だけはそのまま、止めてしまっていた夕食作りを二人は再開する。

「はあ…………」

そんな友人達の後ろ姿に、醍醐は、がっくりと肩を落として溜息を付いた。

──夏が始まって間もない頃。

丁度、京一と龍麻が親友同士と言える間柄になったばかりらしかった頃、醍醐は、母校の屋上で、余り見たくなかった物を見た。

それは、昼寝をしたいから、との理由のみで、京一に『枕』を求めた龍麻と、龍麻以外の者だったら絶対に許さぬだろう暴挙を、当たり前のように許した京一と。

そんな二人の『膝枕』の図。

……あれを思い出す度、醍醐の胃は痛む。キリキリと。

あれから二ヶ月半強が経った今でも、あれは一体何だったんだろう……、と思わずにいられぬ瞬間が彼にはあるから。

幾ら仲が良くたって、十七歳の男子高校生同士の組み合せ、双方共が当たり前のように膝枕という行為を許し合って、しかもそれが、何処からどう見ても、どの角度から捉え直してみても、自然な姿にしか見えないなんて、有り得ない、有り得ない、有り得ない。京一と龍麻は、本当に、『親友同士』という間柄なんだろうか? ……本当に? ──…………と訴えてくる、もう一人の自分と、彼は戦い続けているから。

だから、彼の胃は痛むし。

もう一人の自分に、「あの二人は、十七という年齢にしては恥ずかしいかも知れないくらい仲が良くて、それこそ、親友同士というよりは同い年の兄弟な勢いで、だから、世間的には『んっ?』と目を剥いてしまいたくなるようなことも、彼等にとってはどうということではなくて、これは、外野の勝手過ぎる邪推というものでー!」……と、延々言い聞かせ続けているのだが。

あれからも、回数的には一、二度でしかないが、屋上等で、京一に凭れるように眠る龍麻とか、京一の膝を枕に眠る龍麻とか、凭れて来る彼を抱き抱える風に支えている京一とか、膝を貸しながら平然と雑誌を繰っている京一とかを目撃してしまっている処へ来て、今さっきのような会話を聞かされれば、溜息の一つや二つ、洩らしたくなるだろう、醍醐だって。

…………でも。

少々無理がないか? と、やはり、心の片隅の方からもう一人の自分に問い掛けられようとも、少し前に醍醐は、京一と龍麻の『こんな』関係を、同い年の兄弟のような仲故のこと、と解釈しようと決めたし、京一はしょっちゅう龍麻の部屋に転がり込んでいるから、二人は大袈裟に言えば、半ば『同居』しているようなと言うか、ルームメイト同士に近い関係でもあって、一つ屋根の下で暮らしていれば、食の好みがぶつかることはよくある話だと聞いた憶えがあるし、と。

彼は、ちょっぴり痛み出した胃を押さえながら、もう一度だけ深い息を吐くと、夕飯の支度の手伝いに戻った。