東京魔人學園剣風帖

『猫と縁側』
─屋上編─

梅雨明けの宣言は、後数日は先になるようだったし、時折、梅雨の盛りが戻って来たとしか言えぬ空模様になる日もあったけれど、七月第二週目のその日は、夏は疾っくに始まっているのだ、と実感出来る風に、からっと晴れた。

空だけを仰げば夏日だが、風はとても爽やかで、騒ぐ程は暑くなく、七月中旬が目前の暦を考えれば過ごし易く。

こういう日に屋上で昼飯にしなくてどうする、と言った、友人で仲間で同級生の緋勇龍麻と蓬莱寺京一との約束を果たす為、醍醐雄矢は、学内一階の購買で買い求めて来た幾種類かのパンとドリンク入りの袋を下げて、校舎屋上へ向かった。

彼が、三階から屋上へと続く階段を昇り始めた時、既に、昼休みが始まってより十五分は経っていた。

休み時間に入った直後、部長を務めているレスリング部の後輩に、部の活動予定のことで捕まって、だから、先に屋上へ行っていると言った龍麻と京一を、後から追い掛ける格好になった醍醐の階段を昇る足は、少しばかり早かった。

──当人達には余り自覚は伴わないのだが、彼等は、母校である、ここ、新宿・真神学園内でも、他校でも、いい意味でも悪い意味でも『有名』で、その所為か、しょっちゅう彼等が出没する屋上を訪れる者は少なく、真神での『フルメンバー』──彼等三人に、美里葵と桜井小蒔と裏密ミサと遠野杏子を足した七名──で屋上に屯していると、絶対に、同学年生も下級生も近付かぬし、男三人だけで居座っていても、滅多に、寄って来る『強者』はいない。

女子だけが集っている場合は、どうも話は違うらしいが。

そういう訳で、「自分達相手に、何をそんなに遠慮するのだろう」と感じざるを得ない瞬間がない訳ではない、が、『他人』に邪魔されず、気の置けない友人達と、のんびりランチと洒落込める屋上のひと時は、醍醐にとっても、得難い、待ち遠しい時間だ。

だから、階段を辿る彼の足取りは、一歩進む毎に早くなった。

……それに。

七月に入ってよりこっち、『他人』に邪魔されないランチタイムは、醍醐には、龍麻や京一の──特に龍麻の、『本当の様子』を窺えるチャンス、でもあったから。

────六月の終わり。

未だ、季節が明らかに梅雨だった頃の。

梅雨なのに、よく晴れていた日。

一人の少女が、自分達の……『異形』と戦う日々を送り始めた自分達の、前より消えた。

『異形』の世界に属する者達に心を明け渡してしまった兄を持った、比良坂紗夜、という名の、龍麻とは因縁浅からぬ少女。

彼女と龍麻の間に何が遭ったのか、醍醐は、龍麻自身や京一と共に見聞きしたこと以外は、二人から聞き及んだ話しか知らないけれど、それでも、「自分と兄が犯してしまった罪は、こうすることでしか購えない」と呟いた紗夜が、業火の中に消えてしまったあの出来事が、龍麻にとって、どれ程の痛手だったのか想像に難くなく、自ら死を選んだ彼女へ龍麻が放った、絶叫とも言える声は、未だに耳に残って。

それより数日、何処となく様子がおかしかった龍麻の姿も、醍醐の記憶には新しい。

……龍麻も京一も黙して語らぬから、品川区の廃屋を舞台に起こったあの出来事の直後、二人の間に何が遭ったのかは、やはり醍醐には判らぬが、どうも、龍麻は京一に何かを諭されたようで、揃って学校を休んだ二人が心配になった彼が、連絡を付け、一人暮らしをしている龍麻のアパートに押し掛けた時には、どういう訳か、龍麻は二日酔いでヘロヘロしていたし、京一は何時も通りのお調子者振りを発揮していたから、過ぎる程の心配はせずとも良いのだろう、とは思うものの、あれから二週間近くが経った今も、否、二週間しか経っていないからだろう、龍麻は思い出したように、『あの夜』に垣間見せた風情を漂わせることがある為、本当は、何か無理をしているんじゃないだろうかと、醍醐は疑わずにいられず。

故に、三人が三人共、気を張らずともいいランチタイムは、『龍麻の今』を窺うには、『良い時間』だった。

…………一年生の時、真神に転校して来て以来の付き合いがあるから、『本当に本当の部分』では悉く他人を撥ね除ける質をしている、と醍醐は見抜いている京一が、龍麻にだけは本心から心を砕いているのも、龍麻も一番京一に心を砕いているのも、醍醐には判る。

何が切っ掛けだったのか、何時しか二人が、「京一」、「龍麻」、と呼び合う仲になったのも、疾っくに彼は承知している。

だから、龍麻のことは京一に任せておくのが一番いいのかも知れない、と考えはするのだけれども……、それと、友人を心配する気持ちの出所は次元が違うし。

京一は、表面的には果てしなくお調子者のくせに、実の処は他人を寄せ付けぬ質で、の割には、どうしてそこまで、と思ってしまうことがあるくらい友情や義侠心に厚く、でも、自分のことは棚に上げる癖もある、少々『複雑怪奇』な男なので、何にせよ、『フォロー』する者がいないといけないかも知れない、と。

一歩毎に足進ませるスピードを上げていた醍醐は、着いた屋上の扉を片手で開け放った。

「あー、来た来た!」

「おせーぞ、醍醐!」

開いた扉を潜って、彼が一歩を踏み出した途端、片隅の給水塔に寄り掛かりながら、コンクリート打ちっ放しの床に座り込み、それぞれ、購買のパンを片手に何やら話していたらしい龍麻と京一が、声を上げた。

「もう、半分食べ終わっちゃったよー」

「腹減っててよー」

「悪い、待たせたな」

待ち切れなかったのだろう、先に昼食を摂り始めていた彼等に軽く詫び、食事の輪に醍醐も加わり。

「お前も、お前んトコの後輩も、熱心だよな、部活に」

「そうか? 普通だと思うが。京一、お前が不真面目過ぎるんだ」

「何度も言ってんだろ、俺の貴重な青春を、部活なんぞに費やしてられっか」

「京一のその科白、正直、聞き飽きたけど。折角、三年も剣道部に所属してて、部長までやってるのに、勿体無くない? 京一は、自分にとって部活は打算だー、なんて言うけど、一寸、勿体無いと思うなあ、俺」

「緋勇の言う通りだな。お前、幼稚園に行く前から、剣道をやってるんじゃなかったか? 好きは好きなんだろう?」

「俺は、『スポーツ』が好きなんじゃなくて、剣術が好きなんだよ」

「まー、京一の言いたいことが判らない訳じゃないけどねー……」

────それより彼等は、各々調達した昼食を平らげるまで、学生らしい、他愛無い話を続けた。