東京魔人學園剣風帖
『旅の途中』
Silk Road. 又は、絲綢之路。
古の頃、中国、中央アジア、西アジア、ヨーロッパを結んでいた通商路の総称。
その、シルクロードの名を出された時、人々が思い出すのは、かつての長安の都──現・中華人民共和国陝西省・西安市を東の起点とし、西の起点をローマとするルートだろう。
だが、シルクロードと呼ばれる通商路には幾つかのルートがあって、その内の一つに、西南シルクロードと呼ばれているものがある。
今から約三千年前に開通した、全長・約三千キロに及ぶ、所謂シルクロードよりも千年以上昔に既に存在していたと言われる路。
所謂シルクロードがそうであるように、西南シルクロードにも幾つかのルートがあって、その内の一つ、博南道は、西安市を起点とし、四川省・成都──かつての蜀の国──から雅安市に至り、更には大相嶺を越え、雲南省・大理市を経て、保山市にて二つに分たれ、一つはインドへ、一つはミャンマーへと至る。
インドへと至る道は、コルカタ──カルカッタ、と言った方が通りは良いかも知れない──を経て、パキスタン南部のカラチに続く。
────二〇〇三年、春。
約四年に亘り、修行に勤しむ為にと、中国での己達の拠点としていた福建省の片隅にある封龍の里を、誰にも告げずに発った蓬莱寺京一と緋勇龍麻の二人が先ず旅したのは、その、西南シルクロードだった。
龍麻の中に眠る黄龍の封印を結び直す術を探す為に、そして、何処かにはあるかも知れない、自分達にとっての安住の地を求める為に、旅に出ようと決めた京一と龍麻に、古の路を辿ること選ばせた理由の最たる物は、大袈裟に言えば、世界情勢、だった。
──封龍の里を根城にしていた約四年の間、ずっと、という訳ではなかったけれど、龍麻の義弟の劉弦月も、彼等と共に修行をしていた。
それは、京一も龍麻も、修行の旅に出る以前は全く予想もしていなかった事柄に於いて、二人に『恩恵』を齎した。
劉の一族──封龍の一族は、元を正せば客家と言われる民族の一つに属していて、『流浪の民』と例えられることすらある客家人は、世界中に散らばる華僑の約三分の一を占めている。
その繋がりと、一族の繋がりの双方を持つが故に、『祖国での劉弦月』は、龍麻や京一には唯々驚くしか出来なかった程にやたらと顔が広く、所謂処のコネという奴も豊富に持っていた。
それ等を劉がフル活用してくれたお陰で、日本刀や手甲等々、物騒な物を携えつつ、「修行ー!」と、日本人の彼等が中国国内を彷徨き回っても、何処からも目を付けられずに済んだし、「ああ、大体こういう風にやれば、上手いこと切り抜けられるんだな、得物持ってても何とかなるんだな」と、京一も龍麻も『学習』することが出来たし。
拙いことが起こってしまっても、少々のことなら、封龍の一族に縁を持つ者達が、誠に上手く三人纏めて庇ったり、匿ったり、としてくれたし、必要に応じて、偽の身分証を拵えてくれたりもしてくれた。
……本当に、それは、彼等二人にとっては紛うことなき恩恵だった。
けれど、そんな恩恵を与えてくれていた劉にも何も言わず旅立った彼等に、もう、甘んじさせて貰っていたそれに頼ることなど出来る筈も無く。
二人には、自分達の目的を叶えられるかも知れぬ場所を訪れつつも、極力目立たぬように、要らぬ騒ぎを起こしたり巻き込まれたりしないように、と気を遣いつつ旅をしなくてはならない必要が生まれてしまった。
その為、余り出来が良いとは言えぬ頭を捻り、うんうん唸りつつ悩んだ彼等は、取り敢えず、当て所もなく彷徨うよりは遥かにマシだろうし、上手くすれば『この世の不思議』に巡り合えるかも知れないから、膨大な歴史の詰まった路──シルクロードでも辿ってみるか、と決めた。
日本の空の下で日々を送っている仲間達が聞いたら、「短絡的な発想を……」と溜息付きつつぼやいたかも知れないが、京一と龍麻に絞れる知恵は、その程度が限界だった。
だが、所謂シルクロードは、どのルートを通っても、二〇〇一年に始まったアフガニスタン紛争、又はその他の民族紛争の所為で『騒がしい』箇所が多々あるから、行くには余りにも物騒で、何でも彼んでも気合いと根性で何とかしようとする二人にも、流石に……、と感じられた。
だからと言って、海路を選択してどうする、とも彼等は思い。
街角の小さな本屋で立ち読みし倒した観光ガイドより、西南シルクロードと呼ばれる路があることを知った彼等は、中国西南部を抜けてインドに至るルートなら、何とかなるかも……? と考えた。
三千年も前からあったという路ならば、辿る内、己達の求めることへの手掛かりにも通じる『この世の不思議』に出会すかも知れないし、『多分』、物騒ではなさそうだし、インドには、中国以上の膨大な歴史が詰め合わせパックになって転がっているかも知れないし、と。
それに、その路を辿った先にあるという、パキスタンのカラチに行けば、イラク戦争が勃発したばかりのあの辺りを綺麗に回避する為の船にも乗れそうだし、とも。
────と、まあ、そういう訳で。
当人達的には兎も角、客観的に見た場合、割合に単純と言える思考と発想で以て、辿るルートを決定した彼等は、出来れば二度と足踏み入れたくなかった、広東省・広州市に出た。
本当に、彼等二人にとっては悪い思い出しか残らなかった広州市から、すし詰め状態の列車に乗って雲南省・昆明市へ行き、そこから今度は小さなバスに乗り込んで大理市へ入り、勘の囁きに任せつつ、又は心惹かれるに任せつつ、あちらこちらと訪れながら、腰骨に響き過ぎる乗り心地のバスに幾度も幾度も乗って、これ、と言える収穫を得られぬまま、彼等は、何かに流されるように、とうとう、中国とインドの国境を越えた。
そうして、更に流れた彼等が旅の脚を留めたのは、インド北東部、ナガランド地方──。