インド北東部、ミャンマーとの国境に添うようにナガランド州はある。
その殆どを、ナガ族と呼ばれるモンゴロイド系の先住民族が占めていて、インドの一応の公用語とされているヒンディー語も通じない、こういう例えをして許されるならば、の話だが、辺鄙な田舎だ。
龍麻と京一が、そんな片田舎を訪れようと決めたのには、幾つか理由がある。
一つ目の理由は、この辺りの文化形態が、例えば、イースター島のモアイ像や、イギリスのストーンヘンジのような複合巨石文化──要するに、そもそもの発祥がとても古いらしい、と旅の途中で知らされたから。
二つ目の理由は、ナガ族、という名称から、ナーガ──インド神話に起源を持つ、蛇神を連想したから。尚、中国ではナーガは龍と同一視されている。
……そういう訳で、行くだけでも行ってみようかと、彼等はそこを目指してみることにした。
のだが。
もう直ぐそこはナガランド、という段になって、二人は初めて、ナガランドは外国人入域制限地域であり、陸路での外国人の入域は出来ない、と知らされて、「さあ、どうする?」と悩む羽目になった。
けれども、「ここまで来て引き下がれるか!」と、京一が要らぬ負けん気を発揮し、龍麻も勢いそれに乗っかってしまって。
劉や劉の縁者達から学び、更に、流離う内に徐々に培われてきた、平穏に生きる者には全く以て『余計な知恵』や、或る意味、無駄に高い身体能力や、少々の腕っ節やその他、余り大声では言えない諸々を活用し、時には、ちょっぴりの賄賂なども駆使し、何とか彼んとか、彼等は、「外国人は空路以外で入ってはいけません」な地区の片隅に潜り込んだ。
………………でも。
それなりに苦労して潜り込み、やっとの思いで辿り着いたナガランド州の州都・ディマプールは、無秩序に都市が広がる、彼等が期待していたような『膨大な歴史の詰め合わせパック』とは全く掛け離れた趣きを見せ付けてくる、中央アジアや東南アジア特有の、逞しさに溢れる街で、「こんな所でお目に掛かりたくなかったー……」と、京一と龍麻が揃って項垂れた、ショッピングセンターや近代的な市場もあった。
故に。
「誰だ、辺鄙な田舎、とか吹聴した奴は……。人種の坩堝で、どーしよーもねえくらい雑多じゃねえかよ、この街。『この世の不思議』も『歴史詰め合わせパック』も、何処にも転がってねえしよ、ちくしょー……」
────日本では染井吉野が満開になる春の頃、封龍の里を後にし、約七ヶ月が経った十月下旬。
その日の午前中、ディマプールの片隅の、一応、近代的な香り漂うそこでなく、昔ながらの古びた市場の隅に立つ、露店の椅子に腰掛け突っ伏し、京一はブーブー愚痴っていた。
「苦労して忍び込んだ甲斐、感じられないよねえ……」
はああああ、とあからさまに肩を落とす京一の隣で、露店で求められる冷たいチャイのグラスを意味もなく揺すりながら、龍麻もボソッと、落胆を洩らした。
「ちょっぴりでもオカルトな匂いのする所は、教会しかないしなあ……」
「だな。この辺の連中って、キリスト教徒ばっかなのか?」
「らしいよ。宿のご主人が、昨日、そんなこと言ってた。だから、ヒンディー語は駄目でも英語は通じるんだってさ。一寸、北の方行くと、中国語もOKなんだって」
「ふーん……。片言でも言葉通じんのは有り難てぇけど、こんなんじゃ、何の収穫も得られそうにねえよな」
「だね。あんまり、粘る価値なさそうだし、俺の勘も京一の勘も、ここに居座ってもいいことなさそうだ、って感じだし」
「一応、もう二、三日だけ、何となく、な辺り巡ってみて、駄目そうだったら引き上げるか、ひーちゃん。で、列車潜り込んでコルカタまで一息に、ってな」
「うん。それがいいかも」
活気はある市場を、右へ左へ、としている人々をぼんやり眺めつつ、長居をしても益はない土地かも知れない、と、二人は覇気のない声で言い合う。
「結局、ナガ族のナガは、ナーガと関係あるのかも、って当てずっぽうも外れちまったしな」
「そのこと尋ね歩いたら、何の関係もないって、大笑いされちゃったもんねー。単なる思い付き以下だった……」
「ま、めげたって仕方ねえよ。気分変えて、仕切り直して行こうぜ、ひーちゃん。その内、何かは掴めるって。世界は広いんだしよ」
「……そうだね」
けれども徐々に、二人共、声に覇気を取り戻し、今日はこの後どうしようかと、そんな話を始めた。
「…………お。美人なネーチャン」
「あ、確かに美人」
この数日、散々探し回ったから望み薄ではあるけれど、何処かに、未だ知らない遺跡とか、神話だの伝承だのに縁ある場所でもないかと、ディマプールに潜り込んだ日に何とか手に入れた、余り当てにならない市内地図を、露店のガタガタ言う小さな古ぼけたテーブルの上に広げ、こっちは行った、あっちも行った、と二人がやっていたら。
傍らを、大きな籠を背負った女性が通りすがった。
女性は、この辺りでも身に着ける者は少なくなってきたらしい民族衣装を纏っていた。
その衣装の、鮮やかな色彩が視界の端を掠めたのだろう、覗き込んでいた地図から顔を上げ、目に留まった色彩を追い掛けた京一は、今度は女性の面立ちに目を留めて、美人、と言い出し、京一が気を引かれた彼女を、やはり目で追った龍麻も、彼と同じ感想を告げた。
「ナガ族の人かな?」
「さあな。そうとは限らねえだろうけど……、でも、この辺の先住民族のオネーチャンなら、地図にも載ってねえようなトコとか、知ってるかも」
某かを物色している様子で、頻繁に足を止め、あちこちの露店を覗き込む女性の姿を眺め続けた京一は、何かの話が聞けるかも知れないから声を掛けてみる、と立ち上がる。
「美人だしねー」
「ばーか。そんなんじゃねえっての」
そんな彼に、ナンパの意味も込めてる? と龍麻が冗談めかして突っ込んだら、件の女性へと足先を向けつつも、京一は振り返り様、彼へ苦笑を送って寄越した。
「……そういうつもりが更々ないのは、判ってるけどさ……」
己に向けた、苦笑の浮かぶ面を前へと向け直し、少しばかり足早に彼女へ近付いて行く京一の背に、龍麻はボソッと、小声をぶつけた。